あられの日記

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杉並さんぽ3 大田黒公園

2018年06月09日 05時10分59秒 | ぶらぶら散歩
2018.5.20訪問。 11時34分、大田黒公園到着。

いただいてきたパンフレットによりますと、「大田黒公園は、大田黒元雄氏の屋敷跡を杉並区が日本庭園として整備し、昭和56年10月1日に開園したものです。大田黒氏は86歳で逝去するまで47年間余りにわたって、この地で大楽活動を続けられ晩年を過ごされました。
この公園の約30%に当たる、2.679.63平方メートルは公園にしてほしいとの氏の遺志により、ご遺族から杉並区に寄付されたものです。公園化に際し、できる限り原型保存を図り従前からあった池の再現をしました。園内には樹齢100年を超える銀杏並木をはじめ、ケヤキ、クロマツ、アカマツ、シイノキなどの巨木がうっそうと茂っています。

70メートルの御影石の両脇に樹齢100年を経た27本の大銀杏が並んでます。
また、数奇屋造りの茶室、民家の土間を思わせるような休憩室の他に、
数奇屋造りの茶室8畳、水屋5畳、貸出されてます。
氏の仕事部屋であったベンガラ色の記念館が保存されています。
昭和8年に建築されたもの。平成28年国の登録有形文化財に登録。
記念館の室内には、生前氏が愛用されていたスタンウェイ社製のピアノや蓄音機などが残されています。
正門(トップ画像)を入ってすぐの見事な銀杏並木に圧倒されしばし見惚れる。
これさ、銀杏が黄色に染まる頃に再訪したいなあ。黄色に染まった光景も素敵だろうなあ。

土間のような休憩室とパンフレットに紹介されてた場所からお庭を撮影。画面では分かり難いのですが、上の画像奥左に向かい高低差を利用して池まで細い渓流のように流れがあります。渓流の感じが素敵だったので、撮影したかったのですが、あいにく剪定作業で散策路が一部通行止めになってて写せませんでした。
流れを追いかけると池。

周囲には楓が植栽されてます。11月末から12月初旬に園内に60本以上あるモミジが紅葉するときにライトアップイベントを実施してるとか。

庭の周囲で残念がってるおじさんがいた。会話を漏れ聞くに「さっきカワセミが池にダイブしたけど、見とれててカメラを構える損なった。もう一度来ないかと待ってるんだ」だって。わたし的には新緑を池に写してるだけでは寂しいと思ってたから、カルガモがモデルで満足ですけども。さらに極上のモデルを見た後だけに、おじさんは諦めきれない模様です。
鳥の撮影はな〜待ちが基本。ようやくのシャッターチャンスを逃しちゃいかんのじゃ。
池にはなぐり仕上げの東屋があって、周辺にベンチが設置してあったのでそこで軽くパンをいただいた。代々木公園のベトナムフェスで軽くチキンフォーを食べたばっかりだったけどね。追加です。

記念館は1階が内観できます。

スタンウェイが存在感を誇示するように窓際にど〜ん!と置いてあります。

このスタンウェイ少し外観が変わってて、箱根の寄木細工みたいな装飾が。アップで撮影したけどピンボケ画像になっちゃいました。
書棚にはかつて大田黒氏の所蔵した楽譜が並んでたのでしょうか?

閲覧資料には音楽評論家の大田黒氏が日本に初めて紹介した作家ドビッシーの記事などがありました。
スタンウェイピアノは古すぎて使用不可になっていたのを有志が頑張って再生。時折コンサートを開いてるとか。

照明などは昔のままだそうで。

記念館の玄関の脇から茶室外観を撮影。

旧大田黒家住宅蔵。いただいたチラシによりますと、
「現在は公園管理の倉庫をして利用してるので非公開。昭和8年ごろ築、平成28年11月29日、記念館と併せて国の登録有形文化財になりました。
画像は催事広場から撮影。外観はモルタル塗り。外壁上部は土蔵風に八巻きがかたどられています。窓は鉄格子をはめて鉄扉、昭和戦前期の邸宅の様相を今に伝える蔵となっています」
さて、移動です。予定では催事広場から外に出るつもりだったのに、門から出入りできない。正門を回って移動なんだけど、ルートは??

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