松原神社の正面側の階段を降りたところで、参道らしき道の奥に時代がかった建物が見えた。
今回は明治の邸宅を巡るのが目的なので、時代を帯びた建物には興味がある。
いそいそ依って行くと、トップ画像の建物がありました。
あ。立て看板発見。
「小田原宿なりわい交流館…この施設は、昭和7年に建設された旧網問屋を再整備し、市民や観光客の皆様の『憩いの場』として、平成13年9月に開館しました。誰でも立ち寄れる『お休み処』や市民活動の発表の場として、気軽にご利用いただけます。
開館時間…4月-10月 10:00-19:00 11月-3月 10:00-18:00
休館日…年中無今休
入館料…無料」
そうなのか。いいなあ。
え~と?今、何時だっけ?
………午前9時16分!!
まだ~開いてない~~。
建物は出桁造りです。
出桁造りとは、柱の上に載せた太い桁を店の前面に何本も突き出し、そこに軒や屋根を載せた江戸時代から続く伝統的な商家の建築方法。
閉まってるので、内部の様子はわかりません。
こちらは建物の後ろ側ですが、午前の太陽の光に照らされて木の風合いがよく観察出来ました。
さて、次は~?
あれ?地図によるとこの近所に『明治天皇宮ノ前行在所跡』というのがある。どこだろう~?
ありました!説明の立て看板もありました。『明治天皇宮ノ前行在所跡は、明治天皇が宿泊した清水金左衛門本陣のあった場所です。正碑は高さ2、73メートルの小松石の総磨で、碑面に「明治天皇小田原行在所址」と刻んであります。副碑には由来が刻まれています。
清水金左衛門本陣は、小田原宿に4軒あった本陣のうちの筆頭で、清水金左衛門家は江戸時代に町年寄も勤め、宿場町全体の掌握を行っていました。本陣の敷地面積は、およし240坪で、大名、宮家などの宿泊にあてられました。
明治天皇が宿泊したのは、明治元年(1868)10月8日の御東行の際を初めとして5回を数えます。明治天皇聖跡小田原町保存会は、この土地を買収して、昭和15年に整備工事を着手し、昭和15年10月に落成しました。」だそうです。
小田原宿なりわい交流館の裏手を撮影し、ふと見るとそこは昭和レトロな細い道でした。
ウキウキとそぞろ歩く。
普通の民家のようなのですが、こんなに素敵な建物がっ!!
ああっ!!
あれに見えるのはもしやして~~っ!!!
海ですっ!!
今回は明治の邸宅を巡るのが目的なので、時代を帯びた建物には興味がある。
いそいそ依って行くと、トップ画像の建物がありました。
あ。立て看板発見。
「小田原宿なりわい交流館…この施設は、昭和7年に建設された旧網問屋を再整備し、市民や観光客の皆様の『憩いの場』として、平成13年9月に開館しました。誰でも立ち寄れる『お休み処』や市民活動の発表の場として、気軽にご利用いただけます。
開館時間…4月-10月 10:00-19:00 11月-3月 10:00-18:00
休館日…年中無今休
入館料…無料」
そうなのか。いいなあ。
え~と?今、何時だっけ?
………午前9時16分!!
まだ~開いてない~~。
建物は出桁造りです。
出桁造りとは、柱の上に載せた太い桁を店の前面に何本も突き出し、そこに軒や屋根を載せた江戸時代から続く伝統的な商家の建築方法。
閉まってるので、内部の様子はわかりません。
こちらは建物の後ろ側ですが、午前の太陽の光に照らされて木の風合いがよく観察出来ました。
さて、次は~?
あれ?地図によるとこの近所に『明治天皇宮ノ前行在所跡』というのがある。どこだろう~?
ありました!説明の立て看板もありました。『明治天皇宮ノ前行在所跡は、明治天皇が宿泊した清水金左衛門本陣のあった場所です。正碑は高さ2、73メートルの小松石の総磨で、碑面に「明治天皇小田原行在所址」と刻んであります。副碑には由来が刻まれています。
清水金左衛門本陣は、小田原宿に4軒あった本陣のうちの筆頭で、清水金左衛門家は江戸時代に町年寄も勤め、宿場町全体の掌握を行っていました。本陣の敷地面積は、およし240坪で、大名、宮家などの宿泊にあてられました。
明治天皇が宿泊したのは、明治元年(1868)10月8日の御東行の際を初めとして5回を数えます。明治天皇聖跡小田原町保存会は、この土地を買収して、昭和15年に整備工事を着手し、昭和15年10月に落成しました。」だそうです。
小田原宿なりわい交流館の裏手を撮影し、ふと見るとそこは昭和レトロな細い道でした。
ウキウキとそぞろ歩く。
普通の民家のようなのですが、こんなに素敵な建物がっ!!
ああっ!!
あれに見えるのはもしやして~~っ!!!
海ですっ!!
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