噂には聴いていたが、これまた寂しいニュースだ。
ボクシングの名門ヨネクラジム(東京・豊島区目白)が、
8月で幕を閉じる事になった。
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4月27日、ジムにて発表。
米倉健司会長(82才)が体調を崩して3月に入院。
選手指導やジム経営が難しくなり、閉鎖を決断したという。
親族で跡を継ぐこともなく、会長ご本人もこれまで言われて
いたそうだが、一代限りでの終幕となった。
1963年(昭和38年)の開設から、後の世界王者・石松
柴田らを新人王に育てて注目を浴びた。
柴田国明を敵地メキシコで世界王者に就かせ、ガッツ石松に
チャンスを与え続けて個性派の世界王者として人気者に育成。
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世界王者を5人育て、一時代を築いた伝統・歴史・活気を感じ
させるジム。
信頼出来るトレーナーが育てた選手にエディ・タウンゼント氏を
付けるなど「もうひと伸ばし」の妙もあった。
※松本清司トレーナーなんて、柴田や石松を育てた実績を
買われ、韓国から招聘されたというから素晴らしい…。
自らセコンドに付いて選手を励まし、時に客席からも声を掛け
続けた。朝、選手を起こしてロードワークに付き合う情熱の人。
クレイジー・キムのような癖のある選手も、よくぞハンドリング
されたものだ。
※もっとも金山はアマ出身で上下関係はしっかりした人物だった。
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ジムは今年8月、所属選手の最後の試合をもって、54年間の
歴史に幕を下ろすとの事。
会長と一緒にジムを盛り立てた夫人も入院中。
※奥様も、選手を起こす係を担っておいでだったなぁ…。
名伯楽といわれた松本トレーナー、川島トレーナーも亡くなり、
ジムの会員も50人を切ったという。
現在のトレーナーと現役続行を希望する選手は移籍先を探す事に
なるとの事。
2000年代早々、ビジネス面でかかわりが深かったマッチメーカー
河原木宗勝氏が亡くなり、河原木氏が斡旋していたテレビ枠・
「エキサイトボクシング」が縮小。
※世界戦へのパイプも・・・
そういった厳しい条件も重なった結果と思うと、時の流れを感じ
ずにはいられません。
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とにかく華のある会長でした。
アマ・プロ通しての名選手ゆえ、オーラがありました。
会長としても日本・東洋・世界王者を数々育てた名伯楽。
全てのキャリアにおいて、スターの輝きを放っておいででした。
米倉健司氏は1934年(昭9)5月25日、福岡・直方市生まれ。
福岡高校でボクシングを始め、明治大学に進んで全日本選手権制覇。
この頃から右の技巧派ボクサーとして高い評価を得ていたという。
※特にワンツーは「美しかった」とも言われた。
56年メルボルン五輪に出場し、メダル獲得こそならなかったが
3回戦まで進んだ。
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58年に日興ジムからプロデビュー。
59年に史上最短の5戦目で日本フライ級王座獲得、7戦目に世界
フライ級王座に挑戦したがペスカル・ペレス(亜)に判定負け。
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バンタム級転向後は60年に世界再挑戦するも王者ホセ・ベセラ
(メキシコ)に判定で敗れた。
しかし、アウトボクシングで善戦した同試合を「米倉勝利」と見做す
識者も少なからず居たという。
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※右が米倉選手。
ちなみに試合会場は「後楽園球場」!米倉健司はスタジアム級の
ボクサーだったのだ!
さらに故・郡司信夫さんによればTVの視聴率は(計測形式が異なる
とはいえ)88%もあったという・・・
東洋のバンタム級王座は5度防衛したが62年に青木勝利に敗れて
陥落、その試合を最後に引退となった。
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※画像はレオ・エスピノサ戦。
まさに踏み込みの効いた「美しいストレート」!
63年にジムを設立、86年から日本プロボクシング協会会長を4年
務めた。アマとの関係も良好で、明大OBの名士として試合会場には
応援団が駆けつけていた。
暖簾を分けた相模原ヨネクラジムからは川島郭志が育ち、後に本家の
ヨネクラジムへ移籍。世界王者となった。
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※画像は89年の専門誌に載っていた相模原ヨネクラジムの広告。
キャッチコピーは「ボクシング やろうよ」のシンプルなフレーズ。
イラストは「サインはV」「ゆうひが丘の総理大臣」「カリュウド」
「ローティーンブルース」の望月あきら先生!
