2016年9月25日、代々木公園でナマステインディアを楽しんだ後、東京メトロ千代田線明治神宮前駅で乗車。日比谷で日比谷線に乗換えて築地駅へ。まずは築地本願寺で伊東忠太さん設計の本堂を見学しました。
次に目指すのは慶応義塾開塾の地ですが…。
み・見つからない〜!!どこにあるんだ〜っ!!
さて、かばんから取り出したるは、秋山好古・真之兄弟と正岡子規 ぶらり江戸めぐり13<古地図と最新地図で歩く> 発行:毎日新聞社です。
NHKで司馬遼太郎原作『坂の上の雲』という歴史ドラマが何年か前に放映されました。私はうっかり中国の旅順に行く程ハマってしまいまして。その時に購入した本です。明治東京の地図と現在の東京の地図が掲載されていて、所縁の地をあちこち散歩出来るのですよ。既に何カ所か回ってるんですけど、築地が後回しになってたのです。
題して、ぶらり、秋山真之ゆかりの海軍施設めぐり【築地物語】です。
推奨コースは…。
【築地物語】
築地駅3番出入口慶応義塾開塾の地(秋山好古があこがれた象牙の塔の出発点)軍艦操練所跡(海軍省の敷地となった幕府の海軍施設)海軍経理学校の碑(海軍の予算を取り仕切るエリート養成機関)旗山の石碑(日本の近代海軍発祥の地)海軍兵学寮跡の碑(真之が入学した海軍兵科将校の養成機関)…築地物語さんぽコースはこの後、旧新橋停車場、鉄道歴史展示室、青松寺(真之の追悼会が行われた寺院)、乃木将軍由緒の石碑(乃木が新婚生活を送った屋敷跡)、伊藤博文の銅像、旧海軍省・参謀本部跡、睦奥宗光の銅像、海軍省・軍司令部の碑、日比谷公園、鹿鳴館跡、皇居外苑の馬場先門跡二重橋前駅2番出入口となってますが、今日の所は時間が足りないので、途中の海軍兵学寮跡の碑までという計画です。んで東銀座駅がゴールなんじゃ!
なのですが…。最初の慶応義塾開塾の地でつまづいた〜!!見つからない〜どこじゃ〜〜どこなんじゃ〜〜っ!!
もちろん所在地の地図も載ってるのですが、B5サイズで浜離宮から江戸城北の丸公園まですっぽり入ってるという…。どんな縮尺図なのか!細っそい道は載ってないし〜。
でも目印の公園が見つかればなんとか…。
周辺の歴史地図発見!
目印の公園は見つけたんだけども…。
ああっ!あったわ〜。この公園じゃないけど近いっ!ってか、このあたりって日本はじめて物語じゃん?発祥の地が一杯じゃん?
取りあえず携帯電話で撮影してから慶応義塾開塾の地の場所を暗記して移動する。
聖路加大学です。
あ!現在聖路加大学となってる敷地角に芥川龍之介生誕の地の解説板見つけたわ〜。
そんですぐ並んで建つ石柱はまさかの浅野内匠頭邸跡じゃん!解説するまでもなく、今風に言うと赤穂浪士の発端の殿の家ですね。
なんか土地の歴史の変遷をかいま見てますね。
またあった!女子学院大学発祥の地の石碑です。って?聖路加病院の前身ですかね?
あ。違う模様。石碑だけここに移動したようです。
聖路加大学の敷地に沿って隅田川方面へ歩いていたのですが、道向こうに目的地っぽいの見つけた!
ようやく一つ目の慶応義塾開塾の地に到着しました。トップ画像がそれです。
本によりますと、「好古があこがれた象牙の塔の出発点」とありまして、「秋山好古が傾倒した福沢諭吉。その福沢が、安政5年(1858)藩命によって中津藩中屋敷に23才で蘭学塾を開いたのがこの地。その塾は慶応4年(1868)に芝へ移転し、「慶応義塾」と名乗った。好古は裕福な家庭に生まれていれば慶応義塾で修学したかったといわれ、自分の子を慶応義塾へ入れただけでなく、親類の子も出来るだけこそに入れようとしたとされる。」と続いて書いてありました。
今この場所は道路で三角形に残された小さい区画です。慶応大学所縁の地だからと無理矢理残した感があります。
トップ画像の慶応義塾開塾の地の石碑は、何をモチーフにしてるか今一分かりませんが、机の上に本が載ってるっぽい。んで、机上の部分に説明文が彫ってある。
…これ、「秋山好古・真之兄弟と正岡子規ぶらり江戸めぐり3」に書いてある文書そのままのようです。
にしても蘭学の泉?って何やねん!
