元旦礼拝 Ⅱコリント2章14節
主の年2014年、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申しあげます。
昨年は世界中で天変地異が続き、聖書が終末の際に起こるであろうと記されている事どもが次々に起こった一年でありました。国内の情勢に目を向けますと、政権交代がありまして景気回復が伝えられる一方、貧富の差は益々拡大しています。4月からの消費税増税も決まり、社会の格差は拡がるばかりです。東日本大震災と原発事故の被災地の救済と復興は置き去りにされたまま3年にもなろうとしていますが、高濃度の汚染水は漏れ続け、危険な作業が日夜続けられています。さらに、特定秘密保護法の強行採決、武器銃弾輸出、沖縄米軍基地の代替地として辺野古埋め立ての問題。そして首相の独断的な靖国参拝により、中国や韓国をはじめ米国、EU、ロシアなど世界との緊張が益々高まっています。
今日の元旦礼拝にR宣教師夫妻もご出席くださいました。先生方は東日本大震災の被災者の支援活動「東北ケア」の働きのために、現地に何度もボランティアに行かれているということを伺っています。その貴いお働きに敬意を表します。被災地の方々が抱えておられる焦りや閉塞感に寄り添うお働きは大変な事とは存じますが。ヨハネ1章で「光は闇の中で輝いている」と語られている出来事が、先生方のお働き、私どもバプテスト連盟の被災地の教会の働を通して現わされてまいりますよう今年度も覚えていきたいものです。
世界の各地、又この国の現実の状況は暗く不穏な空気が漂っていますが。けれども、この世界をすべ治めておられるお方は主であられます。その主のみ言葉に聴き従って「キリストの勝利の行進に連ならせて」戴く私たちの歩みとなりますよう、心から祈り求めてまいりましょう。
例年この元旦礼拝において新年度の年間聖句とテーマ案を掲げる事となっていますが。2014年の聖句はⅡコリント2章14節「神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます」を掲げます。この所から年間テーマ「キリストの香りを放つ教会」とさせて戴きました。
私たち大阪教会は、昨年の3月から11月までの9ヶ月間は新会堂建築工事のために筋向いの大川ビルの一室をお借りして礼拝と祈祷会を行ってきましたが。この40週の270日の仮会堂でのあゆみは、モーセに率いられたイスラエルの民がカナンの地に向けた荒れ野の旅になぞらえることができるでしょう。先週の歳晩礼拝でもうしましたように、そこで様々なことがありましたが、主の先立ちと導きのもと守られて新会堂が完成し、12月1日晴れて新会堂での最初の礼拝を感謝と喜びをもって主にお捧げすることができました。このように私たちは仮会堂での荒れ野の旅路を経て、今は旧約聖書でいえば約束のカナンの地に入ることができたといえましょう。
しかしカナンの地に入ったイスラエルの民の歩みはそれで完結し、めでたしめでたで終わったかというと決してそうではありませんでした。旧約聖書のヨシュア記や士師記にはカナンの地に入ったイスラエルの民の歩みについて記されています。そこには彼らが祝福を勝ち取っていくための戦いが記されています。主の民を受け入れようとしない世の力との戦い。又、彼ら自身のうちにある罪や偶像における戦いが起こりました。カナンの地に至ったその日から彼らの新たなる神の民として生きる戦いが始まっていくのであります。
私たちも、新会堂が完成したことは喜びと感謝の出来事でありますが。実はこれからこの新会堂を用い、イエス・キリストの救いの御業である福音を守っていくだけでなく、如何に福音を伝え、分かち合っていくかという伝道の働きがまさに今後大事なのですね。
先日、西南学院大学神学部学生会が毎年発行している文集「道」が届き、目を通させて戴きました。神学部の教師や神学生たちが紹介されているので、皆さんもぜひ読んで戴けると、今の西南神学部や神学生のことが身近になるかと思います。
その文集の中で、次のある神学生が書かれた言葉に目が留まりました。
「私には最近ようやく書けるようになった漢字があります。それは『伝道』です。今までどうしても『伝道』を『伝導』;伝え導くと書いてしまうのでした。どんなに「直そう、直そう」と思っても、『道』ではなく『導』と書いてしまうのです。伝道はイエス様の道を伝えることであり、自分が導くことではないと分かってはいても、ついクリスチャンの私が、クリスチャンでない人を導かねばと肩に力を入れてしまうのです。そんな自分にとって『伝道』とは『伝導』であったようです。」 このように伝道ということについての気づきを綴っておられました。化学用語で熱伝導と言えば、例えば金属の棒の一方を火で熱すると、どんどん熱が伝わって、もう一方の側まで熱くなるという現象が起こるわけですが。それを考えますと、イエス・キリストの愛に熱せられた私が、様々な人との関わりと出会いを通してキリストの愛のぬくもりを熱伝導するものとして用いられる、という事で、神学生の言う伝道;伝え導くことも、当てはまらないことはないかも知れません。いずれにしても、伝道というのは、「私が人を導くのではなく、私がキリストの道を生きる」。そこに神さまの力が臨み、聖霊が豊かに働かれるということなんです。伝道の主役は主なる神さまご自身であられ、「キリストの道を生きるクリスチャン」を「主が伝道のためにお用いになられる」のです。
