礼拝宣教 ヨハネ7・1~13、37~39
先週はこの新会堂においてバプテスト連盟の青年ミニストリー協議会が二日間に亘って開催されました、2階のホールでの昼食時は満席状態となり、又二日目の集会のピーク時には40名近い方々が会堂に集われ盛況でした。二日間のプログラムを通して、聖書から聴く学びと、青年たちが如何にそれぞれの教会に繋がってそこで何を考え、問い問われつつ歩んでおられるか。私も参加させて戴きながら、その一端を知る機会ともなりました。教会は教会の運営や働きのために青年たちの行動力や働きを期待いたしますが。しかしまず、青年たち一人ひとりが神さまの前にあって生き生きと活かされていくことが大事で、そのために教会は何ができるのか、祈り、サポートしていくことが必要であるということを改めて思わされました。それは同時に青年期を過ぎた者やこれから育つ子どもたちも同様であります。魂が飢え渇いたままでは恵みを汲み出すことはできません。まずは自分自身が神の御前に魂の渇きを潤されて活き活きと生かされていくことが大切であります。
本日はヨハネ7章のところから「主イエスが与える生きた水」と題し、御言葉を聞いていきたいと思います。
①神の時を待つイエス
さて、本日の箇所は、イエスさまがガリラヤでの宣教活動、6章に詳しくございますが、その活動を終えられて、いよいよユダヤの中心地エルサレムに向かわれるそのようないわばイエスさまのご生涯のターニングポイントともなる箇所であります。
1節に「その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとされなかった」とあります。
ここでイエスさまはユダヤ人たちから危害が及ぶことを避け、一時ガリラヤ周辺を巡っておられたということですけれども、それはイエスさまが単に身を守るためにガリラヤに逃れたという事だけではないように思います。エルサレムに上るタイミングを計り、備えて待って、ご自分で決定をくだすのではなく、神さまの時に備えておられたのであります。
イエスさまはどこまでも神さまの御心を祈り求め従われます。
しかしそういう時に、イエスさまの身近な兄弟たちからのいわば試みの声が聞こえてくるのです。3節「イエスの兄弟たちは言った。『ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。公に知られるようにしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきりと示しなさい』。」
この時は丁度「ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた」頃で、エルサレムに人がたくさん集まってくるので、まあ「今でしょう」というように兄弟たちはイエスをせきたてたのです。
けれどもイエスさまはその兄弟たちの言葉に対して、6節「わたしの時はまだ来ていない」と答え、ガリラヤにとどまられました。
私たちは何をするにも、あれをしよう、これをしよう、と様々な計画を立てます。
しかし箴言3章6節にはこう書かれています。「あなたの行く所どこにおいても主を認めよ。そうすれば主はあなたの道をまっすぐにされる。」
何につけ、決断や行動する前に、独りよがりでなすのではなく、主と共に行く道を尋ね求め、どこにおいても、どんな時も主を認めて判断してゆくのなら、たとえそれが困難な道、いばらの道であったとしても、後で振り返った時には、まっすぐな道であったと思える日が来る。主がそのように認めてくださるのです。
イエスさまは、エルサレムに上ることが怖かったから行かなかったのではありません。「わたしの時」、すなわち十字架の御業を成し遂げられる時がまだ来ていない。それがエルサレムに上ることを断った理由でした。
②エルサレムへ上る時
ところがです。10節には「しかし、兄弟たちが祭りに上っていったとき、イエス自身も、人目を避け、隠れるようにして上って行かれた」とあるんですね。イエスさまもぶれることがおありだったのでしょうか。
兄弟たちに「エルサレムに上って自分を世に示せ」と言われた時に、まだ時は来ていないとイエスさまは断ったのに、どうしてこの時にイエスさまはエルサレムに上ろうとされたのだろうか? その理由はどこにあったのでしょうか?そのことを黙想しながら何度もこのところを読み返してみました。
