若い元ボクサーの逝去に大ショック・・・。
7/6に分かったことだが
プロボクシング元東洋太平洋スーパーバンタム級王者で、3度の世界挑戦経験がある石井広三氏が亡くなっていたそうな。
引退後は三重県・桑名市でKOZOジムを開き、会長として自主興行を行った石井広三会長は、ブログでそれを伝えたばかりだったそうな。
関係者によると原因は交通事故との事。
石井広三は、95年7月に天熊丸木ジムからプロデビュー。
中部新人王となったが、全日本には至らず。
以降は独自のマッチメイクで東洋ランクを上げて行き、その強打者ぶりが知られるようになった。
特に99年3月に後楽園ホールで、申 八萬(韓国)を2RTKOした試合は地上波で深夜放送され、東都ファンに「中部に石井あり」を強く印象付けた。
ワタシなんて「一見して短駆だが、思い切りの良い踏み込みから速いワンツーで倒せる好選手だ!」と一気に注目してしまったもんです。
勝利者インタビューで垣間見えた素朴な顔も凄く好感持てました。
ただ、次戦でOPBF王座を奪取した後の路線が早かった。
99年11月には世界初挑戦。
WBA同級王者ネストール・ガルサに12回TKO負けした激闘は、国内年間最高試合に選出される程の凄い試合だったが、最後はキャリアの差で敗れた印象でした。
2度目の(暫定)世界挑戦もヨベル・オルテガ(ベネズエラ)に11RでTKO負け
この辺では腰痛との闘いにも悩まされ、ラストファイトとなったオスカル・ラリオス戦では王者の速攻に初回からダウンを奪われ、2Rで敗退。
たっぷりと放送時間を取っていたCS局は、控え室でうなだれる石井の姿を延々と映し、敗者の辛さが浮き彫りにされていて、
99年3月から好漢・石井を知ってた身からすると、寂しいものがあったなぁ・・・。
ラリオス戦をラストファイトとして、04年に現役引退。
ジムを開設して後進や地元の児童を指導しながら、家庭人としても2児をもうけ、充実した生活を送られているようだったのに・・・。
※ブログでも近況が伝えられており
お子さん2人をキッザニアに連れて行った写真なんて、もう・・・。
男の子なんて父さんそっくりだっし、消防士の格好したお子さんの顔を見たらもう・・・。
(ホントに子供は喜ぶんですよ、キッザニアでの職業体験)
享年34歳。
お子様も小さいし、本人も若すぎる。
石井広三氏の御冥福を心よりお祈りいたします。
7/6に分かったことだが
プロボクシング元東洋太平洋スーパーバンタム級王者で、3度の世界挑戦経験がある石井広三氏が亡くなっていたそうな。
引退後は三重県・桑名市でKOZOジムを開き、会長として自主興行を行った石井広三会長は、ブログでそれを伝えたばかりだったそうな。
関係者によると原因は交通事故との事。
石井広三は、95年7月に天熊丸木ジムからプロデビュー。
中部新人王となったが、全日本には至らず。
以降は独自のマッチメイクで東洋ランクを上げて行き、その強打者ぶりが知られるようになった。
特に99年3月に後楽園ホールで、申 八萬(韓国)を2RTKOした試合は地上波で深夜放送され、東都ファンに「中部に石井あり」を強く印象付けた。
ワタシなんて「一見して短駆だが、思い切りの良い踏み込みから速いワンツーで倒せる好選手だ!」と一気に注目してしまったもんです。
勝利者インタビューで垣間見えた素朴な顔も凄く好感持てました。
ただ、次戦でOPBF王座を奪取した後の路線が早かった。
99年11月には世界初挑戦。
WBA同級王者ネストール・ガルサに12回TKO負けした激闘は、国内年間最高試合に選出される程の凄い試合だったが、最後はキャリアの差で敗れた印象でした。
2度目の(暫定)世界挑戦もヨベル・オルテガ(ベネズエラ)に11RでTKO負け
この辺では腰痛との闘いにも悩まされ、ラストファイトとなったオスカル・ラリオス戦では王者の速攻に初回からダウンを奪われ、2Rで敗退。
たっぷりと放送時間を取っていたCS局は、控え室でうなだれる石井の姿を延々と映し、敗者の辛さが浮き彫りにされていて、
99年3月から好漢・石井を知ってた身からすると、寂しいものがあったなぁ・・・。
ラリオス戦をラストファイトとして、04年に現役引退。
ジムを開設して後進や地元の児童を指導しながら、家庭人としても2児をもうけ、充実した生活を送られているようだったのに・・・。
※ブログでも近況が伝えられており
お子さん2人をキッザニアに連れて行った写真なんて、もう・・・。
男の子なんて父さんそっくりだっし、消防士の格好したお子さんの顔を見たらもう・・・。
(ホントに子供は喜ぶんですよ、キッザニアでの職業体験)
享年34歳。
お子様も小さいし、本人も若すぎる。
石井広三氏の御冥福を心よりお祈りいたします。
この一戦は当時慰安旅行先で深夜結果を聞かずにハラハラしながら見てまして、最終ラウンドを迎えた時点で‘このラウンド取ったら勝てるかも’と思っていたのが倒されたのでガックリきましたけど当然ながら99年度の年間最高試合になりましたね。
ただ石井がベストコンディションで臨めた世界戦はガルサ戦のみで、2度目のオルテガなど
ガルサ戦のコンディションなら勝てるのでは?
と思ったぐらいの相手ですから負けた時はショックでしたよ。
村田英次郎も最初のピントール戦のみベストコンディションで戦えたけど、その後は膝を痛めたり腰を痛めたりしての試合でツキのなさを
感じましたけど石井も同じ感じでしたね。
浅川誠二といい石井といい最近はこういう形で亡くなる名ボクサーが目立ちますよね。
>石井-ガルサ戦が先月号に名勝負として載ってましたからね・・・・皮肉な物です。
――御本人コメントもあったようですね。
しかし、99年はボクサー石井にとって大きな年でしたね。
申八萬を鮮やかに倒して名を上げ、オリベッティを初回で豪快KOしてOPBF奪取・・・と素晴らしい勢い。
丸木会長は、そのまま世界を獲りに行ったのでしょうが・・・。
ガルサ戦は、両者のベストショットが同じ距離という組み合わせで、すごい打撃戦になりましたが
やはり、相手パンチを微妙に外したりしていたのは王者の方で
勢いで押していた石井選手でしたが、最後の最後にイイのを食ってしまいましたね・・・。
>ただ石井がベストコンディションで臨めた世界戦はガルサ戦のみで、2度目のオルテガなど
>ガルサ戦のコンディションなら勝てるのでは?
>と思ったぐらいの相手ですから負けた時はショックでしたよ。
――ヨベル・オルテガも、ギクシャクしながら意外に上手いサウスポーだったと思います。
頑強そうな石井選手でしたが、故障も増えて最後は決まった試合をキャンセルしての引退でしたね。
そういや、石井にもマック・クリハラが付いてたなぁ。
薬師寺は細身に似合わずタフだったけど、他の選手はマックのハードトレと実戦スパーで結構・・・・。
>浅川誠二といい石井といい最近はこういう形で亡くなる名ボクサーが目立ちますよね。
――若くしての逝去、本当に寂しく悲しいですね・・・。