本日のⅡコリント2章14節には、「神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます」と記されています。
主ご自身が、私たちを通してキリストを知るという知識の香りを漂わせてくださるのです。主が、キリストの道を生きようとする私をお用いになり、至るところにキリストの香りを放ってくださる、というのです。相手の気持ちも考えず、自分の考えを押しつけようとしたり、自分の力で人を悔改めさせようといわば上から目線で力み意気込むことで、かえってキリストの香りではなく、人工的な悪臭が放たれるとしたなら、これは逆効果ですよね。
新しい会堂が完成いたしました。確かにこの建物が「キリスト教会ここにあり」ということを示し、証ししている存在感は大変ありがたいことです。しかし、それだけでは教会とは言えません。まさに教会に集う私たち一人ひとりが、キリストの香りを至るところに放っている、イエス・キリストにあって生きる証しをもっているということが、ほんとうに大切であります。
私たちが、イエス・キリストの言動、救いのみ業を常に心に思い、希望をもって祈る続ける中に、必ずや「神さまは私たちをその勝利の行進に連ならせ、私たちを通してキリストの香りを漂わせて下さる」でありましょう。
この一年のはじまりの元旦、私たちは生ける神、救いの主イエス・キリスト、すべての人間の罪を贖い復活の命を与えてくださる神さま、世界をすべおさめたもう神さまの御前において礼拝することができることは、何よりも代え難い恵みであります。
今年も主の栄光を仰ぐ一年となりますよう、お祈りいたします。
今年の「ブログ」も、どうぞよろしくお願いいたします。
2014年の皆さまお一人の歩みが、主にあってご健康とお働きが守られ祝され、又すべての必要が満たされていきますよう、祝福をお祈りいたします。
聖暦2014 平安・在主
主の年2014年、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申しあげます。
昨年は世界中で天変地異が続き、聖書が終末の際に起こるであろうと記されている事どもが次々に起こった一年でありました。国内の情勢に目を向けますと、政権交代がありまして景気回復が伝えられる一方、貧富の差は益々拡大しています。4月からの消費税増税も決まり、社会の格差は拡がるばかりです。東日本大震災と原発事故の被災地の救済と復興は置き去りにされたまま3年にもなろうとしていますが、高濃度の汚染水は漏れ続け、危険な作業が日夜続けられています。さらに、特定秘密保護法の強行採決、武器銃弾輸出、沖縄米軍基地の代替地として辺野古埋め立ての問題。そして首相の独断的な靖国参拝により、中国や韓国をはじめ米国、EU、ロシアなど世界との緊張が益々高まっています。
今日の元旦礼拝にR宣教師夫妻もご出席くださいました。先生方は東日本大震災の被災者の支援活動「東北ケア」の働きのために、現地に何度もボランティアに行かれているということを伺っています。その貴いお働きに敬意を表します。被災地の方々が抱えておられる焦りや閉塞感に寄り添うお働きは大変な事とは存じますが。ヨハネ1章で「光は闇の中で輝いている」と語られている出来事が、先生方のお働き、私どもバプテスト連盟の被災地の教会の働を通して現わされてまいりますよう今年度も覚えていきたいものです。
世界の各地、又この国の現実の状況は暗く不穏な空気が漂っていますが。けれども、この世界をすべ治めておられるお方は主であられます。その主のみ言葉に聴き従って「キリストの勝利の行進に連ならせて」戴く私たちの歩みとなりますよう、心から祈り求めてまいりましょう。
例年この元旦礼拝において新年度の年間聖句とテーマ案を掲げる事となっていますが。2014年の聖句はⅡコリント2章14節「神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます」を掲げます。この所から年間テーマ「キリストの香りを放つ教会」とさせて戴きました。