すると、一つ思わされたことがあります。それは、イエスさまとこの兄弟たちの思いに大きな違いがあったということです。兄弟たちは4節にあるように、イエスに「自分を世にはっきり示しなさい」と言っています。いわば兄弟たちはイエスを祭り上げようとしたのです。
それに対してイエスさまは、18節で「自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない」おっしゃっています。つまり、この兄弟らと一緒に都に上ることになれば、イエスさまのことが都中に知れ渡り、結局は神の御心を顕わすことができなくなる、とそうお考えになられたのではないでしょうか。だからイエスさまは兄弟たちと一緒にエルサレムに上られなかったのでしょう。
すべて同調すること、周りと合わせることがよいとは限りません。肝心なのは、主が何を大事になさっておられるか、その事に心を用いそれに沿って歩むことが大切なのです。
③仮庵祭と水
さて、イエスさまがエルサレムに上られて、仮庵の祭の時が訪れます。
仮庵祭は秋に行われたユダヤの三大祭りの一つでした。三大祭りにはエルサレムから約32キロ圏内に住むユダヤ人成人男子はその祭りに参加する義務があったそうです。仮庵祭は出エジプトしたユダヤ人たちの祖先であるイスラエルの民が荒野を旅していた時に、仮庵で過ごしてきたことを記念し、エルサレムの都周辺に仮庵を建てて、そこで8日間過ごして神に讃美と感謝をささげる祭でした。ユダヤ人たちは、旧約聖書を基に「メシヤが仮庵祭に来られる」と信じてそれを守るのです。又、仮庵祭は今日でいう収穫祭に似た祭りとして神の恵みと祝福を記念する意味をもって行われます。その仮庵の祭りの中で、水を注いでささげられる特別な儀式が7日間に亘って行われます。それは、荒野で渇ききったイスラエルの民たちに、モーセが杖をとって岩を叩いて岩から水を噴き出させて、その渇きを潤したことを憶えるために、祭司がシロアムの池に金の水瓶をもって行き、水を汲み、エルサレムの神殿まで戻って来て祭壇に水を注ぐのです。
旧約聖書・イザヤ書12章3節の「あなたたちは喜びのうちに 救いの泉から水を汲む」という御言葉にもありますよに、「神の救いの井戸から水を汲む」ということを象徴しているのです。祭りに集う人々は歓喜の歌声共にそれを迎え、主を賛美したというのですね。
私どもまた、大川ビルでの仮庵の期間に湧き出た恵みの泉を、今後も証しとして大切に語り継いでいきたいものですね。
④祭りの終わりに
さて、37節以降にとびますが、「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる』とあります。
イエスさまは、すでに祭り半ばを頃から新殿の境内で教え始められていましたが。いよいよ祭りが終わりに近づいたその時に、大声で、このようにおっしゃったというのですから、それは祭りに集っていた人々に強烈なインパクトを与えたのではないでしょうか。
水の注ぎの儀式と祭りはもう終わろうとしている。その高揚感も、何となくうら寂しいような気分に変わってくるものです。そんな感傷的な雰囲気を打ち破るように、大声でイエスさまは、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい」と呼びかけられるんですね。
そこには、やがて終る祭り、やがては渇く水では到底潤すことのできない人々の魂の渇きを前にしたイエスさまの熱い思いがほとばしり出ているように思えます。
人々はユダヤの伝統や宗教に従って祭りや儀式を行っていました。それは敬虔で尊いことであります。が、その一方で、儀式や行事には限界があるものです。さらに、それを守ることが、きよめの条件になっていったり、生活が厳しく参加できない人たちは、その恵みに与れないばかりか、それが差別や偏見にもつながったのです。
ですから、イエスさまがここで、「だれでも」とおっしゃったことの意義は大変大きかったのです。分け隔てなく、どんな人でも、誰であっても、魂の底から飢え渇きを覚えている人は、直接わたしが与える生きた水(命の水)を飲みなさい、と言って主はお招きになるのであります。
