鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

第66回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記

2016-01-01 | 鬼ヅモ同好会


自 2 0 1 5 年 1 2 月 2 9 日 ( 火 )

至 2 0 1 6 年 元 日 ( 金 )

第 6 6 回 鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会



会員諸兄の事情で初めて夏大会の開催が見送られた本年、半年を超えるインターバルをおいて年末大会が開催されたのでした。




2 0 1 5 年 1 2 月 2 9 日 ( 火 )

第 1 日 目

大 会 会 場 に て


私はこの日から年末休暇に入ります。
昼までに昼寝その他さまざまな方法をもって鋭気を養い、大会会場たる横浜入り。

家主のよね氏とともに、すでに会長・かつ氏が会場入りしていました。



よね氏のPCより。
会員用アカウントで、なぜかGoogle検索していたワードが「人生は紙飛行機 意味不明」と、なんとも意味不明なもの。
朝の連ドラの主題歌の歌詞が意味不明・・・という話で盛り上がると、ここでご~氏が合流。
約7か月ぶりの闘牌が幕を開けます。



ついに同好会から妻帯者を輩出した今年。
ご~氏の順調な闘牌と、その薬指には誓いの証が煌きます。

それにひきかえ私はというと・・・いつもどおりのスロースタート(^_^;)
スロースタートだったときはそのままズルズルと下降線を描いてしまうのですが、今回はいかに?



第1試合、起家・・・私。
第2試合、起家・・・私。
第3試合、起家・・・私。
第4試合、起家・・・私。

それにしてもこの日は私の起家で始まる試合が多いような・・・?
私は起家は苦手なのに・・・(T_T)

第4試合途中で副会長・たか氏が合流。
以降の取り決めで抜け番の順序は、私(めい)→よね→ご~→かつ→たか となりました。

第5試合、私が抜け番。

第6試合、起家・・・私。
第7試合、ご~氏が確率1/36の6ゾロを出して起家、私!
第8試合、たか氏が確率1/18の1・2の3を出して起家、また私!!

ザオラル10回連続失敗(確率=1/1024)をしのぐ、
7回連続起家(確率=1/16384)を達成した私。

そして起家でいきなり親カブリを食らうのがもはや形式美となってしまいました。


というわけでこの日の成績はまったく振るわず。
私は9試合参加でトップが0回という苦しいスタート。

ご~氏は+19pts で終了。
守るべきご家庭がありながら参加してくださいまして誠にありがたい限りです。




2 0 1 5 年 1 2 月 3 0 日 ( 水 )

第 2 日 目


この日からかつ、たか、よね、めい4者による闘い。
前日とともにたか氏が絶好調。ほぼ優勝は決まったか?という情勢。
対する私はこの日もダメ。
かつ氏もよね氏も振るわず、家路についたご~氏の+19pts が高い壁となって二人を阻みます。

私? さぁ~どうでしょう??


(日付はとうに変わっていますが)この日の闘牌終了後の酒宴がやたらと気合が入っていて、



会長がズワイガニを購入、かにパーティとなりました♪




2 0 1 5 年 1 2 月 3 1 日 ( 木 )

大 会 最 終 日


大みそか。

例年どおり、近所の「太田屋」さんで年越しそば。
今回は変化球で鴨南ばんそば(大盛り・1,150円)をいただきました。



うんうん、鴨肉のだしと油がいいですね~(*^_^*)
でも温そばはそば湯がないのがちょっと残念ですね。


ともかく2015年最後の食事をして、闘いは終盤へ。

この日もたか氏は飛ばして、一時は+300ptsも窺う勢い。
たか氏は局の序盤で支出するも、盛りかえして2着をキープしてなかなかダメージを受けない。

 

「たか氏には自動回復機能が備わっているのでは?」

混沌としていたかつ、よね、(この場にいない)ご~3氏による準優勝争いも、かつ氏が抜け出しました。



結果は・・・
優勝・たか氏。
準優勝・かつ氏。



私? 知らねぇや。

敗因は・・・大きいのは聴牌合戦に打ち負けることが多かったことでしょうか。
退くべきときに退かず、匹夫の勇をもって進んでしまったことで失点を重ねてしまいました。
前回大会の堅守で競り勝つ麻雀とは正反対の麻雀となってしまった。

あとは、私の得意でない鳴き麻雀の土俵に乗ってしまったこともあります。

これらの反省点を踏まえ、次回、捲土重来を期します。





第65回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記・最終日

2015-07-02 | 鬼ヅモ同好会


2 0 1 5 年 5 月 5 日 ( こ ど も の 日 )

横 浜 市 某 所

第 6 5 回 鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会 会 場



第65回鬼ヅモ同好会麻雀大会、最終日。



前日までのスコアでは、大本命・会長がリード。
しかしポイントは3ケタに届かず、まだまだ予断の許さない状況。
かくいう私は、+57ptsで好位置につけていました。


会長は私用のため、茨城のご自宅へ一時帰宅。

会場のよね先生宅に滞在していた、たか副会長、私に、ご~氏が駆けつけ、試合が始まりました。



鬼ヅモ同好会麻雀規約第86条の規定により、最終日は試合数をあらかじめ決めることとなっています。
が、鬼ヅモ同好会麻雀競技先例第14号もあるので、ひとまず4人で試合を続け、会長が合流したときに試合数を決めることとしました。


最終日第1試合目となる第32試合目、トップはたか氏、ラスはご~氏。
第33試合目、トップはよね氏、ラスはたか氏。
第34試合目、トップは私、ラスはよね氏と、見事に浮いては沈みを繰り返す展開に。

となれば、次は・・・

第35試合目、トップはご~氏、私はラス、ではなくなんとか3着にとどまります。




第 3 5 試 合 目 途 中

会 長 、 合 流


時刻は忘れてしまいましたが、会長が合流。
決戦の火蓋が切って落とされました。

これより先の試合数は、協議の結果、10と決まりました。最終試合は第45試合となります。
出席者は5人ですので、抜け番の順序も決めました。
たか氏→ご~氏→よね氏→私→会長→(繰り返し)となりました。

第35試合目終了時のスコアは、
  会長 +97pts
  よね △48pts
  たか △35pts
  ご~ △106pts
  めい +92pts
首位の会長に肉薄しているではないか!
この日は2着、2着、トップ、3着と順調にポイントを重ねていました。



ここから、前日は沈んでいたよね氏の巻き返しが始まります。

第36試合目、トップはよね氏で+35pts。私は3着で△9pts、会長がラスとなり△29pts。
この時点で私が首位に返り咲きます。

第37試合目。



よね氏、大三元を和了。
トップはもちろんよね氏で+57pts。会長が2着で+12pts、私は3着で△15pts。
トータルスコアは、会長が+83pts、私が+68ptsで、会長がトップを奪取。
そこによね氏が+44ptsと猛追。

第38試合目、好調のよね氏は抜け番。
この試合ではトップはたか氏。会長は2着で△1pt、私は痛恨のラスで△21pts。
会長との差は開き、気が付けば3着のよね氏に肉薄されています。


私にとって厳しい展開が続いた末、第39試合、私の抜け番。
トップはよね氏で+45pts。よね氏は抜け番を挟んで3連勝と、勢いが衰えません。
会長も手堅く2着を守り、+2pts。

そして第39試合終了時点のスコアは、
  会長 +81pts
  よね +89pts
  たか △65pts
  ご~ △152pts
  めい +47pts
ついによね氏が首位に立ったのでした。




第 4 0 試 合 目

抜 け 番 か ら 戻 る


私が抜け番から戻り、第43試合までの4連戦が始まります。

第40試合。私の親番で純全帯ヤオが炸裂!
抜け番の会長が後ろから見守る中、大物手をキッチリ決め、この試合をトップで終了。
私が+48ptsで、よね氏の連勝を阻止。
しかしよね氏は2着で△5ptsと踏みとどまります。

ここで私がみたび首位を奪還。


第41試合。ここまで我慢の展開であったご~氏がついに爆発。
東1局でいきなり会長に親跳ねを直撃させます。
この試合ではふたたび会長がご~氏に直撃を食らい、トビ終了。
トップはご~氏で+50pts。
2着はよね氏で+3pts、3着は私で△13pts、会長がラスで△40pts。

この結果、よね氏が+87pts、私が+82pts、会長が+41ptsとなり、またしても首位の座を明け渡すことに。


第42試合。私が大物手をあがり、先制。そのまま逃げ切ってトップ、+32pts。
会長は3着で△10pts、よね氏がラスをとり△26pts。

よたび私が首位を奪還し、+114pts。この大会で初めて100ptsを突破。
よね氏が+61pts、会長が+31ptsで、アタマひとつ抜け出てきました。


第43試合、よね氏が抜け番。
私は全試合に続き大物手で先制、試合を優位に展開していきます。
しかしここで会長が実力を発揮し、私を逆転。
トップは会長で+41pts。私は2着でしたが、10ptsと着実にポイントを積んでいきます。

ここまでの総合得点は、私が+124pts、会長が72pts、よね氏が61pts。


第44試合、私は抜け番でひと休み。




最 終 第 4 5 試 合

そ し て 決 着 へ


第44試合、私が抜け番の中、会長とよね氏での2着争い。
ここでトップをとったのはよね氏で、+46pts。
会長は3着で、△22pts。

その結果、私は+124ptsで、よね氏が+107ptsと躍進、会長は+50ptsとなりました。



最終試合、ここで会長は痛恨の抜け番。
優勝争いは私とよね氏との一騎打ちとなりました。

よね氏が優勝すれば、3大会ぶり11回目。
そして私が優勝すれば、・・・わからないけど、とにかく2回目。

この機を逃せば、優勝はないかもしれない。

どんなに無様でも、優勝せねば・・・!

私とよね氏とは17pts差、順位が上だったほうが優勝となる展開。

最初の場決めで、私は北家、ラス親ということになりました。
地の利は我にあり! といったところ。

そしてまたしても私が大物手で先制。
しかしよね氏も手堅い攻守で追いすがります。


東4局、私の親番。
このときの点数は、私が35600点、よね氏26300点。
私の絶対的優勢。

局は始まり、私は役牌で早々に聴牌にもっていきます。
鬼ヅモ同好会ではあがり止めルールがあるので、1,500点でもあがって、久しぶりの優勝に多少の華でもそえようか・・・
なんてことは許さない鬼ヅモの諸将。

よね先生がしっかり聴牌して、立直を仕掛けてきました。
おそらくは逆転手を作ってきたに違いない・・・。

こうなれば体裁なんて整えていられません。
オリ→不聴終了→優勝のシナリオのみ。
下手に打ち合ってロンでもされようものなら、まさに宋襄の仁。
優勝のために手段など選んでいられないのです。



そして・・・


私の思惑通り?このまま和了はなく、流局へ。
私の優勝が決まった瞬間でもありました。



最終結果です。

私においては、今大会はラスが3回だけで、最大失点が△23ptsと、堅守が奏功しました。
あと、赤牌の影になりがちな全帯ヤオ系の役が出て、かなりの力になってくれた感じがしました。
そういえば純全帯ヤオって3翻ですからねぇ~強いです。



私の優勝が久しぶりということで、過去を紐解けば・・・

以前に初優勝したのは、なんと第27回大会。
今は昔のものとなってしまった取手会場で、2003年3月以来、12年ぶりのことだというのです。


私が優勝するのに、干支が1周してしまうとは・・・。
4回目の優勝を迎えるころには還暦になっているということでしょうか???



第65回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記 完

第65回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記・後編

2015-07-02 | 鬼ヅモ同好会


2 0 1 5 年 5 月 3 日 ( 憲 法 記 念 日 )

横 浜 市 某 所

第 6 5 回 鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会 会 場



GWも鬼ヅモ大会も後半へ。

GW前半に発症した私の風邪は、徐々に復調へと向かいました。
そして私はふたたび横浜の会場へと向かいます。


私の不在の折も、闘いは繰り広げられており、私のスコアなどとうに抜かれているものと思いきや・・・



なんと予想外にも私がトップを守っているではありませんか!

私のスコアはご覧のとおり+45pts、トップ1、2回程度で十分逆転できるものなのですが・・・
よね先生曰く、「45ptsが思った以上の壁でしたよ・・・(^_^;)」
誰かが浮上しては、出る杭は打たれるといわんばかりに沈み、緊張感ほとばしる接戦になっていました。



出発時刻が遅くなったため、日付が変わって5月4日0時ごろ、試合再開。



一進一退の様相は変わらず。
私も体調不良の割には善戦したかな?
この日は、ポールポジションをよね先生に譲り渡して終了。

私の体調不良を考慮して、4試合で終わりとさせていただきました。すみません~(T_T)




5 月 4 日 ( み ど り の 日 )

試 合 第 4 日 目


この日より私は本格参戦。大会は後半戦となります。

一進一退、「出る杭は打たれる」展開だった状況は一変。
ついに巨魁・かつ会長が動き出します。

本日の第1試合目である第22試合目、首位&2位だったよね先生と私が3位&ラスとなり、会長がトップ。
  会長 +43  よね +41  めい +33
わずか1試合でポールポジションを奪取。

この日は会長の快進撃が続き、面々からは早くも、
「会長、優勝おめでとうございます」
なんてセリフが出る始末。



この日は会長の快進撃と、よね先生のブレーキが対照的な試合展開でした。
私はなんとかトータルで黒字を死守。
運命の最終日をむかえます。



会長は用事があるとのことで、一時帰宅しました。





第65回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記

2015-06-30 | 鬼ヅモ同好会


自 2 0 1 5 年 4 月 2 8 日 ( 月 )

至 5 月 6 日 ( 水 )

第 6 5 回 鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会



毎年恒例のGW大会が開かれ、会員こぞって横浜のよね氏宅へ集結したのでした。
行楽地に人ごみを見に行くよりは、引きこもってしっぽりと麻雀に興じる、なんともよろしい休日の過ごし方です。

今回の大会は、私にとって印象深いものとなりました。

そういえばちまたでは、プロ野球のセントラル・リーグで、あの!横浜DeNAが首位になっているではありませんか!
(2015年5月21日現在)
それと比肩すべきことが起きたのです。



2 0 1 5 年 4 月 2 8 日 ( 月 )

第 1 日 目

大 会 会 場 に て


この日は勤務を定時で早々に切り上げ、自宅へ馳せ戻ります。
しかし、堕落の巣窟と化している自宅。このまま私をおいそれと横浜へとは放しません。

無為にのんべんだらりんと過ごしてしまい、横浜の大会会場に到着したのは、日付が変わった午前0時半。
会場のよね氏宅には、すでに会長、副会長、そしてご~氏がいて、闘牌が始まっていました。


この日の成績~。



次の日、というよりも当日になっていましたが、勤務に赴かねばならなかったので、私は2試合で切り上げさせてもらいました。
幸先の良いスタートを切り、そのまま勝ち逃げという格好で、そのまま床に就いたのでした。




4 月 2 9 日

J R 横 浜 駅


今回も早朝の横浜駅。
目的はもちろん、行きたくもねぇ職場に向かうためにいます。

駅のキオスクで、今回は「横濱ミルフィユ」ではなく自分用の「シウマイ弁当」を買って、いざ出陣。




職 場 に て


さて勤務終了。
同僚にも「これから横浜に戻って麻雀する」ことを話していたところ、たか氏からの着歴が残っていました。

たか氏に入電すると、この日は4人そろわない、したがって卓が立たないということでした。
翌4月30日も卓が立たないことが確定していたので、ここは横浜ではなく、自宅にいったん戻ることにしました。




4 月 3 0 日

こ の 日 も 出 勤


GWに挟まれた平日。
会員諸氏も出勤、私も出勤。

ですがこの日はあきらかに体調がおかしい。

「気のせいだろう。仕事してりゃそのうち回復するだろう」

私の思惑とは裏腹に、体調は悪化の一途をたどっていきました。
朝はのどが荒れていただけでしたが、頭が重くなり、ついには発熱。

近くのコンビニで「冷えピタ」を買い、額、首の裏と左わきの下、計3枚を貼って解熱を図りましたが、まったくダメ。



こうなっては手遅れになる前に帰社するにほかはない。
中休み前の午後3時30分をもって帰ろうとGMRに伝えたところ、

「アカン、アカン、早ょ帰りぃ、さっさと帰りぃ」

即時帰社を命ぜられ、退社。



なんとか自宅にたどりついた私は、翌日までの体調回復を期して、ひたすらに床に就いたのでした。



5 月 1 日

な ん と か 出 勤


前日とは打って変わって・・・というまでにはいかなかったものの、数値で表すならば2割程度といった体調は6割程度まで回復しました。

この日は、なんとしても私が休むわけにはいかなかったのです。

麗しき豪傑の凱旋・・・
若き英傑との別れ・・・
新しき仲間の歓迎・・・

もろもろの意味が込められた飲み会、そして私はその幹事だったのです。

「牛角」での飲み会はつつがなく終わり、私は家路に就こうとしましたが、



どうでしょう藩士であった若き英傑が言い放った一言。
私の徹夜が確定してしまいました。

完全回復していない体調のまま、イガイガしていたノドのまま、深夜のカラオケに興じることとなりました。



カラオケの営業終了時刻、午前5時で解散。
不思議と眠くなく、松戸で新京成の始発に乗って家路につきました。




5 月 2 日

家 に 戻 っ て


早朝、就寝。

ノドの酷使は多方面に影響を及ぼし、またも体調が不良に。
体温も順調に上昇し、ふたたび38度超えとなったのです。

こうなっては横浜へ出張し、ましてや徹夜で麻雀するわけにはいきませんでした。
午後8時ごろ、よね先生に当日不参加のメールを発し、この日はひたすら寝ることとなったのでした。





第64回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記

2015-04-07 | 鬼ヅモ同好会


自 2 0 1 4 年 1 2 月 2 6 日

至 2 0 1 5 年 元 日

第 6 4 回 鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会



毎年恒例の年末大会、ザ・トシ忘れが開かれ、会員こぞって横浜のよね先生宅へ集結したのでした。

私も勤務をそそくさと終わらせ、一目散に横浜へと急行したのですが・・・
今回も一筋縄ではいかない、さまざまな出来事が私を襲ったのです。




第 1 日 目

京 急 上 大 岡 駅 に て


大会で横浜に向かう際には、品川で京急に乗り換える私。
乗るのはもちろん快特電車。
時速130kmの赤い電車が並み居るJRの電車群を追い抜いていくのを、人知れず悦に入るのが密かな楽しみなのです。

この日もわざわざ品川で快特電車に乗り、ゆずの「夏色」の流れる上大岡駅まで着いたので、よね先生に電話しようとしたところ・・・

携帯がない!!

この日私は横浜へと急ぐあまり、携帯を職場のロッカーに忘れてきたようなのです。
はぁ~・・・職場の面々には何度も「よいお年を~」なんて言ってきたのに・・・。




第 4 日 目

J R 横 浜 駅


早朝の横浜駅。
目的はもちろん、行きたくもねぇ職場に向かうためにいます。

駅のキオスクで「横濱ミルフィユ」を買って手土産とし、いざ携帯奪還へ。




さ ら に 第 4 日 目

大 会 会 場


携帯を奪還し、ホントの「よいお年を~」宣言をしたところへ、急ぎ大会会場へ。

この日は調子よく手が入って、ついには、



自身2度目の役満となる四暗刻を自摸あがり。



いちおう裏ドラと槓裏ドラを確認して・・・やっぱり四暗刻を自摸あがり。




最 終 日

年 越 し そ ば


毎年恒例、「太田屋」さんで年越しそばをいただきます。



今年は原点に立ち返って、もりそばをいただきました。
というよりも、毎年年越しそばはもりそばになっている気がします。




以上、第64回大会の顛末記でした。



結果は・・・公式ホームページをご覧ください(T_T)




日 付 不 詳

大 会 会 場


何日目かは忘れてしまいましたが、たわいもない話をしながら麻雀をしていたときのこと。

「みんなは実家に帰るの?」
「だったらドライブ行きましょうよ」
「初詣なんていいんじゃない」
「だったら●●●●へ行きましょうよ」



新年最初の目的地が決まった瞬間でした。
(ここは完全な内輪ネタなので、鬼ヅモ会員以外の方はご覧になれません。すみませんねぇ)





第63回鬼ヅモ同好会麻雀大会・最終日~国士無双

2014-08-23 | 鬼ヅモ同好会


2 0 1 4 年 8 月 1 7 日 ( 日 )

第 6 3 回 鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会

最 終 日



3日目終了時までのスコア。



全員が±50ptsの範囲内にいるというかつてない激戦
「どなたにもチャンスがあります」という状態です。

翌18日によね氏は出勤するため、この日の試合数を8試合と定めて闘牌開始です。


しかしこの日最初の試合、会長が7連荘



しまいに混一色七対子でダメ押し。
点棒をごっそり集めて+71pts、今大会はじめてポールポジションを奪います!

・・・なっげぇ~試合だった(T_T)

この日は全般的に連荘が相次ぎ、試合時間が長くなっていたようです。


第何試合だったかは忘れましたが、



私「ほぉ~、ドラが3枚集まってきたわい(#^.^#)」

会長「リーチ」
よね「リーチ」
たか「リーチ」


なにも3人同じ巡目でリーチをかけることはないだろ~(T_T)
結局、端牌処理も終わらないまま誰かが放銃して終了。



そしてついに、今日の『その時』を迎えます。



最終日の4試合目。

私の手牌は東、南、西、北、白、發、中のすべての字牌が揃い、さらに一萬と九索。
こうなったら目指す道はただひとつ。



麻雀を始めて18年、ついに初めての役満・国士無双を和了しました。


えび邸にある一冊の麻雀本、
18年前の麻雀との出会い――。

高校時代、同志は集い、
「3年生を送る会」をサボって麻雀へ――。

大学進学後も志は止まず、
「鬼ヅモ同好会」結成へ――。

役満があがれない私を尻目に、
会員は功を立てていった――。

たい氏の国士に振り込み、そう氏の小四喜を見守る――。
後から鬼ヅモ会員となった者たちは、私を追い抜いて行った――。



・・・・・・こんな昔話をするくらいになったということは、私も年をとったのだなぁ(T_T)




8 月 1 8 日 ( 月 )

午 前 2 時 頃 ?

全 試 合 終 了


全試合が終了して、優勝はかつ会長。
前回のGW大会に次いで連覇を達成されました。おめでとうございます。



私ですか・・・・・・善戦したと思うんですけどねぇ。




川越で買ってきた「日本一長いふ菓子」をここで開封、かつ氏、たか氏と私で食べました。
(よね氏はいち早くご就寝されました)
さすがにふ菓子とあって喉が渇くものでしたが、しつこい甘さはなく、なかなか食べやすいものでした。
3人がかりといえどさすがに1本食いは厳しく、30cmほど残した分は私の朝食となりました。





第63回鬼ヅモ同好会麻雀大会・第3日目~ぶぶ漬けいかがどす?

2014-08-23 | 鬼ヅモ同好会


2 0 1 4 年 8 月 1 4 日 ( 木 )

午 後 8 時 2 9 分

横 浜 市 南 区

地 下 鉄 吉 野 町 駅 付 近



この日は、前日リタイヤした八王子から旅を再開。
ママチャリと私は、無事に横浜に戻ることができました。
地下鉄吉野町駅付近で国道16号線を外れ、大会会場へ急ぎます。

じつはあらかじめ、横浜町田ICを通過したあたりからたか先生とコンタクトをとり、会場近辺の店で食事をしようということになりました。

そして何事もなく、路上の鬼ヅモ会員と合流。
鬼ヅモ同好会御用達の店を回るのですが、お盆休みの影響なのかどこも閉まっていました。


仕方がないのでその近辺にある中華料理屋に入店します。
そこでギョウザ、エビチリ、海老チャーハン、牛バラなどを注文します。
そして料理はやってきました。しかし・・・・・・

行こうとしていた中華料理屋さんよりも、すべての品で味が一段劣るのです。

チャーハンはやや塩っぽい。ホタテのやつ(料理名忘れた)はショウガが場違いなほど効いている。
エビチリも牛バラもなんだか違う・・・・・・。

中華街に詳しいよね氏は厳しく評していましたし、私も「んん?」と感じてしまうほど。
しかしこの店の問題点は違うところにありました。

女店員(主人?)が、やたらと空いた皿を下げようとやってくる・・・テーブルのスペースは余裕があるのにもかかわらず。
そしてギョウザがあと1個というときに、そのギョウザの皿をも下げようとしたのです。
残り1個のギョウザは私が急いで食べました

そうやって客をせかすくせに、取り皿をちゃんと持ってこない・・・牛バラとエビチリを一緒の皿で食えと?
女店員に皿を持ってくるよう要求すると、去り際になぜか水差しを下げようとしたのです。
水がしっかり入っている水差しをわざわざ下げる理由はなんでしょうか。

「ぶぶ漬けいかがどす?」的な態度に会員全員が「おや???」と感じていたころに、主人と思われる男がラストオーダーをとりに来ました。
イカの炒め物(料理名忘れた)と、私とよね氏だけ杏仁豆腐をオーダーしました。

イカの炒め物はやたらと辛みが強い、杏仁豆腐は牛乳を寒天で固めただけのスーパーでも売っている物レベル・・・・・・。

大してうまくもない中華に、無礼な接客態度で、「この店には二度とは来るまい」「歌舞伎町レベルだ」と思っていたところで、お勘定となりました。

店主は金額の書かれた領収証だけをいきなり見せてきて、「ご一緒でお願いします」とのたまった。
そんなもの、事前に見せてくれればこちらでまとめてから支払うもので、なにも「別々でお願いします」なんて言うつもりはないのに。

会員も口々に批判の言葉が飛び出し、私も店主に聞こえるように「お愛想」という言葉を口にします。
ご~氏だけは礼儀正しく「ご馳走様でした」と言っていました。

そして店を出た途端、店の外の電気が消えました
まるで「早く帰れ」と言わんばかりに。

杏仁豆腐を食べたよね氏と私は、近くのセヴンイレヴンで杏仁豆腐を買い、お口直しをしたのでした。




午 後 1 0 時 3 0 分 頃

第 3 日 目 の 麻 雀 開 始


ご~氏にとっては最後の日となる麻雀。
私が八王子に行っている間に麻雀が行われており、私はようやく合流します。



前2日とは打って変わって、会長が勢力を盛り返しています。
大宮では勝っていたたか氏とご~氏がスコアを落としています。


とある局。
配牌から理牌が終わって、「お、いい手が入ったな」と思った刹那、



よね「自摸。」



冷徹なるよね氏の和了宣言。
一瞬地和と勘違いしてしまいましたが、2巡目なので門前清自摸の1役のみでした。
最終局のトップだったので、ダブル立直はひかえたようです。

会員各々疲れがたまっていたのか、親を一局飛ばしそうになるハプニングも。



大宮で勝っていた面々はスコアを落とし、大宮で伸び悩んだ面々がスコアを伸ばす・・・・・・大宮と横浜で逆の現象が起きています。
私も参加した6試合のうちトップ3回、2着1回と躍進。
そして一時はマイナス3ケタだった会長が債務を完済、2位に躍り出ました。

  「どなたにもチャンスがあります」

天の彼方で御大が仰せであるかのごとく、最終日でどうにも転びそうな平たい展開になっていました。





第63回鬼ヅモ同好会麻雀大会・第2日目~疲労の果てに

2014-08-23 | 鬼ヅモ同好会


2 0 1 4 年 8 月 1 4 日 ( 木 )

午 後 1 0 時 3 0 分 頃

よ ね 氏 宅



途中死にそうな目に遭いながらも、なんとか横浜のよね氏宅に着きました。

ママチャリで「国道16号完全走破」を目指していた私は、途中で軽い熱中症にかかり長く休憩をとるはめに陥ります。
さいたまから横浜まで走るのは断念し、途中の八王子で自転車を停めて、電車で横浜に入ったのでした。



それでも、川越で買ってきた「日本一長いふ菓子」は守りきることに成功。
「やあやあ、○○○○!」(←○○○○は、たか氏の本名が入ります) と、奇襲を仕掛けるべく、本棚の隅に立てかけておきました。

しかし、ご~氏があっさりとふ菓子を発見してしまいます。
それ以前に熱中症に冒された私の体調はそうそう回復するものでもなく、とても甘いもの対決を仕掛ける気力がありません。

のちにふ菓子は朝ごはんとなりました。



さて、この日から麻雀は自動卓に。
しっぽりと闘牌を積み重ねる・・・はずが、この日の麻雀は7試合。
私以上に、仕事帰りのよね氏の疲れがたまっていたようで、睡魔にやられてしまいました。
つられるかのように、私も眠りへ。



副会長たか氏が好調をキープ、ほぼ一人勝ちの状況です。今回はたか氏の優勝か?
前回覇者の会長が絶不調・・・この差をひっくり返すのは至難の業です。
私はトップ1回、2着2回と、大宮での負けを徐々に取り返しつつありました。



翌日。八王子へ。
自転車を取戻しに行かなければなりませんでした。





第63回鬼ヅモ同好会麻雀大会・第1日目~手積み麻雀の覇者

2014-08-23 | 鬼ヅモ同好会


2 0 1 4 年 8 月 1 4 日 ( 木 )

午 後 8 時 5 4 分

さ い た ま 市 大 宮 区

大 宮 駅 東 口 付 近





国道16号線から離れ、大宮駅方面へ。
掲示板に記された集合場所のセヴンイレヴン目指して、ママチャリを走らせます。

今回の鬼ヅモ大会は副会長・たか先生のお宅で行われます。
私は以前1度だけ訪れたことがあったので、その記憶を頼りに大宮駅東口に一番近いセヴンで会員たちを待ちます。

・・・・・・来ない。このセヴンじゃない・・・!?

スマホさんで検索してみると、件のセブンはずいぶん離れたところにあることがわかりました。
というより、たか先生宅からかなり近いところに。

・・・・・・たか先生、はじめての来客にずいぶんな試練を与えるじゃないか~。

そう思ったのですが、鬼ヅモ会員が同時刻に来るという保証はないし、鬼ヅモ会員に「地図も読めねぇバカ」はいないのですから、妥当な集合場所だったのでしょう。


さて、件のセヴンに行ってみると、すでにご~先生が着いており、まさにたか先生に入電しているところでした。




午 後 1 0 時 1 2 分

麻 雀 開 始


やや遅れて会長・かつ先生も加わり、第63回鬼ヅモ同好会麻雀大会がここに開幕します。



鬼ヅモ同好会では約5年ぶりの手積み麻雀です。
この黒い雀牌・・・・・・中野やその他の会場で数々のドラマを生んできた伝説の雀牌です(ToT)
よく見ると、その闘いの跡なのか、傷が何本も走っています。

そしてこの雀牌には赤牌がありません。
赤い油性ペンで牌の四隅に点を打って、急ごしらえの赤牌を作りました。

 

しばらく使われなかったであろう麻雀マットは、長期の収納の影響で原状回復ができない出っ張りができていました。
おかげで牌山を据えるにもひと苦労。
鬼ヅモ同好会には牌をこぼしたら300点供託というペナルティがあるので(鬼ヅモ同好会麻雀規約第80条)、気の抜けない展開が続きました。


第1試合、ご~氏の親倍に放銃。
2万点近くあった私の点棒は底を尽いてしまいました。

ご~氏はこの後も大暴れ。

 

会長の当たり牌・中を完封したうえで、その中を自摸
しかもその中は裏ドラという離れ業を見せつけます。
(会長の手牌にある左端の五筒が、急ごしらえの赤牌です)


たか氏も、ご~氏の剛腕麻雀の影でしっかりとポイントを重ねていきました。


しょっぱなで飛ばされた私も、手積み麻雀に強いとされる会長も、この日は冴えない展開。



手積み麻雀に強いのは、会長ではなくご~氏だった、そんな印象を強く感じる麻雀でした。



麻雀のさなか、話し合いで次の日からは横浜に移動することが決まりました。
横浜のよね先生のお宅には自動卓がありますので、手積み麻雀はこの日限りとなりました。

私だけ自転車でやってきたということもあり、明日の移動も考えて、この日の麻雀は4試合で終了しました。





麻雀大会最終日

2014-07-03 | 鬼ヅモ同好会

2 0 1 4 年 5 月 5 日 ( 月 )

第 6 2 回 鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会 最 終 日



大会最終日。
そう氏は帰り、会長、たか氏、よね氏そして私と、いつもの面々が残りました。
この4人でしっぽりと麻雀を競うこととなります。



最終日の夕食は、鬼ヅモ同好会御用達のそば屋「太田屋」さんです。



そばがき、うまい!



天ぷらそば、おいしゅうございます。

そばがきは今回初めていただきました。
蕎麦の味がド直球で来るものと思っていましたが、そえられていた鰹節、そしてだし汁がいい具合で合わさっていました。
もちろん、蕎麦自体の味、香りもよかったです。

天ぷらそばは、お蕎麦と天ぷらが別盛りで供されます。
どこぞの食堂とは違い天ぷらの衣はきめ細やかで、歯ごたえはサクサク、揚げたてであることが明らかです。
お蕎麦にそえられたみつばとゆずの皮がとても香り高く、気品のようなものすら感じられてしまいます。



よね氏宅へ戻り、最終日の麻雀が始まります。

前日時点での順位はこうなっていました。

 1位 よね氏 +103pts
 2位 そう氏  +85pts
 3位 会長   +52pts
 4位 私   -100pts
 5位 たか氏 -140pts

2日目までは混戦模様でしたが3日目で均衡が破れ、私とたか氏は優勝が絶望的な状況になってしまいました。
そこで目標は・・・

(この会場にはいない)そう氏を優勝させる。

この一本にしぼり、工作を開始しました。しかし・・・・・・

 会長 +41、+29、+1、+31、+33

終盤にかけて会長の快進撃が始まります。5試合中4試合でトップ、1試合は2位という無双ぶりです。
これでは会長の優勝が固まったも同然の状況です。そこで・・・

(この会場にはいない)そう氏を2位にさせる。

この一本にしぼり、闘いを再開。




ひさびさの流し満貫です。
下家の会長が立直していたため、悠々と完成しました。
が、時すでに遅しの感がありました。

 1位 会長  +194pts(前日比+144)
 2位 そう氏  +85pts
 3位 よね氏  +62pts(前日比-41)
 4位 たか氏 -125pts(前日比+15)
 5位 私   -216pts(前日比-116)

気づいてみれば、私だけ一方的に債務を抱えていました。

最終的には、会長・かつ氏が4大会(1年9か月)ぶりの優勝を飾りました。
1年9か月ぶりというのは少し意外な感じですが(もっと勝っているイメージがありましたが)、ともかくおめでとうございます。