あられの日記

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古い建物を撤去しました

2022年02月13日 10時58分33秒 | 雑記
ことの起こりはトップ画像です。撮影は2021/12/14でした。
ここは普段雨の日に洗濯物を干してる場所の天井です。ってか軒下です。雨漏りする物だから?と梁の上の木材をどかして見れば空が見えてるという非常事態です。ヤバいです。義母は馴染みの建設会社に連絡。まずは視認で状況確認してもらうべく来てもらったらば。驚愕の事実が判明しました。
「奥さん、奥の建物も北側に向かって傾いてるよ?」ときたもんだ。
つまりだね。空の見える軒下部分だけでなく奥の古い建物事態が歪んでいるのです。
嫁はこんないつ倒れるやもしれん建物は危ないから撤去すればいいじゃん!と思うのですが、ダンナと義母はとても思いれのある建物でした。どうも義母が嫁に来た時に最初に入った部屋なんだってさ。とはいえ、もう建物の寿命は尽きてます。保険さえ入れん建物やろ?と。で、義母はついに重い腰をあげて建設会社に軒部分と奥の建物の撤去見積もりを取ってもらいました。(諦め悪く、軒部分のみの撤去・軒と奥の建物合わせての撤去費用の2本立ての見積もりを頼んでた)
で。建設会社からの連絡待ちの間に、義母と私は奥の建物の整理に取り掛かったのですが。これがもう大変です。田舎って広いからね。取り敢えず取っておこうと思ったものは取っておけるスペースはあるのですよ。もうね。部屋を開けてすぐに撤退したくなるほど部屋にはものが積み上がってました。マジです。いつから積んであるのか謎の箱やら埃まみれのビニール袋がたっぷりと!先日記事投稿した「洞爺丸沈没」の記事はこの部屋から発掘しました。
義母は腰が曲がっており、自由には動けないので、義母が捨てる・捨てないと見極めたものを私が外に出してゴミの仕分けをする方式で。去年の8月まで神奈川県相模原市在住だった私。香川県三豊市のゴミの分別はまだまだ不慣れです。もう大変。パソコンに「ごみ分別種類・三豊市」と表示して調べつつ進めました。が。思い出してほしい。香川の12月20日過ぎはとっても寒かったのです。大体義母は既に87歳でして。義母が動けるようになるのは1日のうちに午後3時ごろから7時ごろ限定でした。その間に義母は仕分けして、私は必死にゴミを仕分け。で、義母が動けない間に義母が捨てるに分別したものから取っておくといいのでは?と思ったものをより分けて。義姉に連絡して引き取ってもらったり。個人情報の入ったあれこれを義姉が住む場所では処分する方法があるとかでこれまた引き取ってもらったりと大車輪。あ!そうだ。このときより分けた面白いものもそのうち記事にしますね。今では絶対見られないネタ的なものも多く見つけちゃいました。けど、気持ちにも時間にも余裕がない。年末がどんどん近づいてくる。義母は年内に済ませるのだと張り切り。馴染みのリサイクル屋さんに電話して呼びつけた!まだ荷物の仕分けも済んでないというのに。誰がやると思ってるのだ。
そんなこんなで。義母が高く売れる!と豪語した、嫁入り道具の着物(まだしつけ糸がついたまま)は、「値段が着くのは明治の着物」と。こちらが処分代を払うことになった。また義母の趣味の嵯峨流の生け花のあれこれ。お習字のあれこれ。編み物の作品に糸。出てくる出てくるわんさかと。これらもほとんどを義母は捨てるに分類したのですが、見事な書のあれこれを私はそっと義姉の分も含めて取り置きたり。でも人間の限界は早い。私は発熱してダウンしてしまった。12月も推し迫って。私が熱で寝込んでる間も義母は変わらず部屋の片付けを続けてました。
で。年末も推し迫った時に「お正月の準備をしないと」と言い始め。
