3年がかりのNHKドラマ、坂の上の雲が終わった。日本は日露戦争に勝利をしたが、国民は貧困に喘ぎ、国家財政はピンチになった。軍人達も如何に戦争を早期に有利な内に終わらせられるか腐心したことも取り上げられていた。
日本が坂に上り詰め、頂点に立った時期は何時だったのか? 1904年日露戦争勝利から太平洋戦争で沈み、驚異の復興を遂げた高度成長の後、1980年代後半のバブル時期ではないかと思う。Japan as number oneと囃され、ニューヨークやロンドンの不動産からオーストラリアのリゾートまで買いまくり、欧米を坂の下の雲と見下した。日本人の美徳である質素倹約だとか清貧という言葉はなくなり、強欲が支配しだし、銀行はとにかく貸し出しを殖やし土地を買わせ、余った金は株式投資にまわった。当時、昼飯でよく利用した9坪の一膳飯屋が立ち退き料9億円もらった時代だ。
バブルがはじけると不良債権の山が残り、銀行マンや大蔵官僚のノーパンしゃぶしゃぶ店での乱行、政治家では、金丸自民党幹事長が金の延べ棒を床下に隠してた事件等が指弾された。結局は国民の税金で銀行を救い、長い失われた20年に入って今日に至るが、その間グローバル化が進行し、企業は徹底したリストラと海外投資を推進、終身雇用は捨て去られ、非正規雇用の比率が1990年20%が35%までとなった。これだけの労働力構造の変化にも拘わらず、有効な対策はうたれてこなかったため、貧困という坂の上の雲の時代と同じ問題に直面している。生活保護受給者はなんと200万人をこえ、国家財政は同じようにピンチにめんしている。
これは日本だけでなく、米国での1%が99%の富を支配しているというキャンペーンが欧州にも波及しているごとく、先進国全体の問題だ。来年の重たい課題となるが、東日本大震災で示された日本人の連帯感で、何とか乗りきりたいものだ。
今年の終わりに、
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今年のテーマでは「放射能問題」が最も関心が高かったようで、1980年代エネルギー政策に関わり、労働者の放射線防護に取り組んだ経験から書いたものですが、改めて最近の福島原発の推移には驚いております。特に私たちは当時、ICRP(国際放射線防護委員会)の基準を金科玉条として労働者保護を推進していたのですが、ICRPの実態と基準に対し不信をいだかざるを得ないNHKの報道を見て、これは大変な事態だと思います。
日本が自ら福島の経験に基づいて放射線防護の基準を作り上げなければならないのです。
また、季節によって様々な姿を見せる昭和記念公園の写真にも訪問者は多く、つたない写真技術ですが今年も勉強したいと思います。
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