トップ画像を見て下さい。画像右奥に石碑がもう一つ建ってますね。これのようです。撮影撮影。
う〜む…。帰宅後画像を見直したら、うっすらとしか読めないわ。でも蘭学事始は解体新書で、解体新書のあるページを石碑のモチーフにしてあるようです。
解体新書??WIKIWIKI。「解体新書はドイツ人医師、ヨハン・アダム・クルムスの医学書、オランダ語訳『ターヘル・アナトミア』を江戸時代の日本で翻訳した書。西洋語からの本格的な翻訳書として日本初。著者は前野良沢(翻訳係)と杉田玄白(清書係)、安永3年(1774)、須原屋市兵海鷂衛によって刊行される。」
う〜む。ビックネームが次々登場するなあ…。ダンナと散歩してるけどさ、歴史好きな人と散歩したらもっと盛上がるかも?ってか、ダンナがどこまでついてこれるか…。がんばれ〜。
聖路加大学の敷地にそって更に隅田川方面へ移動。どうせここまで来たならば、有名な聖路加病院も見たいんや〜。
の前に何かあった!
春5月、街路樹のピンク株白い花の株のハナミズキが、かつて尾崎行雄がアメリカに桜を送ったお返しでもらった事は知ってましたがね。でもこれ、当時のハナミズキじゃないな〜。
説明文を抜粋しますと、『平成24年(2012)、サクラ寄贈100周年を記念し、アメリカはハナミズキ3000本を日本書く気に植樹する「友好の木ハナミズキ」プロジェクトを開始。このあたりはかつて外国人居留地があり、明治7年(1874)から約16年間アメリカ公使館が設置されるなど、アメリカとの関係が深い場所だったので、聖ルカ通りと明石町緑道に植樹しました」という事らしい…。
さてと、聖路加病院到着。関係ない人が病院内に入るのもいかがと思い、外から眺めるだけにする。
次に目指すのは、海軍経理学校の碑です。分かりにくい地図によりますと、それがあるのはかちどき橋のたもとっぽい!移動です!ああ!一つ目を探すのに思いの外時間がかかっちゃったわ〜。この先どれだけ時間がかかるんだろうか…。不安〜。
次に目指すのは慶応義塾開塾の地ですが…。
み・見つからない〜!!どこにあるんだ〜っ!!
さて、かばんから取り出したるは、秋山好古・真之兄弟と正岡子規 ぶらり江戸めぐり13<古地図と最新地図で歩く> 発行:毎日新聞社です。
NHKで司馬遼太郎原作『坂の上の雲』という歴史ドラマが何年か前に放映されました。私はうっかり中国の旅順に行く程ハマってしまいまして。その時に購入した本です。明治東京の地図と現在の東京の地図が掲載されていて、所縁の地をあちこち散歩出来るのですよ。既に何カ所か回ってるんですけど、築地が後回しになってたのです。
題して、ぶらり、秋山真之ゆかりの海軍施設めぐり【築地物語】です。
推奨コースは…。
【築地物語】
築地駅3番出入口慶応義塾開塾の地(秋山好古があこがれた象牙の塔の出発点)軍艦操練所跡(海軍省の敷地となった幕府の海軍施設)海軍経理学校の碑(海軍の予算を取り仕切るエリート養成機関)旗山の石碑(日本の近代海軍発祥の地)海軍兵学寮跡の碑(真之が入学した海軍兵科将校の養成機関)…築地物語さんぽコースはこの後、旧新橋停車場、鉄道歴史展示室、青松寺(真之の追悼会が行われた寺院)、乃木将軍由緒の石碑(乃木が新婚生活を送った屋敷跡)、伊藤博文の銅像、旧海軍省・参謀本部跡、睦奥宗光の銅像、海軍省・軍司令部の碑、日比谷公園、鹿鳴館跡、皇居外苑の馬場先門跡二重橋前駅2番出入口となってますが、今日の所は時間が足りないので、途中の海軍兵学寮跡の碑までという計画です。んで東銀座駅がゴールなんじゃ!
なのですが…。最初の慶応義塾開塾の地でつまづいた〜!!見つからない〜どこじゃ〜〜どこなんじゃ〜〜っ!!
