時は2016年6月4日。
春4月、都内でも有数の桜の名所目黒川へダンナと桜散歩に行くつもりで、小田急相模原ー中央林間駅間の回数券を購入。ところが突然の雨でダンナの休める土日まで見ごろがもたなかったのね。そして回数券は使われないままに…。
時は流れ既に6月、ふと回数券を思い出し目をやると有効期間が迫っていた。ならもう目黒川にこだわらず、東急沿線散歩に目的をシフトチェンジ。ええ。東急のお得きっぷ、ワンデーパスがあるじゃないか!
九品寺〜目黒不動尊〜林試の森(昼食)〜洗足池公園(勝海舟のお墓)を組んでみた。ってな事で、東急に乗って10時半、最寄駅の九品仏駅に到着。
九品仏駅はありそうでない構造だった!だってさ、この構図は鉄道好きにはたまらんでしょ?利用者はもどかしい作りだろうが…。
東急九品仏駅を出て左に顔を振ると、参道が見える。
今どき大きな参道が、街中に残ってるのがもう珍しい。だってここ、東京都世田谷区なんだもの。
あ。本日最初の目的地九品仏は通り名で、正式には九品山唯在念仏院浄真寺といいます。元々は世田谷吉良氏の奥沢城。秀吉の小田原征伐の後廃城になる。江戸時代の寛文年間に近所の名主が寺地として貰い受け、1678年(延宝6年4代徳川家綱の治世)浄真寺を開山した。
素敵な参道でしょ?突き当たりに見えて来たのが総門かな?これ。
扁額が目立ってるなあ〜。
た・達筆過ぎて最初の文字が読めない…。何つーの?英語より昔の字が読めないのってどうよ?日本人なのに…。ざ〜ん〜ね〜ん〜。
さて、総門を抜けると目の前に広い広い庭が広がっていた。
す、すげえぜ!新緑というには遅い6月4日に訪問したのを少し残念に思うあとひと月、いやあと半月早く来るともっと素敵な木々の新緑の競演が楽しめたんだろうなあ〜。
あ。紹介だった。総門を抜けてまず気付くのは、石仏達。
はい。撮影に失敗しました。今どきまだ二つ折りの携帯電話で撮影してるから?でもこの携帯去年の5月に買ったばかりなのですよ。ええ。私のブログを毎日チェックして下さってる方はピンと来ましたよね。ベトナムのフエの川でファイバリットなMY携帯電話を川底に沈めてしまいました。んでこの機会に二つ折りからスマフォに切り替えたかったのですが、AIU保険が原状回復でないとお金が出ないっていうからさ〜。仕方なかったんや〜〜。でも買い替えた二つ折りの携帯電話は確か3万〜4万したのに、AIU保険は1万5000円くらいしか補償金が出なかったんだよな。確か。
石仏達を見物した後、近くにあるお堂へ。と??これ、えんま様じゃん!という事はえんま堂?かな?納められているえんま様の像はなかなかのサイズ。えんま様を祀ってるお寺は寺院散歩をしていると、まま見かけますが、本尊でもないのにこのサイズの像は珍しいんじゃないかな?だってここ東京都なんですよ(本日2回め。しつこい?)
道なりに進むと、読経が聞こえて来た。引かれて音源を探すとまたお堂がある。階段を上がる。堂内で黒い服を着た一団が見えた。どうやら葬式ではないけどそれに準じた仏教の儀式の最中らしい。こういうの何て言うんだっけ?法事かな??うちの田舎じゃ法事の時はお坊さんが各家に来てお経してくれるんだけど。
そ〜っとお暇して戻る。境内で存在を主張する大きな楼閣。これさ、30メートルあるんだってさ。あ。今日のブログのトップ画像がそれね。
楼閣の左右には2体の仁王像が納められている。
あ。説明板発見:紫雲楼(仁王門)楼上の二十五菩薩
当山に参詣される人々は、この楼上に安置してある阿弥陀如来と二十五菩薩に迎えられて、三仏堂へと足を運ぶことになる。すなわち紫雲の門より内は荘厳な浄土(彼岸)であることを示している。この楼閣は寛政年間の建立である。当山の伝統相続行事である「二十五菩薩来迎会」(お面かぶり)は無形文化財に指定せられ、この楼上の二十五菩薩は、来迎の真髄を示現していることなる。
へえ〜へえ〜へえ〜。って事は、この楼閣はお寺が出来た当初から燃えずに残ってるのかな?
あ。説明板がもう一つ。鐘楼?あ。あれか。
ん?なんか、素敵な彫刻があるような…。
はい!撮影に失敗しました〜。素敵な彫刻が見たい方は、ぜひとも直接足を運んで下さい。
あ。説明板な。
鐘楼…仁王門とは対照的に、流麗な建築手法を示す鐘楼は関東でも名楼との誉れ高く、宝永5年(1708)の建立である。梵鐘は文化財に指定されており、今に残る深沢の名家谷岡氏のご先祖が二親菩薩のために鋳造され(宝永5年)、当山に寄進されたものである。また楼の四周に刻まれた十二支は作者不詳であるが、名作として特に有名である。
毎年大晦日より元旦にかけて、除夜の鐘に遠近の参拝者でにぎわっている。
う〜む。見所いっぱい。長くなっちゃったので、続きは明日。
春4月、都内でも有数の桜の名所目黒川へダンナと桜散歩に行くつもりで、小田急相模原ー中央林間駅間の回数券を購入。ところが突然の雨でダンナの休める土日まで見ごろがもたなかったのね。そして回数券は使われないままに…。
時は流れ既に6月、ふと回数券を思い出し目をやると有効期間が迫っていた。ならもう目黒川にこだわらず、東急沿線散歩に目的をシフトチェンジ。ええ。東急のお得きっぷ、ワンデーパスがあるじゃないか!
