鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

佐倉城

2013-06-14 | 城郭【日本100名城】

2 0 1 3 年 6 月 9 日 ( 日 )

午 後 1 時 1 0 分

千 葉 県 佐 倉 市

佐 倉 東 高 校 付 近



菖蒲園から坂を上がって、いったん城址公園を出た。
そして、公園から300メートルほど離れた佐倉東高校の前。



佐倉城の大手門跡は、公園から少し離れている。
大手門から広小路が伸びていて、一帯は武家屋敷街であった。


 

公園への道路を歩いていくと、左側に駐車場と佐倉城址公園管理センターがぽつんとある。
人のいる気配がない。人がいるのを見たことがない。
この中に100名城スタンプがあるのだが、管理がいささか雑ではないか?



ひとまず・・・20番、佐倉城!
スタンプ帳には2011年2月の時点で押印済み。



戦国時代中期、付近一帯を支配していた本佐倉城主・千葉親胤(ちかたね)は、一族の鹿島幹胤に命じてあらたに築城させた。
これが佐倉城のおこりである。
千葉親胤はほどなく暗殺されてしまい、工事は中止となった。

築城はしばらく中断する。

徳川家康が江戸幕府を創設すると、1610年(慶長15年)その命を受けた土井利勝により、ついに完成。
佐倉城を中心に佐倉藩が成立した。

佐倉城は「老中の城」と呼ばれることがある。
初代城主の土井利勝(老中・大老)をはじめ、堀田正盛、大久保忠朝、戸田忠昌、稲葉正通、松平乗邑(のりさと)、堀田正亮(まさすけ)、堀田正睦(まさよし)の8人を輩出している。
(堀田正睦は2度就任している)

明治維新後に廃城となり、帝国陸軍歩兵連隊の駐屯地となった。
それでも、「奇跡」と言われるほど空堀や土塁などの遺構がよく残っている。






公園の入口あたりは、三の御門跡になっている。
本丸から大手門までの間には門が3つあり、それぞれ「一の御門」「二の御門」「三の御門」と呼ばれていた。



三の御門脇の空堀もよく残っているが、ここのはまだ浅い。
芝生の緑鮮やかな窪地のようにも見える。




三の御門跡からそのまま道なりに進むと、2体の銅像が立っている。
江戸幕府の末期、開国交渉で活躍した日米2人。

 

佐倉藩主にして老中の堀田正睦(左)は、アメリカの駐日大使・タウンゼント=ハリスとの通商交渉に臨み、日米修好通商条約を締結した。
堀田は藩政に洋学を積極的に取り入れ、医学塾である順天堂の開設などの成果を残している。




そして堀田・ハリス像のあたりが二の御門跡
二の丸へと続く二の御門は、武器庫として用いられていたようだ。



画像では鬱蒼とした雑木林のように見えるが、二の御門の両脇を固める空堀はかなり深い。




二の御門からは道が二手に分かれており、そのまま直進すれば一の御門跡



左折すれば勝手口であった台所門跡に続く。




本丸は明治以降に建物が収去されて、現在は広場になっている。
往時は御殿があり、角櫓、銅櫓、天守が立っていた。

徳川家康が鷹狩りで下総国を訪れることがあったが、そのときの宿泊場所として佐倉城本丸が用いられた。
そのため歴代の城主は、本丸を寝所とすることを避けた。
本丸の御殿を使用するのは、儀礼的な行事などに限られたという。



本丸と二の丸を隔てる空堀もかなり深い。



空堀から掘った土は、本丸を囲う土塁に用いられたのだろう。
この土塁も3メートルほどと、なかなか高い。



 (天守跡から本丸を望む)

本丸の南西部にある天守跡
初代城主・土井利勝は、三層の天守(御三階櫓)を建てた。
利勝はのち古河(茨城県)に移封となるが、資料や礎石を比較したところ、そこの御三階櫓と構造がとても似ているという。



本丸の北西には、(あかがね)櫓跡
記録によれば二層の櫓で、もとは江戸城の櫓を移築したものだという。
さらにこの櫓、徳川家康が江戸城を改築する以前から存在したものらしい。

 

天守跡そばにある一本の大きなモッコク【千葉県指定天然記念物】。
幹に「昭和十八年十月」「砲隊」といった落書きが彫られている。
歩兵連隊が置かれていたころの兵士の落書きだという。


 (椎木曲輪側から)

二の御門跡から、三の御門とは逆の方向に歩くと、椎木門跡に続く。
ここは掘りのすばらしい郭馬出しで防御が固められている。
椎木門の外側は椎木曲輪と呼ばれ、現在は国立歴史民俗博物館(歴博)がそびえ立つ。







明治政府により建物がすべて撤去されてしまった佐倉城において、そのシンボル的な存在がこの郭馬出しであろう。
100名城スタンプの図柄もここである。



それにしても夏場の城攻めは体に堪える。
城内を歩き回ったところだし、屋内で休憩したい。



ちょうどいいところに歴博があるではないか!

しかしこの歴博、とんでもない所であった・・・。



佐倉城登城・第3話へ続く。