たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ロンドンからの便り

2018年03月03日 20時08分09秒 | イギリスへの旅
 疲れが出ている土曜日、今一つ眠れないまま目がさめてしまいました。なんとか7時間近く眠れましたがもう少したっぷりゆっくり眠りたかったです。昨夜はスパで2時間近く汗と共に一週間のよどんだものを洗い流し、眠かったですがすっきり気分で、帰りたいけど帰りたくないちっそくしそうな部屋に帰ってきたらドアに管理組合の張り紙。わたしが先日上の人らしき住人に夜中間違えてドアをあけられそうになったので、部屋間違えないでください、って張り紙をしているのにたいして、「届けて以外は張り紙禁止」とデカく書かれた張り紙。ポストに入れるとかしないで見世物かさらしものみたいにドアに張るなんて相変わらずのやり方。すぐに剥がしました。管理組合の張り紙を、です。水漏れが起こっていることを知りながら金取って貸された部屋、クソ大家に家賃を払い続けるの悔しいし、ひきこもりのオッサンがすぐ近くにいるような環境、よくない、よくない。一日も早く出たい一心ですが、お金も労力も必要なこと、もう実家に戻るか、もうひとがんばりとまた引っ越すか決断できず、仕事がとにかくつらいので身動きできないまま、悶々と日々は過ぎて行きます。

 昼間はちっそくしそうになりながら断捨離、母が残した荷物の中にあった、わたしが書いた手紙や葉書と再会中。読み返してはお別れしています。家を出て2‐3年ぐらいは、精神医学の知識なんて全くなかったから当然といえば当然ですが、まだわたし母の病気がそれほどのものだとはわかっておらず、まめに手紙と葉書を書いていました。すっかり忘れていました。宛名を父と母の連名にしていた時もあれば、母だけにしていた時もあって、あれほど複雑な思いを抱いていた母に、一度遊びに来てほしいと書いている自分がいたことに驚くばかり。家を出たの平成元年。旅先から絵葉書を送っていたのは、まだまだ一人暮らしがさみしくって新しい自分に出会うこともできず、家を恋しい気持ちがわたしの中にあったからなのかな。嵐が丘の舞台を訪ねたイギリスへの旅で、ロンドンから父と母に送った葉書。1992年のことでした。

「前略
 
 Londonに来て2日目の夜です。
 今日はバッキンガム宮殿ではなかったけれど、衛兵の行進している様子をみました。
 午後は公園でのんびりとしていました。
 元気でやっています。

 1992年5月13日 London Hotel SAINT SIMEONにて たんぽぽ」

 妹とのお別れの二年前、まだ若くて愚かだったわたし、あまり思い出したくない過去の自分との出会い。愚か過ぎました。いかになんにもわかったおらず愚かだったのか、妹とのお別れによって思い知らされるまでわかっていませんでした。ほんと若かったよ。時は流れました。父も母も旅立ちました。その頃の体力とぴちぴちの肌はもうありませんが戻りたいとは思いません。

 イギリスへの旅日記、嵐が丘のことは書きました。デジタルで残しているので、いつかこの世にいる間に他の旅程もブログに書ければと思います。今は日々追われて時間がありません。

 東京スカイツリーで宝塚のイベントが始まりました。すごく行きたいですが、遠いし一人で高い所にいくのはこわいし、仕事で頭が疲れているせいかどこにいくのにチケット代が必要なのか概要が理解できないし、混むだろうから体力いるよなあ、足腰痛くなるようなあと迷い中、明後日からはまた厳しい一週間。仲間は今日出勤しているはず、『ジキルとハイド』の予約日勘違いにもう少し早く気づいていたら自分も出勤させてほしいと申し出ていたと思います。そうしないと終わりません。お金はこれ以上出ないので代休取得かな。もう一日分ぐらいは残業しているかな、完全なる善意。

 夕方からカフェで少し読めていなかったものが読めたし、帰りたいけど帰りたくない部屋に帰らなければならない土曜日の夜、残念ですが体が痛くって、部屋で休まないと足の疲れがとれません。気持ちは休まりませんが仕方ないですね。あとでなかなか整理しきれていない、宝塚大劇場に遠征したときの写真をアップできるといいなあ。部屋にいるとちっそくしそうになるから無理かな・・・。