あられの日記

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ランチをとらねば

2010年11月08日 04時02分49秒 | おいしい&スイーツ
馬車道を逸れて西へ。
横浜もののはじめ巡りを続けます。次いでに歴史史跡にも。
あれ?
なんか、アール・デコっぽい建物がある。直線と窓がデコっぽい。
横浜銀行協会:大熊喜邦・林豪蔵設計/1936年
気になるけど今日はパス。でないと目的巡りの時間が足りなくなるので。

またあった。
これは旧三井銀行横浜支店です。この建物は知ってます。資料によりますと、
「昭和6年。
設計はアメリカの建築事務所、トロウブリッジ&リビングストン。東京日本橋の三井銀行本店を手がけた後に横浜支店も手がけた。
本館はコリント式による古典主義建築で、支店はイオニア式が採用されている。内部にはコリント式の列柱が見られる。古典主義による銀行建築の代表例の一つ。」とあります。
銀行建築か~。だから銀行の建物ってどこも威圧的で似た様な空気感を持ってるんですかね?
うう~~。
お腹すいた。
馬車道で食べてから移動するんだった。この辺りはビルばかりで、飲食店がない~~。
なんとか見つけた先で本日のランチ。それがトップ画像。
食欲を後回しにして歩いていたため、既に14時近いずいぶん遅めのランチとなりました。
ランチタイムもあとわずかということで、本日のランチは-100円引きの620円でした。ラッキー。でも塩分制限があって辛いのダメ~。更にグレープフルーツはドクターストップ!ちっ。もったいない~~。
あ、ダイエットにはもったいないは敵だっけ?
さて到着したのはここ。
旧開港記念横浜会館です。説明文によりますと。
「横浜開港50周年を記念して建てられた建物で赤煉瓦と花崗岩をとりまぜた辰野式フリークラシックのスタイル。東南隅に高塔(時計塔)、西南隅に八角ドーム、西北隅に角ドームをあげ、高塔は「ジャック」の愛称で親しまれている。関東大震災で内部を焼失したが、RCの柱梁を入れて復元、昭和63年には屋根を復元して、現況の姿となった。
建築年代大正6年(1917)
国指定重要文化財
設計 福田重義」とありました。
ここ、今でも現役の横浜市中区の公民館?です。当日もあちこちの部屋が使用中でして、講堂を見られませんでした。
開港記念会館はまた別記事で説明するとして、まずは外にある碑のチェック!
 
「町会所跡
この地に、明治7年(1874)4月に竣工した石造2階立て屋上に高塔のある建物は、横浜市制施行の明治22年まで横浜の町政を執った町会所でした。
「時計台」の愛称で親しまれ、横浜の名所となっていました。明治23年横浜貿易商組合会館と改称し、その後横浜会館と改めましたが、明治39年12月に類焼により焼失しました。
跡地に開港50年を記念して現在の建物が大正6年に竣工しました。
またこの地は開港期より明治初年まで、岡倉天心の父勘右衛門が支配人をしていた石川屋(越前藩(福井県)の生糸売り込み店があったところです。」とありました。
ということで岡倉天心誕生の地の石碑がありました。

岡倉天心知ってます?
大概フェノロサとセットで歴史、または美術史の教科書に登場する人です。
明治期に活躍した美術家、美術評論家、美術教育者です。前出の彼の父が生糸を外国に輸出する仕事をしていた関係から、天心は幼い頃より英語に慣れていたそうで、東京大学で講師をしていたフェノロサの助手となったんだって。
フェノロサは明治政府のお雇い外国人で日本美術を海外に向けて紹介に努め蒐集もしてました。日本人に国宝という考えを植え付けたのも彼。後に岡倉天心とともに東京美術学校の設立に尽力しました。あれれ?彼ががんばって集めたから、ボストン美術館の東洋美術の蒐集品って高品質なんですかね?
フェノロサは1890年に帰国した後にボストン美術館の東洋部長として日本美術の紹介を行ったそうです。


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