行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

デフレ,円高、雇用の危機を政労使一体で乗り切れ

2010-09-07 23:35:37 | Weblog
ある研究会のヒアリングで、1974年石油ショックを乗り切った「経済整合性」賃金闘争について話をした。物価と賃金のスパイラルを当時の政労使がいかにして止めて、外国政府に羨まれたか、そして日本はエネルギー革命とも云える省エネ技術で80年代にはジャパン・アズ・ナンバーワンといわれた世界第2の経済大国へ

正直、当時私は組合運動駆けだしで、ストを指導しながら賃上げ闘争一本に熱中していたので大きな筋書きが指導者によって書かれていたとは夢にも思わなかった。しかし、74春闘で30%の賃上げが実現したときには夢のようであった。その後、物価は20%をこえる勢いで上がり続けており、インフレの恐怖を組合員と考えざるをえなかった。

74年春闘で歴史上初めての30%賃上げの後、当時の組合の指導者は金属労協の議長であった宮田さんをはじめ、私の所属していた電機労連の竪山さんなど産業別組合の指導者はインフレ阻止にむけて、当時の福田赳夫蔵相の狂乱物価阻止政策とのすりあわせをしていた。そこで出てきたのが物価を政府が抑えるのなら賃金要求も物価+αにするという経済整合性論であった。それまで賃金は前年実績+αで成長の分け前を取ってきた路線との決別で、労働界では大きな議論が起きた。賃金自粛論だという反対意見も強かった。

結果は,物価が収まり日本経済は前述のような発展の軌道に乗ることになる。翻って今日のデフレ危機、円高危機の中で、失業率がいっこうに改善しない状況を見ると、74年の時の政労使一体となった対策が出来ないのか残念でならない。当時あった日経連はもはやなく経営側で真剣に雇用を考えている人がいないのと、雇用、雇用とかけ声だけの政府、民主党ではこの危機を乗り越えられのだろうか、中に入る連合のがんばりに期待したい。
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