もちろん所在地の地図も載ってるのですが、B5サイズで浜離宮から江戸城北の丸公園まですっぽり入ってるという…。どんな縮尺図なのか!細っそい道は載ってないし〜。
でも目印の公園が見つかればなんとか…。
周辺の歴史地図発見!
目印の公園は見つけたんだけども…。
ああっ!あったわ〜。この公園じゃないけど近いっ!ってか、このあたりって日本はじめて物語じゃん?発祥の地が一杯じゃん?
取りあえず携帯電話で撮影してから慶応義塾開塾の地の場所を暗記して移動する。
聖路加大学です。
あ!現在聖路加大学となってる敷地角に芥川龍之介生誕の地の解説板見つけたわ〜。
そんですぐ並んで建つ石柱はまさかの浅野内匠頭邸跡じゃん!解説するまでもなく、今風に言うと赤穂浪士の発端の殿の家ですね。
なんか土地の歴史の変遷をかいま見てますね。
またあった!女子学院大学発祥の地の石碑です。って?聖路加病院の前身ですかね?
あ。違う模様。石碑だけここに移動したようです。
聖路加大学の敷地に沿って隅田川方面へ歩いていたのですが、道向こうに目的地っぽいの見つけた!
ようやく一つ目の慶応義塾開塾の地に到着しました。トップ画像がそれです。
本によりますと、「好古があこがれた象牙の塔の出発点」とありまして、「秋山好古が傾倒した福沢諭吉。その福沢が、安政5年(1858)藩命によって中津藩中屋敷に23才で蘭学塾を開いたのがこの地。その塾は慶応4年(1868)に芝へ移転し、「慶応義塾」と名乗った。好古は裕福な家庭に生まれていれば慶応義塾で修学したかったといわれ、自分の子を慶応義塾へ入れただけでなく、親類の子も出来るだけこそに入れようとしたとされる。」と続いて書いてありました。
今この場所は道路で三角形に残された小さい区画です。慶応大学所縁の地だからと無理矢理残した感があります。
トップ画像の慶応義塾開塾の地の石碑は、何をモチーフにしてるか今一分かりませんが、机の上に本が載ってるっぽい。んで、机上の部分に説明文が彫ってある。
…これ、「秋山好古・真之兄弟と正岡子規ぶらり江戸めぐり3」に書いてある文書そのままのようです。
にしても蘭学の泉?って何やねん!
トップ画像を見て下さい。画像右奥に石碑がもう一つ建ってますね。これのようです。撮影撮影。
う〜む…。帰宅後画像を見直したら、うっすらとしか読めないわ。でも蘭学事始は解体新書で、解体新書のあるページを石碑のモチーフにしてあるようです。
解体新書??WIKIWIKI。「解体新書はドイツ人医師、ヨハン・アダム・クルムスの医学書、オランダ語訳『ターヘル・アナトミア』を江戸時代の日本で翻訳した書。西洋語からの本格的な翻訳書として日本初。著者は前野良沢(翻訳係)と杉田玄白(清書係)、安永3年(1774)、須原屋市兵海鷂衛によって刊行される。」
う〜む。ビックネームが次々登場するなあ…。ダンナと散歩してるけどさ、歴史好きな人と散歩したらもっと盛上がるかも?ってか、ダンナがどこまでついてこれるか…。がんばれ〜。
聖路加大学の敷地にそって更に隅田川方面へ移動。どうせここまで来たならば、有名な聖路加病院も見たいんや〜。
の前に何かあった!
春5月、街路樹のピンク株白い花の株のハナミズキが、かつて尾崎行雄がアメリカに桜を送ったお返しでもらった事は知ってましたがね。でもこれ、当時のハナミズキじゃないな〜。
説明文を抜粋しますと、『平成24年(2012)、サクラ寄贈100周年を記念し、アメリカはハナミズキ3000本を日本書く気に植樹する「友好の木ハナミズキ」プロジェクトを開始。このあたりはかつて外国人居留地があり、明治7年(1874)から約16年間アメリカ公使館が設置されるなど、アメリカとの関係が深い場所だったので、聖ルカ通りと明石町緑道に植樹しました」という事らしい…。
さてと、聖路加病院到着。関係ない人が病院内に入るのもいかがと思い、外から眺めるだけにする。
次に目指すのは、海軍経理学校の碑です。分かりにくい地図によりますと、それがあるのはかちどき橋のたもとっぽい!移動です!ああ!一つ目を探すのに思いの外時間がかかっちゃったわ〜。この先どれだけ時間がかかるんだろうか…。不安〜。