日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

目を覚まして祈っていなさい

2010-07-04 07:12:24 | メッセージ
宣 教  マタイ26章36~46節

イエスさまご自身は、その誘惑とどのように戦われたのでしょうか。
イエスさまの今日の祈りを聞いてまいりますと、その祈りが変わっていくのがわかります。
初め、「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」とご自分の思いと願いを祈られます。次には、「しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」とご自分の思いより神さまの御心を大事にされます。そしてさらに、「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行なわれますように」、父よ、あなたの御心こそが行なわれますようにと、祈りがだんだん変化していくのです。イエスさまは、父の御心にご自分を託し、委ねることによって、この誘惑に勝利されるのです。イエスは天の神に「父よ」と祈り続ける中で、父の御心である「杯」を受け取っていく者へ変えられていきます。この「杯」には、「苦しみを分かち合う象徴」としての意味合いがあるのです。


ここを読むと、イエスさまは三度も繰り返して祈られたとあります。文字通り一回、二回、三回ということではなく、何回も何回も何回もという意味なのですね。ですからイエスさまであっても一回御心が行なわれますようにと口に出されても、そこでまたご自分の思いや願いが湧いてきて同様に祈られる、そういった祈りの戦い、切なる祈りを繰り返して祈られる中で、遂には父の御心に自分を委ね切り、従わせて、誘惑に打ち勝たれたということであります。その事を思いますとき、私たちのように弱く移ろいやすい者が祈らなければならないのは当然のことであると思わされます。神の子でさえ、これほどに祈られたのです。

私たちは「誘惑に陥らず」、時に備えて目を覚ましているために、もっともっと「祈らなければならない」「祈り続けなければならない」ということであります。私たちはイエスさまがそうであられたように、人としての弱さ、苦悩を持って生きています。だからこそ、その弱さを認め、御心に聞いて従う生涯の歩みを通す事ができる。誘惑に遭わないように目を覚まして祈っていなければなりません。
コメント
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