九品寺〜目黒不動尊〜林試の森(昼食)〜洗足池公園(勝海舟のお墓)を組んでみた。ってな事で、東急に乗って10時半、最寄駅の九品仏駅に到着。
九品仏駅はありそうでない構造だった!だってさ、この構図は鉄道好きにはたまらんでしょ?利用者はもどかしい作りだろうが…。
東急九品仏駅を出て左に顔を振ると、参道が見える。
今どき大きな参道が、街中に残ってるのがもう珍しい。だってここ、東京都世田谷区なんだもの。
あ。本日最初の目的地九品仏は通り名で、正式には九品山唯在念仏院浄真寺といいます。元々は世田谷吉良氏の奥沢城。秀吉の小田原征伐の後廃城になる。江戸時代の寛文年間に近所の名主が寺地として貰い受け、1678年(延宝6年4代徳川家綱の治世)浄真寺を開山した。
素敵な参道でしょ?突き当たりに見えて来たのが総門かな?これ。
扁額が目立ってるなあ〜。
た・達筆過ぎて最初の文字が読めない…。何つーの?英語より昔の字が読めないのってどうよ?日本人なのに…。ざ〜ん〜ね〜ん〜。
さて、総門を抜けると目の前に広い広い庭が広がっていた。
す、すげえぜ!新緑というには遅い6月4日に訪問したのを少し残念に思うあとひと月、いやあと半月早く来るともっと素敵な木々の新緑の競演が楽しめたんだろうなあ〜。
あ。紹介だった。総門を抜けてまず気付くのは、石仏達。
はい。撮影に失敗しました。今どきまだ二つ折りの携帯電話で撮影してるから?でもこの携帯去年の5月に買ったばかりなのですよ。ええ。私のブログを毎日チェックして下さってる方はピンと来ましたよね。ベトナムのフエの川でファイバリットなMY携帯電話を川底に沈めてしまいました。んでこの機会に二つ折りからスマフォに切り替えたかったのですが、AIU保険が原状回復でないとお金が出ないっていうからさ〜。仕方なかったんや〜〜。でも買い替えた二つ折りの携帯電話は確か3万〜4万したのに、AIU保険は1万5000円くらいしか補償金が出なかったんだよな。確か。
石仏達を見物した後、近くにあるお堂へ。と??これ、えんま様じゃん!という事はえんま堂?かな?納められているえんま様の像はなかなかのサイズ。えんま様を祀ってるお寺は寺院散歩をしていると、まま見かけますが、本尊でもないのにこのサイズの像は珍しいんじゃないかな?だってここ東京都なんですよ(本日2回め。しつこい?)
道なりに進むと、読経が聞こえて来た。引かれて音源を探すとまたお堂がある。階段を上がる。堂内で黒い服を着た一団が見えた。どうやら葬式ではないけどそれに準じた仏教の儀式の最中らしい。こういうの何て言うんだっけ?法事かな??うちの田舎じゃ法事の時はお坊さんが各家に来てお経してくれるんだけど。
そ〜っとお暇して戻る。境内で存在を主張する大きな楼閣。これさ、30メートルあるんだってさ。あ。今日のブログのトップ画像がそれね。
楼閣の左右には2体の仁王像が納められている。
あ。説明板発見:紫雲楼(仁王門)楼上の二十五菩薩
当山に参詣される人々は、この楼上に安置してある阿弥陀如来と二十五菩薩に迎えられて、三仏堂へと足を運ぶことになる。すなわち紫雲の門より内は荘厳な浄土(彼岸)であることを示している。この楼閣は寛政年間の建立である。当山の伝統相続行事である「二十五菩薩来迎会」(お面かぶり)は無形文化財に指定せられ、この楼上の二十五菩薩は、来迎の真髄を示現していることなる。
へえ〜へえ〜へえ〜。って事は、この楼閣はお寺が出来た当初から燃えずに残ってるのかな?
あ。説明板がもう一つ。鐘楼?あ。あれか。
ん?なんか、素敵な彫刻があるような…。
はい!撮影に失敗しました〜。素敵な彫刻が見たい方は、ぜひとも直接足を運んで下さい。
あ。説明板な。
鐘楼…仁王門とは対照的に、流麗な建築手法を示す鐘楼は関東でも名楼との誉れ高く、宝永5年(1708)の建立である。梵鐘は文化財に指定されており、今に残る深沢の名家谷岡氏のご先祖が二親菩薩のために鋳造され(宝永5年)、当山に寄進されたものである。また楼の四周に刻まれた十二支は作者不詳であるが、名作として特に有名である。
毎年大晦日より元旦にかけて、除夜の鐘に遠近の参拝者でにぎわっている。
う〜む。見所いっぱい。長くなっちゃったので、続きは明日。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます