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大石神社を参拝して、いよいよ赤穂城【国指定史跡】登城へ。
大石神社を訪れる前に、
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すでに大手門は通過しています。
つまり大石神社は赤穂城の城内、三之丸に鎮座しています。
神社から少し進んだところで、
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通路の左右でえらく様相が変わるお濠。
通路の左・東側が二之丸外堀、堅固な石垣が築かれている西側が二之丸内堀です。
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お濠を東西に隔てる二之丸門跡を越え、二之丸へ。
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二之丸外堀のほとりにたたずむ銅像は、山鹿素行です。
山鹿素行は、陸奥国会津(現在の会津若松市)で生まれました。
若くして江戸に出て、大学頭林羅山から朱子学を学び、甲州流軍学者小幡景憲らから軍学を学び、その他多様な学問を修めました。
しかし幕府の御用学問ともいうべき朱子学を批判したため、幕府より赤穂藩へ流罪となってしまいます。
赤穂藩では罪人ではなく賓客として扱い、赤穂藩士の学問の師となりました。大石内蔵助も門弟のひとりであったそうです。
のち幕府より赦免され、江戸に戻りました。
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赤穂に配流されていた山鹿素行は、大石
大石頼母助は、大石内蔵助の大叔父にあたる人物で、赤穂藩の家老職にありました。
二之丸門付近に屋敷を構えていて、現在はその屋敷門が整備されています。
大石頼母助邸のすぐ近くに、
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本丸門が構えています。
赤穂城は、正保3年(1646年)に赤穂藩藩主・浅野長直の命により、甲州流軍学者の近藤正純が縄張りを設計しました。
慶安元年(1648年)に幕府へ築城計画を届け出て受理され、築城が始まります。
途中、赤穂に滞在していた学者・山鹿素行の助言も受けて縄張りが変更され、寛文元年(1661年)に完成しました。
近世で最後の城郭ともいわれます。
5万石の浅野家にとって赤穂城は大きすぎる城であったようで、計画にあった天守はついに建設されませんでした。
その後は、長直の孫・
永井氏、次いで森氏が2万石で入封し、幕末を迎えました。
明治維新後、廃城。
本丸門の先は文字通り本丸なのですが、あえてすぐには入らず、二之丸をぐるりと回っていきましょう。
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本丸門から時計回りに歩くと、まず見えてくる厩口門(台所門)【復元】。
浅野家の時代には厩口門、森家の時代になると台所門と呼ばれていました。
門は高麗門の形式ですが・・・それよりも石垣です。
門の左側の石垣は、すぐ脇で曲がっています。
こうすることによって、門を破ろうとする敵軍に横矢を浴びせかけることができます。
曲線を多用する縄張りは、甲州流軍学に基づいているものだそうです。
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堅固な石垣が組まれている本丸側に対して、
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三の丸側は土塁が積まれていて、石垣の石を節約しています。
おおむね、外側は石垣、内側は土塁のようです。
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本丸門とはちょうど反対側、刎橋門跡です。
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それにしても本丸の縄張りは複雑で、至る所から横矢を浴びせることができるようになっています。
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二之丸を回っていると、突如現れる白壁・西仕切。
南北を二分していて、西仕切門によって行き来できました。
またこの門扉は、一部が横板を張らない構造(透かし門)になっていて、門扉を閉めながらも敵軍の様子をうかがうことができるようになっていました。
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西仕切の先は赤穂城二之丸庭園【国指定名勝】がありますが・・・
この日は工事中のため中には入れませんでした。
刎橋門跡の反対側には、二之丸から外に通じる水手門があります。
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築城当時、二之丸の外は川に面していて、満潮時には海水が石垣まで達していたそうです。
米俵などの物資が、この門を通して城内へ運ばれていて、水手門のすぐそばに米蔵が建っていたそうです。
ふたたび本丸門へ。
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まずは高麗門形式の二の門を通過。
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櫓門である一の門は、二の門の右斜め前に構えます。
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二の門にて100名城スタンプを発見。
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60番、赤穂城!
絵柄はまさにスタンプが設置されている本丸門、そして本丸御殿跡です。
赤穂城の本丸へ。
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発掘調査の結果から築かれた本丸御殿の遺構。
本丸の面積の多くを御殿が占めていたようです。
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おや、あの女性は・・・?
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天守台からなにかを眺めているようです。
私も上ってみます。
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御殿の遺構がかなり広大であるとわかります。
御殿のところどころには小さな中庭があったようです。
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天守台の北東方向に厩口門(台所門)。
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同じく南西方向に刎橋門。
向こうには海側の玄関口であった水手御門が見えます。
さて赤穂城本丸には、赤穂城本丸庭園【国指定名勝】があると聞いていたのですが・・・
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この池が国指定の名勝なのか・・・?
この日は松の木と木蓮の花弁の色彩が美しかったのですが・・・これが本丸庭園・・・なのだろう、多分!
ということで、本丸庭園をしばし散策。
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あれれ? 「赤穂城本丸大池泉」??
ここは本丸庭園ではないのか?
しかし天守台から眺めたところ、「庭園」と呼べるのはこの池泉だけ・・・。
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もやもやしながらも、本丸門から退出しました。
本丸門、二の丸門跡を相次いで通過し、大石神社付近を通っていくと、
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住宅街への入口の前に、塩屋門跡の石垣がひっそりたたずんでいます。
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赤穂城の裏口にあたる塩屋門を出て、赤穂城の登城は終了。
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