日経の連載小説「等伯」は小説の力を感じた。新聞が来ると先ず裏面から読んだものだ。何人かの友人と話しても皆同じように小説から等伯の凄まじい生き様を読み取り、作者の安部龍太郎の筆力に感心した。
と同時に、長谷川等伯の絵をこの目で見たくなった。京都の智積院は以前庭園が良かった記憶があるが、等伯の絵があることは当時気にも止めなかった。等伯の絵が智積院にあると聞いて、今日やや興奮しながら訪れた。小説のなかでも登場した秀吉の愛児鶴松の菩提を弔う松と葵のふすま絵、息子の久蔵の桜図、非業の死を遂げた息子に捧げた等伯の楓図など国宝館の中でぐるりとふすま絵が見られるように工夫されていた。
おまけに、庭園を望む大広間のふすまにはレプリカがはめ込んであるという趣向、これらの絵は秀吉が鶴松の菩提を弔うために建立した祥雲禅寺にあったが、その祥雲禅寺自体がそっくり家康により智積院に寄付されたために、ここにあるということが判った。
小説を読んだからこれらのふすま絵のすごさが判った。例えば久蔵の桜図は八重桜であるが何故八重桜なのか小説を読まないと判らない。故郷七尾の家に京都の御所から分けてもらった八重桜が毎年花を咲かせていたが、七尾を追われて京都に移っても故郷の八重桜は久蔵の記憶から離れない。等伯もこの故郷の八重桜には拘っていた。
小説では家康に召されて等伯が江戸に移るところで終わっているが、江戸にたどり着いて2日後亡くなっている。やはり、等伯は京都にあってこそなのだろう。