情熱的な指導者として知られた米倉会長、70歳代まで自らミットを
持ってパンチを受けた。
三迫ジムの輪島功一が柳斉斗を最終回KOした劇的な試合では、
リングサイドで興奮を隠さなかった。
※石松と輪島は階級こそ違えど同時期のライバル選手。にも係わらず
ボクシングの虫がそうさせたのだ!
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岩本弘行vs六車卓也のJフェザー級戦では教え子の傷TKO敗への
無念さを滲ませながらも、
最後は「それにしても六車は将来性のある好選手だ」と、後の
世界王者の素材を称えた。
そのコメントを読んだ私は「さすが米倉会長だ!」と感動を覚えた
ものです。
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大橋秀行がインタビューで、アマ時代の平仲信明を語り、「合宿で
出された焼き魚を頭から骨までバリバリ食ってた。ボクシング始めた
ばかりだからシューズもないと言ってスニーカーでリングに上がり、
バッタバッタ倒してた」と語ると、興味深そうに
「へぇ、それはイイな。面白いヤツだなぁ~!」と言っていたのも
ボクシングの虫ならでは。
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選手時代から聡明と言われ、
*あの矢尾板貞雄さんが「対戦相手の中でも神経が擦り減ったのは
ジョー・メデルと米倉だった」と語っておいでなのだ!
ビジネスマンとしても腕を振るったが、
やはり根底にボクシング愛があったゆえ。
それだからこそ数々の王者が育ったのでしょう。
*まぁ、無謀と言われた世界挑戦を強行したり、ファンとして
「それはどうか」と思わせるトコロもおありでしたが…。
ジムは山手線沿いの目白にあり、西武池袋線からも、木造2階建ての
建物が見える。
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2階は会長室と寮。窓からは干してある洗濯物も見受けられた。
古き良きジムの佇まい。やはり閉鎖は寂しい。
教え子のガッツ石松氏は「寂しい」と言いつつも、「ゆっくり余生を
楽しんで欲しい」と、師の晩年を思いやっておいでです。
まずは体調の回復を祈りたいですね。
そしてファンとして「感謝」と「お疲れさまでした」という気持ちで
いっぱいです。
教え子もボクシング界で活躍されています。
※大橋秀行会長、松本好二トレーナー等など…
まだ閉鎖になったわけでもないのに感傷的な記事を上げてしまいました。
・・・すいません。
ヨネクラジムよ、永遠に。
ボクシングの名門ヨネクラジム(東京・豊島区目白)が、
8月で幕を閉じる事になった。
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4月27日、ジムにて発表。
米倉健司会長(82才)が体調を崩して3月に入院。
選手指導やジム経営が難しくなり、閉鎖を決断したという。
親族で跡を継ぐこともなく、会長ご本人もこれまで言われて
いたそうだが、一代限りでの終幕となった。
1963年(昭和38年)の開設から、後の世界王者・石松
柴田らを新人王に育てて注目を浴びた。
柴田国明を敵地メキシコで世界王者に就かせ、ガッツ石松に
チャンスを与え続けて個性派の世界王者として人気者に育成。
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世界王者を5人育て、一時代を築いた伝統・歴史・活気を感じ
させるジム。
信頼出来るトレーナーが育てた選手にエディ・タウンゼント氏を
付けるなど「もうひと伸ばし」の妙もあった。
※松本清司トレーナーなんて、柴田や石松を育てた実績を
買われ、韓国から招聘されたというから素晴らしい…。
自らセコンドに付いて選手を励まし、時に客席からも声を掛け
続けた。朝、選手を起こしてロードワークに付き合う情熱の人。
クレイジー・キムのような癖のある選手も、よくぞハンドリング
されたものだ。
※もっとも金山はアマ出身で上下関係はしっかりした人物だった。
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ジムは今年8月、所属選手の最後の試合をもって、54年間の
歴史に幕を下ろすとの事。
会長と一緒にジムを盛り立てた夫人も入院中。
※奥様も、選手を起こす係を担っておいでだったなぁ…。
名伯楽といわれた松本トレーナー、川島トレーナーも亡くなり、
ジムの会員も50人を切ったという。
現在のトレーナーと現役続行を希望する選手は移籍先を探す事に
なるとの事。
2000年代早々、ビジネス面でかかわりが深かったマッチメーカー
河原木宗勝氏が亡くなり、河原木氏が斡旋していたテレビ枠・
「エキサイトボクシング」が縮小。
※世界戦へのパイプも・・・
そういった厳しい条件も重なった結果と思うと、時の流れを感じ
ずにはいられません。
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とにかく華のある会長でした。
アマ・プロ通しての名選手ゆえ、オーラがありました。
会長としても日本・東洋・世界王者を数々育てた名伯楽。
全てのキャリアにおいて、スターの輝きを放っておいででした。
米倉健司氏は1934年(昭9)5月25日、福岡・直方市生まれ。
福岡高校でボクシングを始め、明治大学に進んで全日本選手権制覇。
この頃から右の技巧派ボクサーとして高い評価を得ていたという。
※特にワンツーは「美しかった」とも言われた。
56年メルボルン五輪に出場し、メダル獲得こそならなかったが
3回戦まで進んだ。
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58年に日興ジムからプロデビュー。
59年に史上最短の5戦目で日本フライ級王座獲得、7戦目に世界
フライ級王座に挑戦したがペスカル・ペレス(亜)に判定負け。
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バンタム級転向後は60年に世界再挑戦するも王者ホセ・ベセラ
(メキシコ)に判定で敗れた。
しかし、アウトボクシングで善戦した同試合を「米倉勝利」と見做す
識者も少なからず居たという。
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※右が米倉選手。
ちなみに試合会場は「後楽園球場」!米倉健司はスタジアム級の
ボクサーだったのだ!
