時は今年7月2日に遡る。
前夜は花火が上がり、家の前の道をたくさんの人影が通っていた。祇園さんは夜店を冷やかすのが面白いお祭りだった。人混みが嫌いな私は、翌日も祇園さんは続くので明日お参りに行こう!と見送ってしまった。
さて翌日、実は実家の母から連絡があって、おばさん所に連れて行ってくれるという。確か大量のじゃがいもをあちこちに配っていた時に、おばさんところにも持っていきたい。ついては家を知らないので連れて行って欲しいと、私から母に頼んだのだった。のを今、思い出した。
ともあれ、おばさんとは田舎に戻って初めて会う。おばさんが午前中だけ時間が取れると言うのですぐに母と訪問した。
久々に会うと話も弾む。うっかり時間の許す限りおしゃべりしておばさん宅を後にした。自宅まで母に送ってもらった後、自覚がないだけで疲れてたみたいでうっかり昼寝してしまった。
気づくとまさかの午後3時になっていた。こんなに遅くて祇園さんまだやってるのかしら?
いや、迷うくらいならすぐ自転車を飛ばすのだ!と。
前夜、ダンナは一人で人混みをものともせずに見に行ったらしい。曰く「幼稚園が駐車場になっていた。満車で停められない人はふれあい公園に停めて祇園さんに徒歩で行っていた」と教えてもらっていたのですが。幼稚園の駐車場に車は停まってなかった。私が小さな頃に来たことあった祇園さんは道沿いにたくさんの夜店があったのに。何もない。
嫌な予感がしつつ祇園さんに向け自転車を走らせると?公民館の隣の広場に一つだけ、店じまい中の出店があった。
やはり遅かったのだ。お祭りは終わってしまったのだ。
とはいえ、来ちゃったからには神様にご挨拶せねば。
人影のない参道。奥まで自転車で進む。終点に駐車場。ここまで来るとまばらに車が停めてある。
自転車を邪魔にならない隅っこに寄せて停める。
振り返る。やっぱ誰もおらん。寝坊したのが敗因だけど。祇園さんのお祭りは昨日今日の2日間だ。なのにまさかのひと気のなさにビビる。
狛犬発見。一応画像撮影。
手水鉢。何か刻まれている「征清兵士凱旋報●」最後の一文字が読めないね。
ってか日本における「征清」とくれば日清戦争だろう。あれは確か1894年(明治27)から翌年にかけてだったハズ。
あれ?そういえば、さっきの鳥居に。画像再生&切り抜き
右の柱に明治41年と刻んである。明治41年は日清戦争から13年後だから関係あるかないか微妙なところだなあ。
ん?それより名前名前「須賀神社・八幡神社」を併記してある。どういうこっちゃ?
周りを見回したけども説明板はなかった。のでwebで検索かけてみる。
「山本町にある須賀神社は、二柱の神様(須賀神社と八幡神社)が仲良く並んで鎮座するちょっと珍しい神社。
江戸時代までは「祇園宮」と呼ばれていたため、今でも地元民には「大野の祇園さん」と呼ばれて親しまれている」とある。
詳しい縁起が出てこない。なんでや〜!ちなみに続きがあって「毎年7月に行われる夏祭りは「祇園祭」と呼ばれている。参道の両側にはたくさんの露店が並び、花火も打ち上げられる賑やかなお祭り。獅子舞の奉納もあり、多くの参拝者で賑わいます」
くっ!寝坊して獅子舞の奉納が見れなかった〜。しまった〜。やらかした〜。確か去年まではコロナで自粛してこじんまりとした祭にせざるを得ず。今年は久々に通常開催になったのにな。また来年じゃ!
さて、参拝せねば。手水鉢ですが、氏子さんが柄杓を洗うので回収したのかな?置いてない〜。
肩を落とし石段を上がる。里山の中腹に神社があるので、まず石段を上がらないといけないのですよ。
うん、わかってた!お祭りのあれこれも撤収済みでした。
上の画像をご覧下さい。奥に仲良く2つ奥社があります。どちらかが須賀神社さんでどちらかが八幡神社です。
お祭り気分さえ味わえない。自分が悪いんだけども。
さ。帰るか。
振り返っってびっくり。さっき石段を登った時には気づかなかったけど。巨木ではなかろうか?大きな木が斜面に立ってるので、巨木を測るルールで計測できない。
ちなみに環境省の巨木定義によりますと「巨木とは地面から130センチの幹周りが300センチ以上の木のこと」です。
目測でそれくらいあると思う。斜面が自然の土なので地面から130センチを測るのも難しい。そして幹周りも計測できん感じだけどさ。
でも立派な木だなあとしばし見ほれる。
あれ?反対側の木も大きいみたいだ。
くっ。この木も根元は斜面にある上に周囲を細い木々が取り囲んでいる。
もしやひこばえか?どっちにしてもこの木も計測は難しい感じだ。一応記事をかくにあたり環境省の巨木データーをあたってみた。
載ってた。マジか。
須賀神社:クスノキ 樹高15メートル 幹まわり500センチ 樹齢不明 確認年1988年
もう1本は私のスキルが低く、何の木か特定出来ず。最初に木の種類を特定しないと、巨木データーは使いにくいのだ。けどまさか掲載されているとは!どちらの巨木好きが測ってくれたのだろう?巨木好き、侮れん。素敵〜。
さて。帰ろ。ってか、お祭りっぽさが残ってたのは石段を上がったところの石灯籠2基に灯りが灯されてたところだけ〜。がっくり感が酷い。だから7月の出来事なのに記事投稿してなかったのか〜。ま。話題に乏しい記事ですまんのう〜。
追記:2023/11/26
自分ちの氏神様を知らないのもいかがなものか?と山本町誌を調べました。
八幡神社:ご祭神は品陀別命(ほんだわけのみこと)・息長帯姫命(おきながたらし)・仲哀天皇。
今から900余年前、大野郷の産土神として下大野に祀ってあったが、のち、上大野の産土神の祇園宮(須賀神社)に移して大野一郷の産土神として崇敬された。
生駒家(丸亀藩)の崇敬が厚く、元和年間に神供田として寄進され、天和2年(1682)には丸亀藩京極家より田畑・社林が寄進された。
現在の社殿は天保12年(1841)に本殿・幣殿を再建。明治5年(1872)に郷社となった。
向かって左が郷社の八幡神社。右が摂社の須賀神社。
祇園宮(須賀神社):ご祭神は須佐之男命・稲田比売命・大山祇命・大物主命・木花咲耶姫が合祀されている。
創祀年については正確ではないが、京都祇園宮の応安元年(1368)の文書に記述がある。その他の史料により、当社が勧請されたのは文永7年(1270)ごろであろうと思われる。大野郷が京都祇園宮の社領であり、現在も神田・庄の側・神内の地名が残ってることからも、京都祇園宮の祭神である牛頭大王(須佐之男命)を産土神として祭祀したことは当然のことと考えられる。
明治維新の際、須賀神社と改称。明治18(1885)年に本殿と幣殿を再建されて今日に至る。
祭典は毎年旧暦の6月7日に行われていたが、近年になって新暦の7月14&15日に行われ、最近では7月の第3土曜・日曜に行われている。夏冬の疫病の防止と家内安全、子供の守り神として三観地域より10000人程の参拝がある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます