あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

和田慎二さん、死去

2011年07月15日 | 漫画
はぁ~~~~~~(溜息)

今月6日、『スケバン刑事』などで知られる漫画家の和田慎二さんが、
自宅で亡くなったそうな

虚血性心疾患 享年61歳 

最近は原作者として絵を他者に任せる事もあったが、まだ現役として
ボニータに『傀儡師リン』を連載されてお
り、その作品が遺作・・・というか絶筆になったんだな

凹むなぁ・・・
全作品は読んでないし、読後十ウン年経って内容忘れた物もあるが

やっぱ『スケバン刑事』とか衝撃的だったもんなぁ・・・

代表作は『超少女明日香』シリーズ、『忍者飛翔』『怪盗アマリリス』
『ピグマリオ』『スケバン刑事』『少女鮫』など多数

 

『ピグマリオ』も好きでした

『ホルスの大冒険』好きを公言していた和田さんが
自身もヒロイック・ファンタジーを手掛けた大作

たまに青年の姿になる主人公クルトだが
無垢で正義感の強い王道設定はショタコンには堪らないキャラだし

同じ年格好のヒロイン・オリエも水晶の力でクルトを護る重要キャラ

両者とも良く脱いだ

和田キャラは脱ぎっぷりが良かったよな
(男性作家の性か?)



『赤い牙シリーズ』の柴田昌弘さんと共に、男性作家でありながら
少女マンガ誌を盛り立てた和田さん

両者とも、
男が妄想する女性像を押し付ける事もなく、
無理に少女チックな作品を描こうとせず、
男の感覚で少女漫画にダイナミックな展開を持ち込んだ上で、作品を
成功させたのが凄い



『スケバン刑事』では、主人公の集団に敵の密使が潜り込んでいる設定が
あったが、ちょくちょく小者キャラがサキらを探るシーンを入れておいて
実際は親友格の大物が敵の密使だった・・・・なんて凄いオチがあり

「女子供相手に、こんなエグイ話を作るのか!」「本格的過ぎるやないか!」と
驚愕した覚えがありますよ

昔の漫画家さんは、子供相手でも手加減しなかったよなぁ・・・
手塚さんもそうだったし、豪ちゃんも、そして和田さん・・・

『アルカサル』『エロイカより愛をこめて』の青池保子さんは告別式に
参加されたそうだが、その青池さんの日記によると
和田慎二さんはネームの途中で一休みしようと寝床に入られて、そのまま
逝ってしまわれたとか・・



最期まで現役
ネタを考えながらの御逝去ですか

凄いな
そして惜しいな・・・

和田慎二先生の御冥福を心より御祈り致します

『かってに改蔵』第1話、TVKで放送

2011年07月14日 | アニメ・特撮
・・・あと衛星のチャンネル11

TVKを録りそこなったので
衛星放送を予約録画して観た



ああ、やっぱり酷い下ネタ

ウネウネと机の下で改蔵が良く動く

新谷良子タンのエンディングソングも良い

イベントでは1話目のAパートだけだったが
Bパートも面白い

西園すず部長の異常さも見え隠れしている



地丹のザコキャラっぷりも堂に入ってる

あとは
羽美ちゃんの猟奇性が炸裂するのを待つばかり・・・だが
それはDVDでのお楽しみ
・・・ってことだろう

 

しかしセル専門のアニメをTVKで流すなんて
売れてないのかな?

宣伝代わりなのかな?

そういやTUTAYAさんでも見かけないなぁ・・・

『ふたりエッチ』DVDを借りる

2011年07月13日 | アニメ・特撮
川上とも子さん追悼の意味で借りて観た

いや、ケロロでも良かったんだが
あっち観たら本当に泣きそうなんで自粛したのだ

絵柄は可愛いが
結構エッチな青年漫画



(実質の)主人公・優良さんを演じた川上さん

ああ、可愛い声を出していらっしゃる
冬樹クンの少年声とはまた違う魅力がある

さすが声優さん
エッチな声も普通に演じていらっしゃる

いや、普通にプロとして演じていらっしゃるのだが
こっちゃドキドキですよ

ああ、ダメだ
悲しいのに勃っちゃった

男って悲しくても寂しくても
勃つのよね

たぶん泣きながらでも
勃つんだろうな・・・

不謹慎かな

でも
川上さんのお声は、それくらい魅力的
・・・って事で許してくれまいか

九州電力やらせメール

2011年07月12日 | 生活
また「九州」ですか

旅行中に見たニュースで
いち早く佐賀県の自治体が原発再稼動を容認するコメント発したと思ったら

九州電力の原発再開アンケートに、
関連会社などに賛成メールを送るように指示していた・・・なんてニュース
が飛び込んできましたよ

副社長クラスの人間が・・・・

だめだ
電力会社はどこも腐ってるってか

これで
「効率の良い原発が稼動できなきゃ電気料金を上げるしかない」とか
言われても・・・ねぇ

「これまでマスコミや広告代理店らにバラ撒いてたカネをソッチに回せば?」
「いまはオール電化のCMとか流してないから広告費浮いてるでしょ?」
・・・としか言いようが無い

そもそも
ほぼ独占企業のくせに、なにCM打ちまくってるんだよ
なに売り上げ金を莫大な広告費に回してんだよ・・・って話だ

鹿児島にも川内に原発あるが、そこが事故ったら
我が家の本家も距離的に遠くは無いぞ

牛飼ってるんだから 頼むよホントに・・・

『DORORONえん魔くん メ~ラめら』CD「昭和ヒットスタジオ」発売へ

2011年07月11日 | CD紹介(邦楽)
劇中で流れていた昭和の流行歌(再録モノ)が
まとめてCDになるそうな



基本、キャラクターの声で歌われていたから
声優さんが歌っているのよね

でも最近の声優さんは歌も上手いから
結構なデキになっているんじゃないでしょか

能登さん声の雪ちゃんはカワイかったなぁ・・・

第2シリーズないかなぁ・・・

『DORORONえん魔くん め~らめら』 終了

2011年07月10日 | アニメ・特撮
いやぁ

最後は天国vs地獄の戦いになって

天使や弁天様と戦って
人間世界がメチャクチャになろうか・・・・なんて

永井豪ファンならニヤリとするような
大風呂敷エンディング



オモライくんやイヤハヤ南友なキャラも出てきて
ハチャメチャな展開になったところで大団円

えん魔くんと雪子姫もラブラブ・モードでオメデトウ

昭和テイスト満載ながら
雪子姫が微妙にロリキャラになっている現代性もツボでした

何回か放送時間がズレて見損なったから
DVD借りて見ようかな

行きつけのTUTAYAさんにあるかなぁ・・・

『コクリコ坂から』 ジブリでアニメ化

2011年07月08日 | アニメ・特撮
う~ん
私は高橋千鶴さんの絵が大好きだったから
ジブリ・アニメになるのは複雑だなぁ



『魔女の宅急便』も
絵本の初期は林明子さんという私の大好きな方が
挿絵の担当だったが
アニメはあくまでジブリ絵だもんなぁ・・・

  

ジブリは・・・というか宮崎さんは
元の絵に似せるとか全然しない人だもんなぁ



『となりの山田君』を除いて・・・

松本復興相、辞任へ

2011年07月07日 | 生活
3日に東日本大震災の被災地を訪問した際、
地元知事らに「知恵を出さないやつは助けない」などと発言した
ことで批判を浴びた松本龍復興担当相

5日午前に菅直人首相に復興相と防災担当相の辞表を提出した

復興基本法成立で復興相ポストができたことを受け、6月27日に
就いたばかりだったが、就任9日目で辞任

しかも
「自分は九州人だから言葉が荒い」などという釈明には呆れるばかり
鹿児島のTVで九州に住む一般人のコメントを見聞きしたが
「そんな事を理由にしないでほしい」と迷惑げだった

そりゃそうだろ
「ワシャ九州出身だから、そんな地名は知らん」とか普通は言わんぞ

人材不足なんですかね 民主も自民も・・・
ベテラン議員を切った影響も少なくない気がするな

『マルモのおきて』終了

2011年07月06日 | 生活
いやぁ、泣いてしまった

阿部サダヲ、味出しすぎだよな

愛菜ちゃん、福くん、可愛すぎだよな



なんか、お伽噺のようなドラマだったな

食の面倒までみてくれる下宿とか
子育てに理解ある暖かい職場・・・とか

いま、無いよな

そもそも、急逝した親友の子供だからって独身男性が預かるワケないよな

リアリティーが無いようで、なんか子役の演技力に視聴者が力負けしたようなドラマ
終盤は『仁-JIN-』を猛追した『マルモのおきて』

終了の余韻に浸ってたら『スペシャル』の番宣あり

まぁ、そうだよな
こんな人気でたらスペシャル特番もあるよな

・・・というか、『パート2』も有り得るよな

鹿児島旅行⑬

2011年07月05日 | 生活
鹿児島2日目

今日はちびスケご希望の鹿児島水族館

まだ見た事ないジンベイザメが楽しみで仕方ない様子
運良くエサやり時間にかち合って
水槽前でお姉さんの説明を聞く我々



ジンベイザメの泳ぎに合わせ、スタッフさんが柄の付いたカゴでエサを撒くのだが
モニターで流れた説明イラストのイメージに比べ、実際のカゴは小さくて拍子抜け

・・・というか、やっぱジンベイザメがデカイんだな

オキアミやイカのすりおろしが混ざったエサは水中で埃のように舞い
口を開けたジンベイザメがそれを掬っていく



念願のジンベイザメが見れて御満悦のちびスケ

その後もラッコやクラゲ、アシカショーを満喫

落雷で水銀灯が消えるハプニングもあったが
司会のお姉さんがトークでリカバリーし、客席は冷えることは無かった
観光ルートに組み込まれている水族館だけあって
客席のオジオバ率が高かったが
皆ショーを楽しんでいた



ちびスケは
売店で祖母からジンベイザメ・グッズ買ってもらい得意げ

会う機会が少ないため、充分には懐かないが
この時ばかりは喜んで手を繋いでいた
(ゲンキンなやっちゃ・・・)

館内の西郷さんとも記念撮影後、タクシーで天文館通りに移動して
元祖・白熊アイスの味を満喫

 

干しブドウや種入りプルーン、スイカやバナナにサクランボやオレンジなどが
盛り込まれ、たっぷり掛かった練乳の味も濃厚な元祖・白熊アイスは
とても美味しかった

そして量がハンパなく多かった
「ミニ」サイズでさえ大人なら完食できる量

氷白熊の本家、天文館むじゃきは
白熊(しろくま)はもちろん、鹿児島の食材を使った郷土料理などをビルの各フロアに展開し
鉄板焼き、中華料理、イタリアン、和食といった多種多様な料理が楽しめる食のアミューズ
メントだった

元祖の矜持か、見事なポーションを維持している白熊だが
メニューにはミニ1個を皆で囲むことを禁じる但し書きがあった
(しかし、これだけ量が多かったら分けて食べるのも仕方ないべ・・・)

様々な『アジアの食』を体験している連れは
白熊アイスを「果実や干しブドウなど盛りだくさんなところは、台湾の氷菓子に似ている」と分析



今回、鹿児島が琉球やアジアの文化を色濃く感じさせる地域である事を実感した私は、
その分析に納得

既に新幹線のホームで母親を見送った我々は、タクシーで鹿児島空港へ向かう
意外に遠く、高速道路に乗っても結構な時間が掛かった
またしても ちびスケには苦難の道中となったが、もう横になっての移動には慣れた様子で
すっかり寝てしまっている

私は風景を見ながら、小高い山の多さと、その固そうな山肌に驚く
これは「岩盤から直に樹木が生えている」ようで、ここでも独特の景観が印象的だった

やっぱ旅はイイなぁ
今度は沖縄に行きたいなぁ 北海道でもイイなぁ

韓国からの引揚者である母親と今の韓国を見て回りたい気もする
もう少し元気で居てもらわなきゃな

そんな事を考えながら鹿児島から東京行きの飛行機に乗った
満足の旅立った

鹿児島旅行⑫

2011年07月04日 | 生活
知覧から指宿スカイラインに乗って再び鹿児島市内へ

朝から夕方まで観光観タクシーをチャーターし、知覧と鹿児島市内を満喫しようという
今回の家族旅行



市内に移動してからは西郷像と記念写真を撮ったり
薩摩の名士・島津家ゆかりの神社や庭園を鑑賞したり・・・と盛りだくさん

やはり、白眉は『仙巌園』

 

桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な借景庭園
本物の地形を使って、それを巨大な庭に見做し、裏山の岸壁に大きな文字を記すという
スケールの大きさに圧倒される

だって門の外は道と線路を挟んで海だもの

仕事が少ない職人向けの公共事業でもあったようだが
岩盤に文字が描かれる際には竹を組み立てて足場からは何名かの職人が転落して
亡くなったそうな・・・

江戸初期に19代当主・島津光久によって築庭された大名庭園である『仙厳園』



薩摩が琉球王国を介して積極的に中国の文物を受容し、その文化の影響を受けた事が良く分かる
日本庭園でありながら、各所に中国の作庭趣法を取り入れてあり、中門は中国で縁起の良い色と
言われてる朱に塗りこんである

そのうえ「望嶽楼」なんていう琉球国王から贈られた南国風のピロティ建築まであり
やっぱ独特の文化圏なんだなぁ・・・と感じ入る

さらに、いち早く海外留学に着手した島津家は
溶鉱炉や製鉄所も仙厳園の敷地内に建設し、ガス灯の実験もここで行ったそうで
実際にその一部は敷地内に残っている

英国やオランダ、ロシアも薩摩を重要視して、使節団を送り込み
島津家当主は仙厳園にある迎賓の間でもてなしたそうな

う~ん、九州における海外への玄関は長崎だと思っていたが
いやいや鹿児島も相当なモノですな

~というか、対等な外交をやろうとしたのが凄い
ヘタすりゃ日本の首都になって外国と付き合おうか・・・なんつう意気込みさえ
あったんじゃないかと

野望の王国だ
野望が生きた藩=薩摩

やっぱ九州でも異端の地だな
九州山脈で隔たれた福岡・熊本・大分とは別の国のようだ

文化も気候も違うわ

・・・なんて事を考えながら
少し前にTVで見て「これ不気味だろ!」と大笑いした篤姫人形と記念撮影



「なんだいこれ?」と怪訝そうな顔をしながらフレームに入る我が母

まぁ、花が咲いた状態なら華やかなんだろうが、
今は植え込みからマネキンの顔だけ覗く不気味な光景

ああ
真面目な考えが続かない我が脳ミソ

雨続きだった九州
奇跡的に我々の旅行中は曇天で済んでいたが
さすがに市内観光の終わりが見えたところで雨が・・・

幸運にも傘を使うことなくホテルに着いた

ガイド兼ドライバー兼カメラマンを務めてくれた観光タクシー運転手さんに
お金を支払い、お礼を言ってお別れ

さすがに高齢の母は疲れたようで(まぁ、私もけっこう疲れたのだが)
夕食はホテル内のレストランで済ませた



きびなごの刺身、さつま揚げ、黒豚の角煮、地鶏の炭火焼・・・が並ぶ定食
お値段はそれなりだったが、フロントで1割引チケット貰ったし、せっかくの旅行で
ケチっても仕方ないので薩摩の味を満喫した

部屋は連れ&ちびスケ、私と母親の2部屋
母親が「お前に飲ませようと買った」という発泡酒を持ち込んで飲んだ
本家で伯父と散々ビールを飲んだが、実家でも買い置きの発泡酒が待っていたのだ

飲みきれなかったので新幹線でも1本消費
九州新幹線は、あまり売り子さんが回って来ずツマミは無かったが
まぁ、車内の雰囲気を肴に気分良く飲んだ

いや、ホントは風邪気味で薬飲んでたからアルコールは控えたかったのだが飲んだ
私が飲まないと飲む者が居ないのだ

よって道中は風邪薬を控えた 酒が薬だ

そして鹿児島のホテルでは
1Fのコンビニでツマミを買って飲んだ

母親はTVの横でタバコをふかしている
「もっと動きやすい靴にすりゃ良かった。足が痛いよ」
「もうトシだ。こんな旅行は今回で最後だ」とボヤく

TVでは『しゃべくり7』が流れている

風呂に入ってベッドに入って私はグッタリ

そうして鹿児島旅行の初日は終わった
濃い一日だった・・・

鹿児島旅行⑪

2011年07月04日 | 生活
武家屋敷の庭園

大半は枯山水だが
たまにある池泉式庭園には巨大な鯉が泳いでいる



私に「お前と大きさ変わらないんじゃないか?」と言われ
ちびスケは目が点に・・・

大半はこじんまりとした枯山水だが
巨石を削って桜島を中心とした鹿児島の風景が表現されており
領主はそれを眺めながら思索に耽ったとか・・・



屋敷脇には石をくり抜いたような水貯めがあり
「馬の水飲み場かな?」と思ったら

戦(いくさ)で使った弓や刀を洗った場所だそうな

生々しいなぁ
さすが幕末~明治時代まで戦いやってた薩摩だなぁ

江戸の侍など太平が長くて戦やってた印象ないが
薩摩の武家は常に臨戦態勢な印象あるもんなぁ

そういや、さっき見た特攻平和会館の戦史コーナーにも
西南戦争で使った軍服など飾られてたもんなぁ・・・

鹿児島旅行⑩

2011年07月04日 | 生活
特攻平和会館を出て、観光タクシーは数分で知覧武家屋敷へ

鹿児島の小京都とも言われる知覧だが
やっぱり南国な石垣には沖縄と通じるものを見た

島津家のお膝元であり、西郷隆盛ら多くの幕末の名士を輩出した事でも知られる薩摩
総人口に対する武士の比率がとても高く、人口に比率して25%以上もあったそうな

薩摩藩は、区分した領に武士を分散させることによって、戦(いくさ)の拠点を藩内に
数多く配していたという

知覧もそんな街で
江戸の雰囲気を今に伝える数少ない貴重な町並み・・・って事だが



やっぱり石垣には『南国らしさ』が
これで快晴だっから南国の太陽に照らされ、ますます沖縄みたいに映るだろうな

屋敷の所有者でも勝手に生垣を切っる事は出来ないそうな
行政の許可を取って通りを同じ業者さんで一気に剪定するんだろうな



資料によると広さは18.6ヘクタール
七つの池泉式庭園と枯山水庭園を持った屋敷が点在しており

観光客は独特の生垣に挟まれた通路を歩く事になる

その生垣や屋敷の構造は、有事の際には敵の侵入を妨げる構造になっている

道幅も大勢の軍勢が攻め入るには狭く、屋敷の門は段になっており馬は直進できない
生垣も固くて入り込むのが難しい木が植えてあるとか

屋敷に寄っては今も住人が住んでるところがあるし
入場に別料金が掛かる所もある

既に武家屋敷の通りに入場料を支払っているので、
観光タクシー運転手さんは「ここがイイですよ」と
数少ない茅葺の屋敷を案内してくれた (もちろん入場無料)



傘を転用した提灯など調度品が飾ってある
観光客向けに地元の人が説明してくれる

まったりとした南国の時間

初夏だというのにトンボが飛んでいる

鹿児島旅行⑨

2011年07月04日 | 生活
そもそも
この知覧特攻平和会館に入って直ぐの場所に壁画が飾ってあって

横4m30cm縦3m、『鎮魂(魂を静める)』と題されたこの壁画は、
紅蓮の炎に包まれ、いまにも墜落しようとする隼戦闘機の搭乗員を
6人の菩薩が抱きかかえて昇天に導くという圧巻の構図 



これも人によっちゃ「特攻隊を美化」していると言われそうだが

描いた方は(おそらく)一般人で、
館内の展示品を見て心打たれた人か、特攻兵の残された家族か、
または特攻兵となりながら機会なく生き残った人か・・・

「ただ敵艦の迎撃にあって海の藻屑と消えた」じゃ、あんまりじゃないか
「敗戦濃厚の悪あがき作戦で犬死にした」じゃ、あんまりじゃないか

せめて極楽浄土に旅立って欲しい
菩薩に抱かれて昇天していて欲しい

・・・そんな願いから絵筆を取られたのではないか
私はそう感じた 凄い絵だと思った

この絵に同記念館の総意があるとさえ思った



まぁ、一番奥にある『戦史資料室』には日清戦争から日露戦争、大東亜戦争から
西南戦争まで様々な戦争の
備品や、軍刀、軍服などが展示されていて
そこには当時の戦勝記事(朝日新聞!)などもデカデカと掲示されていたが

この辺に
「やっぱ、こういう記念館の増築費用を引き受けるのは、その手の方々だもんねぇ」
・・・・と
大人の事情を感じたが、特攻兵の遺詠や遺書にウソは無い

日本軍は特攻隊員の家族・遺族に対して特別に年金を割り増したらしいが
その金の使い道を細かく書き連ねた遺書もあり

その遺書を読んだ連れなど「現実的な人も居たんだね」と妙な感心をしていた

特攻兵といえど人それぞれ
遺書もさまざま



多かったのは「必沈」の文字だが
「閻魔様よ待っておれ」という勇ましい文句もあれば
ひたすら母親への感謝を連ねる人もあった(やはり父より母だねぇ・・・)

