”我々の行う政治を民主主義という。なんとなれば、我々の主権は少数の特権階級の人々のものでなく、我々市民自身の手中に握られているからである。個人間の紛争を解決する場合に、我々は、万人みな法の前に平等の権利を有しているのである。有る人物を社会的責任有る地位につく人として選出する場合、問題とすべきものは、あくまでも当人の能力であり、決して門閥などでは無い”
これは誰の演説か?現代の政治家のように思えるが、なんとBC465年から429年にかけてアテネの黄金期を築いた政治家ペリクレスのものだ。彼はさらに”いやしくも政治に関心を抱かぬ人間は自己の仕事に熱心であるとは言えない、というより我がアテネにおいては、全く用のたたないものであると、私は言いたい。・・・諸君が他国民と異なる点はまさしくこの一点にある。”と述べている。
当時は、政治家の生の声(演説)が全てで、現代はメディアやSNSなどで政治の動向をいつでもどこでも掴める。しかもその内容たるや膨大で、批判の声だけでなく、米国での大統領選挙ではフェイクニュースが流され、サイバー攻撃が公然と行われた。SNSでは大がかりな精査を行い、偽アカウントを削除し、その数は億に達するとのこと。トランプ大統領はしかも4000回以上も嘘を流したとワシントンポストは報じている。ペリクレスだったら何と言ったのだろうか?
先のブログで述べた腐食列島に成り下がった日本だけで無く、何がほんとなのか判らないことが政治の世界では多く、これまでにない不信感が生じている。だからといって政治に関心を抱かないのは民主主義政治を後退させるものだ。新有権者18歳からの若者も政治が自分達の将来を決めると思って、残り少ない人生となった高齢者も自分の子孫のことを思い、大いに政治に関心をもって貰いたい。
私は明日からペリクレスの足跡を求め、ギリシャへ旅立つ。