私が1994年から8年間事務局長を勤めた金属労協が60周年を迎え、ホテルニューオータニで所属する国際組織インダストリオールの海外代表も含め盛大に御祝いした。自動車、電機、機械、鉄鋼などものづくりの中心として日本経済の発展に尽くしてきた。しかし、今や中国、インド、タイ、ヴェトナムなどの発展で日本のものづくりは厳しい状況だ。
祝辞をされる来賓の芳野連合会長、芳野さんは金属労協JAMの出身
赤坂のホテルニューオータニは赤坂見附から弁慶橋を渡った処にある。
赤坂見附はかつて私が2歳の頃、母の背中で焼夷弾が降りそそぐ中、逃げ惑った場所だ。
表赤坂の実家から永田町小学校まで待避した坂(青山通り)
伯父一家はこの弁慶橋の下で水を掛け合って戦火を逃れたと母から聞いた