宣 教 詩編1編
このところを今回じっくり読んでいく中でとても大切なことに気づかされました。
真の神を知らされた者の2通りの生き方です。それは、実を結び、葉もしおれることのない木と風に吹き飛ばされるもみ殻に象徴されています。もみ殻というものは中身がないものです。いわばみ言葉に生きることが抜け落ちてしまったそのような有様のことです。
神に逆らうとありますが、知らないから逆らうのではありません、知っているから逆らうのです。知っていて逆らう。それが人間の罪であります。
そんな風に吹き飛ばされるもみ殻とは対照的なのが木であります。川のほとりに植えられた木のように主の教えをぐんぐん吸収し、根を張って生きる人、その人はやがて実を結び、その人のすることは様々な面で繁栄をもたらす、というのです。
先日教会の駐車場の敷地の斜面に落雷に打たれた大木の処理をK兄弟と業者の方がなさってくださったときのことです。その大木はもはや根が腐っており幹の中も空洞でしたので意外に簡単に処理ができたのです。しかし、中には切り株だけになっているのに、まだ根をしっかり張っていている大木は生きているんですね。根をしっかり張っているためにこちらはさすがに処理することはできなかったのです。
絶えることのない流れのほとりにおいて植えられた木は、熱風が他のすべての木を枯らしてしまう時にも、根をしっかり張って日ごろから水分を吸収し続けているため、しぼむことなく季節には実を結ぶことができます。それとは反対に、根をしっかり下ろして張っていないのなら、どこからその木は水や養分を吸い上げることができるでしょうか。
日々主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむことをとおして、流れのほとりに植えられた木のように、熱風が吹いても葉はしおれることもなく、時がくれば実をつける、そのような信仰者となりたいものです。
豊かに実りをもたらすかどうか。それは「根をしっかり張っているか」ということにかかっています。しっかりと信仰の根を下ろし、主のいのちの水を吸い上げて生きていきましょう。
このところを今回じっくり読んでいく中でとても大切なことに気づかされました。
真の神を知らされた者の2通りの生き方です。それは、実を結び、葉もしおれることのない木と風に吹き飛ばされるもみ殻に象徴されています。もみ殻というものは中身がないものです。いわばみ言葉に生きることが抜け落ちてしまったそのような有様のことです。
神に逆らうとありますが、知らないから逆らうのではありません、知っているから逆らうのです。知っていて逆らう。それが人間の罪であります。
そんな風に吹き飛ばされるもみ殻とは対照的なのが木であります。川のほとりに植えられた木のように主の教えをぐんぐん吸収し、根を張って生きる人、その人はやがて実を結び、その人のすることは様々な面で繁栄をもたらす、というのです。
先日教会の駐車場の敷地の斜面に落雷に打たれた大木の処理をK兄弟と業者の方がなさってくださったときのことです。その大木はもはや根が腐っており幹の中も空洞でしたので意外に簡単に処理ができたのです。しかし、中には切り株だけになっているのに、まだ根をしっかり張っていている大木は生きているんですね。根をしっかり張っているためにこちらはさすがに処理することはできなかったのです。
絶えることのない流れのほとりにおいて植えられた木は、熱風が他のすべての木を枯らしてしまう時にも、根をしっかり張って日ごろから水分を吸収し続けているため、しぼむことなく季節には実を結ぶことができます。それとは反対に、根をしっかり下ろして張っていないのなら、どこからその木は水や養分を吸い上げることができるでしょうか。
日々主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむことをとおして、流れのほとりに植えられた木のように、熱風が吹いても葉はしおれることもなく、時がくれば実をつける、そのような信仰者となりたいものです。
豊かに実りをもたらすかどうか。それは「根をしっかり張っているか」ということにかかっています。しっかりと信仰の根を下ろし、主のいのちの水を吸い上げて生きていきましょう。