為替が変動制になってから久しいが激しく動く時には実体経済が被害を受ける。為替だけは専門家でも予想できない。かつて組合運動を長くやってきたが為替に振り回された経験が多い。1973年、固定相場360円から308円で変動制へその後、175円になり、また270円近くに戻り、プラザ合意で250円から2年足らずで150円へと目まぐるしく変わった。
その後、91年、92年、93年、94年とバブルがはじけても円は上がり続けた。94年末には100円まで円高になり、このままではどこまで行くのか不安だった。労働界の中心勢力だった金属労協(IMF-JC)は日本の産業基盤を担う製造業を組織し、輸出関連部門の円高によるダメージを恐れていた。
94年12月16日、金属労協議長の得本さんと日経連永野会長と村山首相へ円高対策を直談判した。(写真は官邸にて、右端が筆者)当時の記録だと、すでに94年12月で前年より製造業の雇用者は50万人減少しており、空洞化が加速していた。政府に産業基盤である製造業の雇用と技術の喪失を防ぐためにあらゆる手段で円高是正を要請した。

村山首相は良く理解ができないようであった。その後年が明けると円は90円になり、春闘の最中4月19日には79円という事態になってしまった。
その後、日本が超低金利で外国との金利差で円は100円をこえる水準に戻ったが、この2年で120円から85円に急騰した。今の事態は94年から95年への変化と同じように雇用への影響は計り知れない。
菅内閣は為替介入を実施し、サプライズで84円台まで引き戻したが、空洞化を防ぎ、日本の国内景気を支えるためには補正予算4兆円の早期成立が喫緊の課題だ。与野党の協議を見守り、どの政党がどんな知恵を出すか注目したい。野党の真価も問われる。
その後、91年、92年、93年、94年とバブルがはじけても円は上がり続けた。94年末には100円まで円高になり、このままではどこまで行くのか不安だった。労働界の中心勢力だった金属労協(IMF-JC)は日本の産業基盤を担う製造業を組織し、輸出関連部門の円高によるダメージを恐れていた。
94年12月16日、金属労協議長の得本さんと日経連永野会長と村山首相へ円高対策を直談判した。(写真は官邸にて、右端が筆者)当時の記録だと、すでに94年12月で前年より製造業の雇用者は50万人減少しており、空洞化が加速していた。政府に産業基盤である製造業の雇用と技術の喪失を防ぐためにあらゆる手段で円高是正を要請した。

村山首相は良く理解ができないようであった。その後年が明けると円は90円になり、春闘の最中4月19日には79円という事態になってしまった。
その後、日本が超低金利で外国との金利差で円は100円をこえる水準に戻ったが、この2年で120円から85円に急騰した。今の事態は94年から95年への変化と同じように雇用への影響は計り知れない。
菅内閣は為替介入を実施し、サプライズで84円台まで引き戻したが、空洞化を防ぎ、日本の国内景気を支えるためには補正予算4兆円の早期成立が喫緊の課題だ。与野党の協議を見守り、どの政党がどんな知恵を出すか注目したい。野党の真価も問われる。