マイヒーローが逝ってしまった・・・。
「日本の川を旅する」「のんびりいこうぜ」など、野田さんの本は、今でもよく読み返します。
野田さんからいただいた励ましの言葉は、僕の心に深く刻まれています。
ありがとうございました。
最高気温20、9度(最低気温11、6度)
朝、ねぼけまなこでネットのニュースをチェックする。
野田知佑さん死去 カヌーイスト・作家「日本の川を旅する」:東京新聞 TOKYO Web
「ええっ!!」訃報にオドロキ目がさめた僕は、ベランダからボーゼンと空をながめて思った。
野田さんが逝ってしまったのか。なんてこった・・・。川ガキ目ざめる春なのに、と。
偶然にも、野田さんが亡くなった27日は、(がらがらのスケジュールに、めずらしくツアーが入り)
四万十川をカヌーで下り、ゲストに野田さんの話をし、本を紹介したところだった。風のしらせか。
2週間ぶりに町に買い出しにゆく予定を中止し、
曇り空のベランダで、ひねもすボケっと物思いにふけったり、野田さんの本を読んで過ごす。
〜いざ原野の光の中へ〜
テントの外で夜通し鳥が鳴いた。屈斜路湖畔の第一夜。
北海道の夏は午前三時には東の空が明るくなる。
焚き火を起こし、熱いコーヒーを啜った。一面の濃霧。
七月だが朝夕はセーターにジャンパーを着込むほど寒い。
八時頃、霧が晴れて、青空がのぞいた。‐中略‐
「確かに川旅は「男の世界」である。 自分の腕を信頼して毎日何度か危険を冒し少々シンドクて、
孤独で、いつも野の風と光の中で生き、 絶えず少年のように胸をときめかせ、海賊のように自由で-」
「カヌーで行く時は、他の乗り物と異なり、目に入るすべての風景は自分の腕で稼いだものだから、
それだけ感銘も深い。この山の向こうにどんな世界があるのか、とカーブを曲がる時は胸がときめく」
日本の川を旅する・カヌー単独行 野田知佑
「二コルも高見もずっと日本の平均的な汚い川ばかり見ているので、
四万十川はとても美しく映ったに違いない。
日本の他の川に比べれば、川の水も、川の両側になだれこむ山の風景も、この川は群を抜いてきれいだ。
僕は二十年前、十年前の四万十川の美しさはこんなものじゃなかったと思う気持ちを抑え、
初めて四万十川を見るこの二人の眼を通して川を楽しむことにした。
これだけ広い川で悪臭もゴミも目立たず、そして二級三級の瀬が続く川というのは、日本に何本あるだろう。
それだけでよしとしよう。 難しいことをいわずに、
今この目の前にある陽光や、清々しい山の空気や、水の音を楽しむこと。少なくとも川の上にいる間は川を楽しもう。
文句は陸に上がってからいおう。ぼくは頭の中に浮かぶ暗い想念を振り払いながら、川を下った」
なつかしい川、ふるさとの流れ 野田知佑
僕のアウトドア&カヌーライフは、若き日に先輩から借りた野田さんの本を読んでから始まった。
自由な放浪の旅ゴコロあふれた、カヌーエッセイ&旅ルポには、
愉快、痛快なデキゴトばかりではなく、自然破壊に対する怒り、嘆きもしっかり書いてある。
そして、釣り、キャンプ、焚き火、川遊び、川の自然、流域の住民との交流など、
遊びもたっぷりする川旅は、川をカヌーでただ下るだけでは得られない、新しい視点を僕に教えてくれた。
本を読み、放浪の旅にあこがれた僕は、
バックパックを背負って旅にでた(僕の場合はバイク旅が主になったけど)。
野田さんに実際に会ったときは、緊張して自分が思うところをうまく話せなかった。
でも、あの低くしぶい声でしてくれた激励のコトバは、今も僕のココロに深く刻まれている。
野田さん。ステキな旅物語を、ありがとうございました。RIP。
三途の川を、フェリーグライドで上手に渡って、ガクと再会できたかな。
あっ、野田さんのコトだから、三途の川を下って、
途中の川原で、盛大に焚き火をして、大好きなお酒を飲んでいるかも。オニと一緒に。
「いつでも遊びに励め。 人生には締め切りがあるのだ」
野田さんのメッセージが、春曇りの空にとけていった。