![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/33/6699e59648e0bba6f734ae037d19785d.jpg)
天満神社の御本殿から180度振り向いたら、不自然な大きな直線路が見えた。世話人に聞けばこれがかつて競馬をしてた馬場だという。
見物に行こう!と歩き始めて、思った以上に大きな道だと知る。天満神社に上がる道は急坂だった。上の画像を見たらわかりにくいのだけれどここは里山だ。水平の長い道を作るのは大変だったはず。
あれ?何かある。展望台かな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/8e/93d28e1b6faf98d135cacc5cb6c8d09b.jpg)
手前の木々が大きくなってて近辺が見えないけれど。遠くに伊吹島らしき影がある。ということは右手は七宝山か。見晴らしがいい。
さてと。期待したちょうさも獅子舞もなかったけれど。子供が期待するお祭りとはちょっと違うみたいだ。大人の、まあ神様への奉納の儀式がメインのお祭りなのだろう。
帰ろ!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/c6/588398e0a7ae9ac6fd0d8a45d7617153.jpg)
展望台のそばに雑木が実をつけていた。これはおそらくアレだ。冬になると黄色くなるやつ。サポニン的な。昔は石鹸代わりだったやつだと思うのだけれど。名前が出てこない。何だったかなあ?
気にしつつ急坂を降りる。
あれ?坂が途中で建物方向へ?何かしら〜??
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/82/49e971e7288542c569f3805f9d849c47.jpg)
お寺でした。しかもここ。我が家はこのお寺の檀家ではなかろうか?法事の時はダンナがここに仏具一式を借りに来てるハズ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/ed/c7e8f614b96ce07f1d31287c0cf8642e.jpg)
あ。説明板発見:宗運寺縁起抄
延暦15年(797)桓武天皇御願、右大臣藤原内麿41歳の建立。比叡山より山王権現の分身出世大黒天を迎えて鎮守とし「山王山総本寺」と称して、700メートル西の平地に七堂伽藍を構えていた。
惜しいかな、財田川、河内川に接していたため薄ウドの水災を蒙り、3度目の大洪水、天文9年(1540)に壊滅状態となる。
大檀主御家中、山下右衛門盛久隠居「宗運」を通して、生駒親正領主の庇護のもと、この高台に移転し新たに天満宮を迎えて山王駒石山天満宮宗運寺と公称されていた。
明治維新の神仏分離の制によって、本堂を中心の伽藍一帯が神社に。客殿を中心としてのこの地域が宮寺と別れたまま現在に至る」
へえ〜へえ〜へえ〜!
随分と由緒あるお寺だったのね。あ?お寺はおかしいか。高台には天満宮があるからね。多分天神さんって呼ばれてたのかも?知らんけど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/7d/b658967db48f096af82ce4b59c152ccd.jpg)
サクッとまとめた説明板もありました。
さてここで地図を再度確認すると?宗運寺さんの隣に「横穴式古墳」がある。
どこにあるのか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/6f/8c253a10084a6dd5e7c12bdd17f7922d.jpg)
探したところどうもこれらしい。
らしいというのは入り口に土嚢を積んであって中に入れない。ってか、多分古墳の上にお寺の建物が建ってる感じかな?
あ。説明板があるわ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/e1/a517e3da24b8c4f97e5807d28c97aa45.jpg)
わからんけど、建物を建てた後、古墳を見つけたのかも?だとするとあり得る。
そして私が自転車を預けたのは、天満神社の駐車場でなく宗運寺さんの駐車場だったと知る。か、帰ろ。
けどついでなので帰りにスーパーで買い物してから帰ろうと思い自転車を走らせていると、やけに近くから太鼓の音が聞こえてくるので、音源を探してみれば。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/8f/a52a344762cd518e367783c4d4ec7d46.jpg)
あれ、ちょうさじゃないの?
追いかけてみる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/61/c51f3d3dff175e13c2ba79582e8e75f6.jpg)
うをををを!ちょうさだったけど。方向が逆。天満神社のちょうさならそっちへ戻るのかな?見送る。手前が雑草の荒地でなく黄金色の稲の田んぼなら絵になるんだけどな〜。
ちょうさを見送ってスーパーに向かってると、獅子舞の倉庫があった。天満神社に行くときに遠くで見た獅子舞はここのかも?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/64/b4381594bfc6015c45e445d46a89d572.jpg)
ん?道の反対側にのぼりがある。「奉納 天満宮」って書いてあるなあ?んで荒神社とある。
気になったので道を渡って確認することに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/80/b92629a28fa6bdf371e15d6afd069432.jpg)
これが荒神社か?ちっこいな。ドアなんかアルミでしょ?
説明板がない。なので考察してみる。
確か宗運寺さんの縁起に「700メートル西の平地に七堂伽藍を構えていた」とあった。
そんで「惜しいかな、最多川、河内川に接していたため数度の水害を蒙り、3度目の大洪水で壊滅状態となる」とあった。
で、天満神社の説明文には「慶長11年(1606)、山下盛久が天満宮を再営し元和年間(1610年ごろ)に生駒壱岐の守が社殿を再建した」だっけ?
ここで注意せねばならんのは再建したのは江戸時代に入ってから。で、確かこの辺りは長宗我部が攻めてきた場所なので、おそらく戦国時代には大きなお寺はほぼなかったんじゃなかろうか?大概大きな寺は戦いのときに本陣として利用されるもんだし。ということは、この荒神社はかつて大伽藍を構える神社の一部だったんじゃないかな?で。現在はこう。それに背後は現在は財田川だもの。
おそらくそうだと思う。大きく外してないと思うけどどうだろうか?
自転車をスーパーに走らせながら考察していたら、また太鼓の音が聞こえてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/2d/a750cf298792192e3ee619cb527a4676.jpg)
あ。獅子舞見っけ!随分広い地域を回ってるのね。