あられの日記

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増上寺の境内には?

2012年03月02日 05時08分30秒 | 神社・仏閣
トップ画像は大納骨堂です。
徳川将軍家墓所の並びに増上寺の墓所がありまして、更にその脇にありました。
貞恭庵
『十四代将軍徳川家茂公御正室、皇女和宮さまゆかりのお茶室。
昭和55年(1980)に移築・改修し、一般にも利用されるようになった。』
思うんだけどね。茶室って多いよね。あちこちにあるんだよね。しかも歴史上のビッグネームが所有してた奴!更には歴史上のビッグネームを渡り歩いた奴!!
それらの茶室が現在では一般へ無料・もしくは低価格で貸し出しされてる場合が多い多い。
いいなあ~。お茶やってる人!歴史のビッグネームが座った現場でお茶飲めるんだよ~う~ら~や~ま~すぃ~~
つらつらと思い出してみる。
上野の国立博物館の庭は、あれはそもそもは寛永寺の庭だった。あそこにも茶室が点在してた。 東京国立博物館庭園開放(2009年12月21日)の記事
小田原の松永記念館。あそこにも茶室。 松永記念館と老欅荘(2011年11月18日)の記事
横浜の三渓園にも茶室。 ポスターになった春草盧(2011年1月6日)の記事三渓園の記事は複数投稿してたので1個だけピックアップ
大田区、池上本門寺にも茶室。秘密の名園で散歩(2009年10月6日)の記事
ちょっと思い浮かべただけで出て来る出て来る~。
増上寺の経蔵。徳川幕府の助成で建立。収蔵された宋版・元板・高麗版の各大蔵経は、家康公の寄進したもので、国の重要文化財。普段は見られませんが、11月の東京都文化財公開ウィークで公開されています。
黒門元は増上寺方丈の表門で、旧方丈門です。三代将軍家光公の寄進・建立とされ、慶安年間(1648-1652)の建立とされてます。
昭和55年(1980)に増上寺通用門として日比谷通り沿いに移築しました。
が、画像を撮りそびってしまった~。だって、通用門といいつつ、黒門ってでかいんだよ。…まあ、三解脱門よりは小さいけどね。とても黒門をちょっと歩道から撮影なんか無理っ!写したければ、道の反対側からじゃないと~。んで、後で写そうと思ったのに、後で写すの忘れてしまったのだ…。またいつか増上寺を訪問しないと…。
黒門をくぐって西隣の芝公園へ向かう。
徳川秀忠の霊廟の惣門を最近復元したもの。
本物は寛永9年建造(1716)ですが、増上寺が昭和20年に空襲され殆どの建物を焼失。その時惣門はかろうじで残りました。現在は、日比谷通り沿いの東京プリンスホテル前に残ってます。ちなみに、東京プリンスホテルもかつては増上寺の境内でした。
惣門の屋根を見上げると、三葉葵の御紋がたくさんついてました。
惣門をくぐると、すぐに階段がある。そこも上がると、何やら石の遺構がある。
何?コレ??
説明板発見!「この石は、かつてあった徳川秀忠公の霊廟の前に巡らしてあった水路の跡です」
へえ~へえ~へえ~~っ!!!
実は東京タワーに行ったことある人はご存知でしょうが、増上寺の三解脱門をくぐると、奥に進むに従って小高くなってるんですよ。ですからね。秀忠の霊廟も小高い丘の上にあるんです。
…水って低い所に流れるよね?ということは、秀忠の霊廟前にあった水路は、当時の技術を駆使して作ってあったんじゃないかな?今、石しか残ってないのは無念じゃ。

水路跡を抜けた先にかつての秀忠の霊廟の勅額門跡があります。その先に広い空間があります。ここにかつて壮麗にして華麗な秀忠の霊廟があったのです。現在は東京タワーが良く見えるスポットです。ほら東京タワーが主役。
ちなみに、霊廟はお墓ではありません。だから、徳川家康の霊廟が日本各地に残ってたりします。秀忠のお墓は霊廟で法要した後、左手にあった奥院・宝塔の中にありました。
昨日紹介したこれですね。
空襲ですっからかん!と燃えてしまい、現在は東京プリンスホテルパークタワーが建ってます。
散策路に従い更に左手を進む。と。芝丸山古墳が見えて来ました。
丸山古墳は前方後円墳。全長110メートル・後円部径約64メートル、くびれの部分は幅22メートル。都内最大級の規模でした。
ということは~、増上寺近辺って古くから霊場ってゆーか、流行りのパワースポットじゃないかしら!?
さて、目的地は芝東照宮です。丘を降りねばなりません。
丘を降りると、「何じゃこれぇ~~~っ!!雪がっ!!雪がぁ~~~!!」
もうね。既に雪じゃなくて氷ですよ。南国育ちの私には凍った雪の上を滑らずに歩くスキルはありません。ツルツルするのをへっぴり腰で進んでいると、あっこさんは気にすることもなくサクサク進んでいます。
あっこさんは彦根の人なんです。新幹線で西へ行くと、関ヶ原周辺だけ雪!という事が多々あるでしょ?彦根は関ヶ原の近くなんですよ。だから雪道はへっちゃらなんですね。う・うらやましい~。
あっこさんに雪道を歩く極意を伝授してもらいつつ進んでいくと、芝東照宮に到着しました。

芝東照宮はかつて安国院(初代家康)霊廟でした。明治6年、時の政府の神仏分離令により増上寺から独立しました。んでもって、芝東照宮も空襲で被災。現在の東照宮がショボいのはその為。
あれ?
東照宮って、家康が駿河で亡くなり、日光へ遺骸を移す時に通った殯の道に点々と残ってるんじゃなかったっけ??駿河から日光への道程で、江戸にある増上寺に寄り道しなかったよね??なのに何故にここに東照宮があるのか?
説明板発見!「元和2年(1616)家康は死去に際して、還暦の記念に自らの像を刻んだ「壽像」を祭祀する社殿を増上寺に建造するよう遺言しました。これが芝東照宮の起源です。
その後、3代将軍家光により寛永10年(1633)に新社殿が造営されました。駿府城から移築された惣門・福岡藩主黒田忠之が寄進した鳥居・本殿の周囲に拝殿・唐門・透塀が造営された。
しかし、昭和20年5月25日の東京大空襲により「寿像」と神木のイチョウを残し焼失しました」
う~む。諸行無常です。
さて、芝東照宮の並びに都営地下鉄三田線芝公園駅があります。ここを降りて~。
ん?
ここを降りても日本橋駅へ行けないんじゃ~??んでもって、次の目的地の和菓子屋へも行けない~。
と。一旦降りかけた階段を止めて上がったんですが、これが…この日の判断ミスでした。
何故私は芝公園駅から隣の御成門駅へ移動しなかったのか…。延々歩いて移動しちゃいましたよ~~。何やっとるんじゃ!!アホか~~~ッ!!
このミスは後々まで響いてしまいます。   
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