もう仰天です。我が家は4月に義父が亡くなり、12月の辰巳のお正月をやったのに、またお正月やるんかい!寝てる場合ではなくなりました。気力を振り絞りお正月の準備を始めた私。しかも!コロナが収まってるうちにと。「遠く暮らす甥達が、子供を連れて義父の仏壇にお参りしたい」と連絡が入る。みんなコロナで去年も一昨年も帰省できなかったので切実です。けど今年の正月は曜日の並びが悪く休める日が少ないので、大晦日に行きたいのだけれど。と連絡が。しかも2軒分。もうね受けるしかないよね?幸いと言っては申し訳ないが、コロナ禍で食事の用意はせずとも良い。軽いお茶菓子と飲み物準備して。滞在時間も短くていいだろうからと了承した。義母はいつもの日課のお昼寝をしてたので起きてきて知らせた。さて大掃除。そして嫁としては我が家のお節料理を作らんといかん。しゃかりき。どうやって乗り切ったかわからん有様。
で。正月。当日も親戚から「おじいさん(義父)の仏壇にお参りしたい」と連絡があったので受けておいた。またまた義母には後で伝えた。
で。だ。
義母が突然歩けなくなったのが正月1日の夜でした。
今思えばこの時に脳梗塞を発症してた訳ですが。元々腰が悪く、食べると胃が辛くてお昼寝。毎回1日に3回の義母なので、大晦日と正月に数年ぶりに会ったひ孫に大興奮して疲れたのだろうと。軽く考えてた訳で。
で。1月3日の夜に単なる疲れではない。これはもしや脳梗塞ではなかろうか?と思い当たった私は、義姉に連絡したのです。「お母さんがおかしいのに、自分で寝て直すと言ってます。明日朝一で病院へ連れて行って欲しい」と。もうね。義母は口うるさい嫁の言葉なんか聞こえないフリよ。娘の声なら届くハズ。
1月4日に義姉にかかりつけ医を受診したら案の定で。大きな病院へ移動。この辺りの詳細は投稿済みの記事にて詳しく書いてますが。
で。ひと段落して現実が。整理途中の建物の片付けをどないしよう?
1月12日に撮影しました。
義母が年末までやってた状態がこれ。幸い半分以上は終わってた。奥の押し入れと横の物入れと。手前の荷物だけ私がやればいいのだ!
うをををををを!!!
頑張った。1月19日撮影がこれ。
そして第二ラウンドがあることを知る。実はこの建物、部屋は確かにこれだけだったのですが、倉庫が併設されていたのです。しかも入口は封印してあった。
壊すのです。封印を解いてまたまたのお片付け。けどここは大部分をダンナがやってまして。ダンナが手出しできなかった古いぬいぐるみや古着などを私が燃えるゴミやら燃えないゴミやらに仕分けていく。
あとちょっとです。聞けば、今でこそ倉庫になってるけど、かつては鶏小屋だった時代もあったのだとか。土間ですわ。で、炭の大袋は2つ見つかったので、これは私が砕いて最近知った荒れ放題のかつての農地に入れました。リアル農業第2ステージが始まったので。それについてはまた別の記事で。
そんなてんわやんやの12月から1月だった訳ですが。上の画像の軒下の具合はどんどん悪化してます。折れた軒の木の曲がり角度がどんどんエグくなってます。
上の画像の撮影日は1月19日。建設会社の人に連絡して、軒と後ろの建物を合わせて撤去する話を進めたら。撤去は2月7日からと決まりまして。
撤去が始まるまでに、遅れに遅れた家庭菜園の土づくりと。まさかのスイートスプリングの収穫と。更に突発ミッションの寒菊の肥料やりや一日の仏壇とお墓の花。そして節分とやることが目白押しの2月始め。そしてようやく撤去が始まりました。
始まるとあっという間です。2月7日9:49撮影。
2月8日7:49撮影。
2月8日17:23撮影。
2月9日17:24撮影。
建物は続きで。壊した部分にくっつくように別の建物が増設してありました。今度は撤去した場所に新しく倉庫を建てたいと義母が言ってるので、取り敢えずはここまで。
あれ?
お隣との境のブロック塀が壊れとるやないかい〜〜。
翌朝2月10日の朝一に建設会社に連絡。すぐさま会社の人が飛んできて、お隣に謝りに向かいました。私も午後、お詫びの品を持参して謝ってきた。
ちなみに、壊れたブロック塀は一部取り壊し、来週に修理する話になりました。

今朝の様子。香川は雨です。ようやくパソコンに向かう時間が取れました。
続いて義母が発注したブルーシートの建物の屋根瓦の吹き替え工事が来週から始まります。義母は退院してから見ることになるので、記録の画像を続けて撮影して病院へ届けるつもり。まずはここまで。(おしまい)

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