座間市のさくら百華の道の桜紹介。これで何度目だろうか?ここは1、6kmの間に64品種の桜が植栽されているので、3月初めに見物した河津桜から遅咲きの八重桜までたっぷり見物しちゃいました。スーパーの買い出しの行き帰りにいけるお手軽なのが今年はとても助かりました。ここまで来たら桜シーズンの最後まで見ておこう!ってな訳で、今日は2020年4月21日午前のさくら百華の道の北端で咲いてた桜です。
トップ画像は関山(かんざん):花は大輪。八重咲きで濃紅色。開花期は4月下旬。
もと、東京の荒川堤で栽培されていた品種です。
花色が濃紅色で美しく、生育がよいので海外でも広く栽培されています。
また、お祝いの席で出される桜湯には、この花の塩漬けが用いられます。
本当は今年は小田急渋沢駅から徒歩で篠窪へウォーキングするつもりでした。泉蔵寺さんでチューリップ見て、途中で白山神社で神奈川の名木100選の2本の杉を見て、この辺りは日本有数の八重桜がある。桜湯用の関山の花摘みが見られるかもしれない。で、地福禅寺と三嶋神社でそれぞれ巨木見て〜、んでもって富士見塚で富士山拝んで〜と計画立ててたんだけどね。コロナ感染症が終息しないと無理!ってなことで計画倒れになっちゃったんだよね〜。ら、来年こそ!!
紅時雨(べにしぐれ):花は大輪。八重咲きで濃紅色。開花期は4月下旬。
1961年に浅利政俊が東錦(あずまにしき)の実生から選抜された品種で、東錦とカスミザクラ系の里桜との自然交雑によるものと推定されます。
びっしりと花のついてる枝がありました。座間・さくら百華の道の北端では、この紅時雨が一番最後に咲きました。
さて、午前はここだけ。午後に改めてスーパーに買い出しに出かけたので、次の記事はこちらを紹介します。
しかし、記事にするには短いので、何度も出てくる荒川堤の桜について調べてみた。
WIKIによりますと『荒川堤:荒川堤はサクラの名所として知られた東京の荒川や旧荒川(隅田川)河畔堤防の景勝地。最盛期は荒川の五色桜としても知られた。
歴史:桜の選抜育成や増殖などの品種改良は平安時代頃から行われていたと考えられており、江戸時代後期には桜は栽培品種も含めて250品種近くが存在していた。栽培品種の多くがオオシマザクラ由来の里桜群であり、これらの多くは大名屋敷や神社仏閣、水路脇に植えられていたが、明治維新後、旧大名や社寺の権威が下がり都市改造が進められると、桜が植えてある敷地は荒廃し、所有者が変わることで多くが伐採された。染井村(現駒込)の植木職人だった高木孫右衛門はこのような桜を惜しみ、自宅に多種多用な桜を集めて保存を行った。(中略)
1885年(明治18)に荒川の堤防が改修されるときに、78種3000本の桜を堤防の上に植えた。植えられた桜は1903年(明治36)には見頃となり、荒川堤は東京一の桜の名所となった。
アメリカに日米親善の証として、ソメイヨシノ1800本・関山350本・一葉160本・滝匂140本・白雪130本・普賢象120本・有明100本・上匂80本・福禄寿50本・駿河台匂50本・御衣黄20本・御車返し20本の計12種3020本が送られ、ワシントンD.C.のポトマック川の入江のダイダルベイスンに植えられた。
荒川堤の桜は堤防工事や都市化の影響で衰退。保護を進めようとしたが、第2次世界大戦期、物資の欠乏下に焚き木として伐採されてしまい、多くの貴重な品種が姿を消す。
1981年、ワシントンから35品種3000本の桜の苗木が里帰りし、荒川沿いに植えられ、桜並木の原型となった」
ここで滝匂の名前に出会うとは!確かどれかの説明プレートに「今では失われた滝匂〜」というフレーズを読んだ記憶がある。
まさか!の平安時代から荒川で桜を育てていたとは!日本人って本当に桜が好きだったのね。そんな日本人が第2次世界大戦時に桜を焚き木に使ったとは!!追い詰められると心が死ぬのだね。今のコロナで人生は詰みそうになってる人の中には、桜を焚き木にしてしまった人と同じ行動を取ってしまうほど追い詰められてる人も出てきてるかもしれん。心から余裕がなくなりつつあるのは確か。何でもコロナに結びつけたくないけどコロナのせいであっちもこっちも制限されてる今。しかもコロナは完全終息しそうにないし。基礎疾患持ちは気軽に外へ出かけられなった。もうクサクサしちゃうなあ〜。