先週のわろてんかでは落語をラジオ放送にのせるかどうかという騒動であった。寄席を経営している立場からラジオ放送で落語をやられたらお客が寄席に来ないということから強硬に反対した。大相撲も同じく、ラジオ放送したら本場所にお客が来なくなるという理由から反対論が出たという。当時開始したラジオ放送恐怖論で、新しい技術とどう付き合うかという今も変わらぬ事象だ。気鋭の落語家がラジオ放送で全国に落語ファンができ、寄席にも多くのお客が来ると寄席の経営者の反対を押し切って出演し、目論み通り落語会の発展につながった。
このような技術革新と既成勢力との葛藤はいつの時代でも続く。1930年代テレビ放送が発明され、戦後の日本はプロレス中継で湧いたものだ。ところが映画界は映画が廃れると一線の俳優の出演を禁止した。石原プロは裕次郎をはじめ多くの俳優を「太陽に吠えろ」「西部警察」などテレビドラマに出演させ、経営危機を乗りきった。今では、映画が先かドラマが先か判らないほどシナジー効果を狙った「相棒」のごとく、コラボは当たり前になった。
歌舞伎やニューヨークのオペラも映画化して、一流の役者や歌手に触れることにより多くのファンを作り出してる。これも技術革新で臨場感あふれる大画面、音響効果によるものだ。このブログで「テレビは化石になるか」と書いたが、既存のテレビ局のプロデューサーはかなり危機感を持っているのでどうこの局面に対応してゆくか楽しみだ。それにしても最近のNHKの安室奈美恵に対する騒動はお粗末だ。こんなことをやっているようでは年末紅白も消滅するだろう。
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