あられの日記

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西武ゆり園と狭山不動尊

2013年07月29日 05時18分17秒 | 神社・仏閣
西武ゆり園の散策路の最後に現れるのは、丘から見下ろす色分けのゆり畑です。

その手前、脇道に散策路を見つけたので入ってみたら…。



素敵です。でもやはり今年はゆりの花が少なめかな~?これは空梅雨つーか、小雨の影響の模様。

花数が少なめなので色が寂しいけど、でも充分綺麗なので記念撮影してゆり園を後に。
ここが思案のしどころです。
実は、西武ゆり園と狭山不動尊は隣接してるのです。
神社・仏閣は基本参道&山門から拝観する主義なんだけどね。山門は里山の下にあるの!
あ。現在地はこんな感じです。

黄色で○をつけたのが現在地。
本来は境内見取図の左上、水色の矢印のつけてある勅額門から参拝するのが正式なルートです。
でも境内見取図をよく見て欲しい。御成門を抜けると長い階段があるのね。つまり、現在地から正式なルートで参拝しようとすると、一旦里山を降りて、また山を登らねばならんのです!
…そんなん嫌~~っ!!
時期は6月18日、ぼちぼち夏の声も聞こえる気温。わしらはオバさんなのだ。体力の温存の前には正式な参拝ルートはどうだっていい!!
歴史好きの風上にもおけないセリフを吐いて、狭山不動尊の境内へ入ります。
すぐ見えて来たのは丁字門です。

説明板発見:丁字門
元、東京芝にある徳川家崇源院霊牌所の通用門として、寛永9年(1632)三代将軍徳川家光公が建立したものである。建築の細部手法・色彩等に江戸初期に見られる特有な階調を示し、唐様な基調としているが、自由な扱いをしているところに特徴がある。
現在国指定の重要文化財となっている。
なお、崇源院は二代将軍徳川秀忠夫人・太閤豊臣秀吉の側室淀君の妹にあたる。
構造形式 平唐門 銅板葺き
 昭和50年4月26日 天台宗別格本山 狭山不動尊寺」だそうで。
つまりだ!この門は秀忠の奥さん、つまりお江の方のお墓の通用門だったのね。んで、息子である家光が母お江に造ったのだ。



え~、ここで既出記事の芝増上寺を思い出して欲しい。
お江と秀忠の墓(2012年3月1日)の記事 こちらの記事にかつて焼失前の墓所の配置図の画像などがあります。
徳川将軍家の墓地は、上野の寛永寺と芝増上寺の二つ。徳川十五代後半は、上野寛永寺と増上寺に将軍が交互に葬られてます。
んで、芝増上寺は第二次世界大戦の終盤、空襲により焼失してしまったのね。
増上寺の墓所は広大で、かろうじて焼失を逃れた建物のうち、西武グループがプリンスホテルを建設する際、敷地内に残存した遺物や、日本各地の文化財を狭山不動尊に集めたのです。当時、西武オーナー、堤義明氏と親交があった寛永寺の助力で、天台宗別格本山として狭山不動尊は1975年(昭和50)に建立されたのです。だから、よく神社・仏閣を紹介する時の基本情報として書く、「開基」は堤義明氏になります。
あ。ちなみに、西武ライオンズは毎年ここで必勝祈願してるそうです。
という基本情報を踏まえて、カオスの境内案内は明日へ続きます…。
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