残しゆく子供へ「父のいる家を羨まないように」「立派な日本人として生きなさい」と
諭す遺書を残した人もあった

自由の国に憧れ、自由主義者としての出撃もあり、
戦時中の日本を「全体主義のようだ」と評し、「自分は大英帝国のような自由主義の国として
世界を席巻する大日本帝国を見たかった」と言い残す特攻兵が居たなんて
驚き以外なにものでも無い・・・

富屋食堂のHPにも何名か特攻兵の紹介があったが
トメさんが何度「憲兵隊に捕まるから止めなさい」と言っても
「日本は負けるよ」と言い続けた特攻兵もいたそうな

それでも死地へ飛んで言ったんだよな



ウチの親父は養成期間で終戦になったが
次々と知覧へ向かって行った先輩たちから「もう、お前らが乗る特攻機はないぞ」と
言われたそうな

物資が底をついて練習機の燃料も機体もなく、最後はグライダーで訓練していた時期だ
飛び立つ彼らも日本が負けるのは分かっていたのかも知れない

「後輩が死地に旅立つ前には終戦を迎えているかも知れない」、
または「単純に特攻機を量産する国力すら無くなっているだろう」・・・
そんな未来が見えていたのかも知れない

それでも日本の未来がより良き事を願い、彼らは飛んだんだよな

「国のため」「愛する人たちを守るため」
その滅私の精神には頭が下がる 
自己犠牲の極み

「哀れ」「可哀想」などと思うのは失礼かもな

「自爆テロと一緒にされるのも嫌です」とも
観光タクシー運転手さんは言ってたな

そりゃそうだ
特攻の標的は敵艦だ 民間人を無差別に標的にするテロとは違う

そんな事を考えながら館内を歩いていたら



ちびスケは飛行機などを見終えて満足顔
※『疾風(はやて)』や『飛燕(ひえん)』も展示されてたもんなぁ
 エンジンの解説とかは奴には理解出来なかったろうが・・・

オフクロも「充分見たよ」と言うし
次を回る時間にもなったし 館外に出る事にした

最後に遺影に頭を下げる
この中に亡き親父と交流あった方も居るかも知れない

生き残ったウチの親父は懸命に働いて、
たらふく酒を飲んで、時に人助けして、世に尽くしました
・・・そう報告し、心の中で手を合わせた

あの世で再開したら褒めてやって下さい・・・とも

鹿児島旅行⑧

2011年07月04日 | 生活
知覧行きの前にネットで色々予習したんですが

出撃前に特攻兵が寝泊りする『三角兵舎』も
記念館外に再現してあるが

敵の空襲から隠れる為に半分地面に埋まったような兵舎は
お世辞にも快適そうには見えず



中に入って見学した限り、環境も良さ気には見えないが

“生き残り”の板津氏は「布団は思いのほか柔らかかった」
「地元の方が、せめても・・・と羽根布団など差し入れてくれたのかも知れない」と
記述されている

地元の女学生が『なでしこ部隊』として特攻兵の身の回りを世話
(掃除・洗濯・裁縫など)したり
布を縫って作ったマスコット人形を手渡したり・・・と



爽やかな交流があったそうだが
※女学生達は特攻兵たちを「お兄さま」と慕ったのだとか
  出撃の見送りで泣くのと手を振るのは禁止されており、
  女学生達が桜の枝を振って見送る写真もよく紹介されている

実は三角兵舎で就寝する時には多くの兵士が泣き続けたり
嗚咽を漏らしていたそうな

それでも出撃当日は『あの笑顔』

泣きじゃくる機体付きの整備兵に別れを言って

様々な葛藤を超越したかのような表情をして
マスコットを操縦席の先端に置いて旅立ったんだそうな



機体不良で戻ってきたら
再教育という名の叱責が行われたらしいが
板津さんのような人は自ら上官に「すぐ再出撃を!」と何度も懇願したそうな

いやいや、その『覚悟』の凄まじき事よ・・・