たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

カウントダウンまでもう少し

2020年02月12日 19時16分45秒 | 日記
 自分にとって4連休明け、朝1時間時間給を取得して残りの有給休暇は2日と5時間となりました。2月半ばにさしかかり、残りの実稼働日数そろそろ30日を切ってくる頃です。カウントダウンまでもう少し。まだ油断はできませんがようやくここまできました。なんとも言葉にしようのない居心地の悪さ。怒られたりするからだと思いますが半ば病んでいるような人たちばかりだし、受け付けた書類には必ず名前を記入しましょうと言われても名前がなかったりするのはどういうレベルなんだろと残念ですがやっぱり思わざるを得ません。態度が悪すぎるんじゃないかと感じることもあり、たまたまわたしが確認した大量書類を入力しなければならないタイミングになったとき、ゲッ!とか言ってるのがしっかり聞こえてしまい、どうなのよって思ってしまいました。お昼休みに執務室で平然とお弁当ひろげるのも当然のことみたいで信じられなくって、色々な場面で30年間暮らしたところとは全く違う地域性の中で自分は今いるのだということを感じます。お風呂屋さんの出入り口の真ん前に喫煙所があることすらわたしダメ。煙草の煙にむせてしまうので受動喫煙防止法はどうなっているのとついつい思ってしまいます。首都圏よりもおくれているということなのだと理解する他ありませんがコンビニの前なんかも全部喫煙所があって、わたしにとっては、あーあっていう感じです。

 昨夜家のお湯がでなくなったのは機器の寿命が尽きたのが原因だったようです。人間様に寿命があるように家という構造物も寿命が尽きてくるわけで30年過ぎると特に水回りはきびしい。未来永劫のつもりで建てたであろうデカい家が近隣でのきなみ空き家として打ち捨てられているのをみると、なんとも儚いものを感じます。持ち家信仰が高い地域なので、この世にいなくなったであろう親やその前の代は子どもや孫の代まで未来永劫住むであろうつもりで建てたのだろうけれど利便性低い地域、離れたら戻ってくることはないということなんでしょうね。お金をかけてもどってきた自分、ほんとにアホ。いや断捨離のためにまとまった時間は必要だったのですよ。かつてのように自転車でなんとかなるという甘い見通しがあったのですが時は移ろい車に乗らない限り暮らすことはできないところとなりました。自転車で暮らしていくのは危ないし、体がきつい。東にも西にも遠征できるのになあと思ったりもしますが仕事をしていくのが無理だとわかったので無理。手放してしまったものを取り戻していくのは年齢考えるとかなり険しい。体が動かなくなるぎりぎりのところまで自分を食わせるために稼いで家賃を払い続ける生活に戻って行くことができるのか、母がいなくなった8年前てんがいこどくの身になっていたので自分だけの居場所をまた見つけ直していかなければなりません。命日だと亡き人を偲ぶ会話も一切なく、人って哀しいなあと思いますが洗濯ネット投げつけられた事実は消えないのでお弁当を買って食べる生活を続けています。遺品整理と自分の荷物整理のカタがついて次に離れたらもう戻ってくることはない郷里。30年以上前に買った本断捨離のために少しずつ読み進めていますが、石川啄木の斬新な考え方は陰気な地域性の中では受け入れられず孤立し、石もて終わるるごとく郷里を離れることになったのかとあらためてしみじみ。郷里がやさしいものとはかぎらない、そこからはみ出ちゃうものにはすこぶる居心地が悪い。わかってなかっただけ。

 お風呂屋さんからの帰路、車が危ないのも大変ですが体が冷え切ってしまい足腰の疲れも抜けきれず昨夜は心配していたとおり眠剤のんでもなかなか寝つけませんでした。なので朝一時間の時間給をとったしだい。楽しかった思い出日記のあとで平日はこんな泣き言しか書けないのほんとに情けないし、みっともないかぎり。希望があるって基本思っていませんがひとかけらの希望を信じてカウントダウンまでもう少し。なんとか無事に生き延びていくべし。

 お金使ってしまいましたが、生の舞台に出会う時間がなかったらもっとおかしくなってしまっています。観劇は人生に必要な時間。