梅仕事で間が空いてしまいましたが、善通寺さんで4月23日から6月15日まで開催された弘法大師空海御誕生1250年記念祭を紹介します。
まずは誕生院前に設置されているチケット売り場へ。

御影堂秘仏本尊・瞬目大師像特別ご開帳と戒壇巡りと宝物館「チベット密教展」の拝観がセットで2000円を購入。ちなみに、檀家になってるお寺さんより2000円が半額の1000円になるチラシをいただいていたので、それを出すと、1000円となり、更にお札をいただきました。

最初は御影堂地下にある戒壇巡りから。
階段を降りると真っ暗。なんか修行らしいです。左手を壁に沿わせて前進します。煩悩の多い私は、一刻も早くゴールに着くことしか考えてませんでした。
御影堂の地下から上がると、建物外の回廊へ。宝物殿へ向かいます。
途中で気になる立札を見つけた。

入り口に何か書いてある。拡大。

弘法大師産湯のお水
おおう!格子の間から見れば。

井戸がありました。
そういえば、御影堂のある誕生院は、弘法大師空海が生まれた佐伯家の邸宅跡に建てられた寺院です。

現在の建物は天保2年(1831)の建立で、昭和12年(1937)に大規模な改修
を行なっています。

宝物殿手前に昔使っていた梵鐘が置いてありました。

ちなみに梵鐘の向かいには松の巨木。仰ぎ見るに素敵な枝ぶりです。近年松の巨木はどんどん姿を消してるので、この松は末長く残って欲しいです。
宝物殿へ。内部は撮影禁止。善通寺の寺宝の名品20点と、「空海の心とチベット密教」の出展が29品。私が注目したのは、九こ杵と五こ鈴と九こ鈴です。
宝物殿を見学の後、御影堂を抜けて回廊で隣接する建物へ。そこに本日のイベントの目的の秘仏瞬目大師像があります。
大師像の左右に大きな掛け軸の絵がありまして。大勢が描かれてました。お坊さんが大勢の信徒さんへ話をされており、後ろで一緒に聞いていたのですが「大師像は弘法大師の母、玉寄御前が唐へ旅立つ息子との別れを嘆くので、大師が月明かりの夜、池水面に映った自らの姿を描き写して残したものと伝えられております」
「鎌倉時代、土御門天皇ご拝覧の折に、絵が瞬いたことから、生身の大師であるとして「瞬目(めひき)大師」の尊号を下賜されました」
「50年に一度のご開帳ですが、今回はガラス越しでなく直接皆様にご覧いただいております。私も今回初めて間近に拝見して感動しております」
「大師像を拝観した後は、裏手が出口となってますが、手前で大師が唐で修行されてたおり、恵瓊阿闍梨よりいただいた国宝の金銅錫杖頭のレプリカを使い、ご加持を行なっておりますのでぜひ参加ください」
的なお話でした。
あれだ。5月に県立ミュージアムで展示してあった本物。レプリカとはいえ、ご加持を受けれるのってとてもラッキーでしょ?ってなことで、最前列でお祈りしてきました。相変わらずミーハー(死語)な私。
さて、御影堂に入る時に脱いだ靴をようやく履く。
何やらお経が聞こえる。どこから聞こえてるのか?

声に惹かれて素敵な閻魔様を拝観してると?ダンナがとても興奮してました。
聞けば、「今を去ること50年前、子供だった私は、祖母に連れられて瞬目大師像のご開帳に来たのを思い出した。その時にこの閻魔様をみた。全く同じで思い出した」と。
ほお〜。
感動が止まらない様子なので、私はお経の声を探して先へ向かいます。

ここだ。ここでお経を唱えてる。
どこだ?ここ??
入り口左の柱に「親鸞堂」と書いてある。
説明板発見:

この堂に安置してある親鸞上人の尊像は「鎌田の御影」と称され、親鸞上人自作の尊像です。
親鸞62歳の時、関東の下総蒲田荘(現在の千葉県市川市)、吉田源五郎左衛門という信者の家に滞在し、朝夕に法談されていた。その地を離れる際、多くの信者が別れを惜しんだので、親鸞は自分の像を作った。像の背中に「讃岐の善通寺は弘法大師の生誕地であり、我が師法然上人も彼の地に詣でて自ら逆修の塔を建てた。私も善通寺へ詣でたいと思うが無理だ。できればこの像を善通寺へ送って欲しい」と遺命した。
その後吉田家で像を供養していたが、夢で「早く善通寺へ送れ」とのお告げがありそのようにした」(私が少し文章を簡単に書かせていただきました)
ず、随分勝手なことを言ってますね。けどまあ。昔話はそういうの多いから。
その後、御影堂前の売店へ。自分土産を探していたら、何か聞こえてきたので外へ出てみると?

親鸞堂からお坊さんたちが列して御影堂へやってくる。何か葉っぱ状のものを振り撒きながら進んでるので、拾います。

さてと。誕生院(西院)を後に、伽藍(東院)へ向かいます。(続く)
あ。
トップ画像の御誕生記念祭のチラシに一緒に写ってるペットボトルのお茶とウエットティッシュはお接待でいただいたものです。

上の画像は駐車場から済世橋を渡り境内に入ったところで学生服の子供らが「お接待です」と配ってました。さすが空海さんの生まれた場所ね。太っ腹!と思ったのですが、今思えば当日は6月3日でして、翌日が大師市の本番。前日とあってあれこれの行事が行われていたので、その一環だったのやもしれんと思います。
いただいたペットボトルのお茶は、この後東院を見物して駐車場に戻って車内で一気飲みしちゃいました。もうね。前日の大雨が嘘のような晴天で、とても暑かったんです。ありがたくいただきました。
ちなみに、四国における「お接待」とは?
「何の見返りも期待せず、通り係のお遍路さんに親切にすること」です。お遍路の文化の一つです。