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日本カトリック映画賞「この世界の片隅に」授賞式の余韻

2017年05月20日 | アニメ・特撮
皆が席を立ってガラガラになった客席で、アンケートを記入する。

今日の感想。→「最高でした」。
2017年の「日本カトリック映画賞推薦作」。→まだ見れてません。

※いや、8月も上映されるから今年も「この世界の…」を挙げても
 イイかも知れないな。だったら2年連続受賞だ! ←ダメだろっ!!



ああ…。
微妙に頭がボーっとしている。
そもそも私にとって「この世界の片隅に」は、そんな映画だ。

すずさんの住むところと地続き…と言いつつ、何か夢うつつな
印象がある。

そう、オープニングから126分、私の目は私の体を離れ、この世界の
片隅を漂ったのです…。



そんで
感情移入しやすい私は「すずさんが現実にいるような」どころか
周作さんや、すみちゃんも居る、その世界をウロついて、ちょっと
すみちゃんにも恋しちゃったりしているのだ。

はははは。
ダテに「メーテルが理想の女性」とか言って、2次元の対象に淡い
恋心抱いてたワケじゃねぇぞ!

※「この世界の…」を見るたびに少し落ち込んだりしていた私だが。
 高山市民文化会館で真木太郎プロデューサーが、すみちゃんの
 将来の光明を語られていたと聞いて、ビックリするほど精神的に
 盛り返しているのです。



だから、ホントに「現世」に帰ってこれなくなったら困るのだ。
だから、作品に入って出て来るキッカケとして「バケモノ」が登場する
…そう勝手に理解しているのだ。

故・立川談志師匠は「落語はイリュージョン」と言っていたが。
広く考えれば「芸術は」「作品は」と言い換えることも出来る。



「この世界の片隅に」も、(暗喩が含まれてるかもしれないが)
ナンダカワカラナイ場面がある。

傑作に欠かせない、一種のイリュージョン。

宗教体験にも似ている。
かのジョージ・フォアマンは、モハメド・アリに敗れた後に神通力を
失い、並のランカー相手に苦戦するようになった。



その挙句、試合後に「ハレルヤ!神を見た!」と叫び、引退を決意。
神父になった時期がある。
※後に「教会のため」カムバック。40才を過ぎて世界ヘビー級王者に
 返り咲いた!

「神の姿?ダメージと脱水症状で幻覚を見たのだろう」
そうとも言われた。しかしジョージは本気だったのだ。

日本で言えば、フライ級で名王者ミゲル・カントの世界王座に挑んだ
触沢公男さん。
日本ランカー時代、「コンディション作りに悩み、拳の慢性的負傷に
苦しんで」、まさに神にすがる思いで教会に祈りを捧げていたところ、
「神の声を聞いた」と言う。

「本当に聴こえたんです!」



そして触沢の快進撃が始まった。元世界王者の大熊正二に大番狂わせの
KO勝ち!世界ランカーのホセ・ルイス・クルス(メキシコ)をもKO。

宗教を甘く見ては行けない。本当に力を与えるのだ。
5月20日、そんな空間に私も居た気がする。

ポツポツと大ホールを出て、JR中野駅に向かう。
小ホールのイベント看板ポスターがあった。



「おお、今日はザ・ニュースペーパーの公演があったのか!」
当日券あったら見たいなぁ…と思いつつ。

「いやいや、今日は他にも寄るところあるじゃん!」
「あと、夜は村田諒太の世界戦をTV観戦せにゃあかんやん!」

そんな事を考えていたら、すっかり現世に戻ってました。
まぁ、「お笑いイベント」も「ボクシング」も、私にとっては
聖なるモノですけどね。


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