私は10年ぐらい稲城市に住んでいたことがあって、舞台が稲城市立病院に隣接する米軍リクレーションセンターということもあり、小説「日輪の遺産」を読んだ。旧陸軍の弾薬庫ということは何となく聞いていたが、そこを舞台にこれだけの小説を書いた浅田の想像力には舌を巻いた。
それが映画化になり、見に行かなくてはと思いつつ、ようやく今日果たせたが、映画の世界ではそれなりに迫力があった。ポツダム宣言受諾をめぐって近衛兵が反乱を企てる場面では、当時の陸軍の思考停止で受諾を阻止しようとする緊迫した殺伐とした状況が時代背景だ。これに対し、主人公の職業軍人の堺雅人演じる真柴少佐と中村獅童演じる曹長の人間味あふれる行動で救われる。
物語はこうした一連のノンフィクションの部分にマッカァサーの財宝というフィクションを巧みにかみ合わせ、そこに悲劇の女学生勤労部隊の運命が加わる。軍事工場へかり出された勤労女子学徒の実態が今の女学生にどう映るか、私の伯母は暗い中での作業で目を悪くしたと聞いた。私のかつて職場だった三菱電機の工場にも戦中はかなりの女子勤労学徒がいたのでその模様をよく先輩から聞いていたが、映画とはいえ、こうした場面を見るのは初めてだ。
最後の場面、思考停止の軍令殺人者が生き残りの女子学生を撃とうとする瞬間、真柴少佐の居合抜きで一撃の下に倒される。非人間的な命令を下した体制へ中佐の怒りが一撃となったと考えるのは読み過ぎだろうか
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