私たち大阪教会は、昨年の3月から11月までの9ヶ月間は新会堂建築工事のために筋向いの大川ビルの一室をお借りして礼拝と祈祷会を行ってきましたが。この40週の270日の仮会堂でのあゆみは、モーセに率いられたイスラエルの民がカナンの地に向けた荒れ野の旅になぞらえることができるでしょう。先週の歳晩礼拝でもうしましたように、そこで様々なことがありましたが、主の先立ちと導きのもと守られて新会堂が完成し、12月1日晴れて新会堂での最初の礼拝を感謝と喜びをもって主にお捧げすることができました。このように私たちは仮会堂での荒れ野の旅路を経て、今は旧約聖書でいえば約束のカナンの地に入ることができたといえましょう。
しかしカナンの地に入ったイスラエルの民の歩みはそれで完結し、めでたしめでたで終わったかというと決してそうではありませんでした。旧約聖書のヨシュア記や士師記にはカナンの地に入ったイスラエルの民の歩みについて記されています。そこには彼らが祝福を勝ち取っていくための戦いが記されています。主の民を受け入れようとしない世の力との戦い。又、彼ら自身のうちにある罪や偶像における戦いが起こりました。カナンの地に至ったその日から彼らの新たなる神の民として生きる戦いが始まっていくのであります。
私たちも、新会堂が完成したことは喜びと感謝の出来事でありますが。実はこれからこの新会堂を用い、イエス・キリストの救いの御業である福音を守っていくだけでなく、如何に福音を伝え、分かち合っていくかという伝道の働きがまさに今後大事なのですね。
先日、西南学院大学神学部学生会が毎年発行している文集「道」が届き、目を通させて戴きました。神学部の教師や神学生たちが紹介されているので、皆さんもぜひ読んで戴けると、今の西南神学部や神学生のことが身近になるかと思います。
その文集の中で、次のある神学生が書かれた言葉に目が留まりました。
「私には最近ようやく書けるようになった漢字があります。それは『伝道』です。今までどうしても『伝道』を『伝導』;伝え導くと書いてしまうのでした。どんなに「直そう、直そう」と思っても、『道』ではなく『導』と書いてしまうのです。伝道はイエス様の道を伝えることであり、自分が導くことではないと分かってはいても、ついクリスチャンの私が、クリスチャンでない人を導かねばと肩に力を入れてしまうのです。そんな自分にとって『伝道』とは『伝導』であったようです。」 このように伝道ということについての気づきを綴っておられました。化学用語で熱伝導と言えば、例えば金属の棒の一方を火で熱すると、どんどん熱が伝わって、もう一方の側まで熱くなるという現象が起こるわけですが。それを考えますと、イエス・キリストの愛に熱せられた私が、様々な人との関わりと出会いを通してキリストの愛のぬくもりを熱伝導するものとして用いられる、という事で、神学生の言う伝道;伝え導くことも、当てはまらないことはないかも知れません。いずれにしても、伝道というのは、「私が人を導くのではなく、私がキリストの道を生きる」。そこに神さまの力が臨み、聖霊が豊かに働かれるということなんです。伝道の主役は主なる神さまご自身であられ、「キリストの道を生きるクリスチャン」を「主が伝道のためにお用いになられる」のです。
本日のⅡコリント2章14節には、「神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます」と記されています。
主ご自身が、私たちを通してキリストを知るという知識の香りを漂わせてくださるのです。主が、キリストの道を生きようとする私をお用いになり、至るところにキリストの香りを放ってくださる、というのです。相手の気持ちも考えず、自分の考えを押しつけようとしたり、自分の力で人を悔改めさせようといわば上から目線で力み意気込むことで、かえってキリストの香りではなく、人工的な悪臭が放たれるとしたなら、これは逆効果ですよね。
新しい会堂が完成いたしました。確かにこの建物が「キリスト教会ここにあり」ということを示し、証ししている存在感は大変ありがたいことです。しかし、それだけでは教会とは言えません。まさに教会に集う私たち一人ひとりが、キリストの香りを至るところに放っている、イエス・キリストにあって生きる証しをもっているということが、ほんとうに大切であります。
私たちが、イエス・キリストの言動、救いのみ業を常に心に思い、希望をもって祈る続ける中に、必ずや「神さまは私たちをその勝利の行進に連ならせ、私たちを通してキリストの香りを漂わせて下さる」でありましょう。
この一年のはじまりの元旦、私たちは生ける神、救いの主イエス・キリスト、すべての人間の罪を贖い復活の命を与えてくださる神さま、世界をすべおさめたもう神さまの御前において礼拝することができることは、何よりも代え難い恵みであります。
今年も主の栄光を仰ぐ一年となりますよう、お祈りいたします。
今年の「ブログ」も、どうぞよろしくお願いいたします。
2014年の皆さまお一人の歩みが、主にあってご健康とお働きが守られ祝され、又すべての必要が満たされていきますよう、祝福をお祈りいたします。
聖暦2014 平安・在主