さらに故・郡司信夫さんによればTVの視聴率は(計測形式が異なる
とはいえ)88%もあったという・・・
東洋のバンタム級王座は5度防衛したが62年に青木勝利に敗れて
陥落、その試合を最後に引退となった。
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※画像はレオ・エスピノサ戦。
まさに踏み込みの効いた「美しいストレート」!
63年にジムを設立、86年から日本プロボクシング協会会長を4年
務めた。アマとの関係も良好で、明大OBの名士として試合会場には
応援団が駆けつけていた。
暖簾を分けた相模原ヨネクラジムからは川島郭志が育ち、後に本家の
ヨネクラジムへ移籍。世界王者となった。
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※画像は89年の専門誌に載っていた相模原ヨネクラジムの広告。
キャッチコピーは「ボクシング やろうよ」のシンプルなフレーズ。
イラストは「サインはV」「ゆうひが丘の総理大臣」「カリュウド」
「ローティーンブルース」の望月あきら先生!
情熱的な指導者として知られた米倉会長、70歳代まで自らミットを
持ってパンチを受けた。
三迫ジムの輪島功一が柳斉斗を最終回KOした劇的な試合では、
リングサイドで興奮を隠さなかった。
※石松と輪島は階級こそ違えど同時期のライバル選手。にも係わらず
ボクシングの虫がそうさせたのだ!
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岩本弘行vs六車卓也のJフェザー級戦では教え子の傷TKO敗への
無念さを滲ませながらも、
最後は「それにしても六車は将来性のある好選手だ」と、後の
世界王者の素材を称えた。
そのコメントを読んだ私は「さすが米倉会長だ!」と感動を覚えた
ものです。
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大橋秀行がインタビューで、アマ時代の平仲信明を語り、「合宿で
出された焼き魚を頭から骨までバリバリ食ってた。ボクシング始めた
ばかりだからシューズもないと言ってスニーカーでリングに上がり、
バッタバッタ倒してた」と語ると、興味深そうに
「へぇ、それはイイな。面白いヤツだなぁ~!」と言っていたのも
ボクシングの虫ならでは。
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選手時代から聡明と言われ、
*あの矢尾板貞雄さんが「対戦相手の中でも神経が擦り減ったのは
ジョー・メデルと米倉だった」と語っておいでなのだ!
ビジネスマンとしても腕を振るったが、
やはり根底にボクシング愛があったゆえ。
それだからこそ数々の王者が育ったのでしょう。
*まぁ、無謀と言われた世界挑戦を強行したり、ファンとして
「それはどうか」と思わせるトコロもおありでしたが…。
ジムは山手線沿いの目白にあり、西武池袋線からも、木造2階建ての
建物が見える。
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2階は会長室と寮。窓からは干してある洗濯物も見受けられた。
古き良きジムの佇まい。やはり閉鎖は寂しい。
教え子のガッツ石松氏は「寂しい」と言いつつも、「ゆっくり余生を
楽しんで欲しい」と、師の晩年を思いやっておいでです。
まずは体調の回復を祈りたいですね。
そしてファンとして「感謝」と「お疲れさまでした」という気持ちで
いっぱいです。
教え子もボクシング界で活躍されています。
※大橋秀行会長、松本好二トレーナー等など…
まだ閉鎖になったわけでもないのに感傷的な記事を上げてしまいました。
・・・すいません。
ヨネクラジムよ、永遠に。
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