都エルサレムとその周辺には比較的豊かな人たちが多くいました。彼らも現代人の殆どの人たちがそうであるように、豊かさ、健康な生活、能力やよき家庭を追い求め、それによって生きる喜びが得られるように努め、働いたことでしょう。
しかし、それらはやがて失せ、亡くなっていくものであります。
どんな楽しみも、願いも、叶ったとたん色あせていくものです。喉が渇けば水を飲む。でもしばらくするとまた喉が渇くのと同じです。どんなものをもってしても、人の根源から生じる魂の渇きを満たし、潤すことはできないのであります。
⑤命の泉と聖霊
38節でイエスさまは言われます。「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
ここで「聖書にあるとおり」とおっしゃったのは、先程読みました旧約聖書イザヤ書12章3節の「あなたたちは喜びのうちに 救いの泉から水を汲む」というお言葉も含んでいると理解できます。イザヤの預言した「救い」は、「イエス・キリスト」の受肉にはじまり、人類を贖う十字架の苦難と死、さらに復活を通してもたらされた出来事であります。その救い主イエスを信じる者のうちに、決して尽きることのない「生きた命の水が川となって流れ出るようになる」というのであります。
以前に一度お話しましたが。私が大阪の神学校の時代に新約学を教えて下さったある先生からのお話ですが。その先生が、アメリカの西海岸のロッキー山脈を横切る旅をされているときに、ある奇妙な光景に目を奪われたというのですね。姿を見せては過ぎ去っていく湖に水がなく、赤茶けた地肌をさらけ出して干上がる寸前の湖がいくつもあったそうです。その一方で、水を満々とたたえている湖に出会うこともあったというのです。なぜこのように涸れた湖と水をたたえる湖があるのか、その違いについて解ったのは、湖底に泉があるかなかの違いだということであります。
この湖のように、魂の底に、尽きることのないイエスさまの命の泉を戴いているということは、尽きることのない魂を潤す命に与り続けるという大きな祝福であるのです。
39節を読みますと「イエスは、御自身を信じる人々が受けようとしている霊について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、霊がまだ降っていなかったからである」とあります。
この「霊」は、原典(ギリシャ語)に定冠詞がついておりますので、単なるものではなく、神さまご自身であられる聖霊をさしています。ご聖霊は聖霊降臨のペンテコステの時に、主イエスを信じ、あるいは求め集った人々が祈り求める中に降られました。言い方を変えれば、主を信じる者たちのうちに臨み、住んでくださった、その一人ひとりの群れが教会なのであります。
今もご聖霊は、主の御業の継承を信じる者のうちに豊かに働き神の愛と救いを信じる力を与え、主の御業の継承のため私たちを通してお働きになられます。この聖霊の働きを祈り求め、聖書の御言葉に聴き従い、そこから湧き出る汲めども尽きない生きた命の水に日々与ってまいりましょう。
最後にもう一つだけお話して宣教を閉じたいと思います。
先日、あの未曾有の阪神淡路大震災から19年目の1月17日、大震災で亡くなられた方々を偲ぶ式典が様々な形でもたれ、全国的にも報道されました。その中のある番組で、被災者対象の集合住宅が取りあげられていたのですが。そこに入居できるのは当時60歳以上と障がい者に限定されていたため今は殆どが80歳以上の方々となり、運営管理について様々な問題が生じているということでした。
その一つとして、孤立化というのが非常に深刻な状況にあるということです。ある方は、大震災で子どもが亡くなったのは自分のせいだと自責の念に責め苛まれ、人生の楽しみをも持つ資格はないのだと、すべての友人との関係を断ち、美食も避け、来る日も来る日もお墓の前に行って詫びる生活を19年間続けてきた、とおっしゃっていました。又、ある方は、唯一人の家族を看取り、まったく人とのつながりを持てない中で孤独に押しつぶされそうなるその心情を吐露しておられました。そんな中、ある高校生たちがそのような状況におかれた方々に「手紙を送る」という取り組みをこの数年続けているようです。その高校生と文通をしている89歳の男性は「生きる力です」と、まるで宝物でも扱うように手紙を手にとっておられました。「忘れられていないんだと感じる」という声もありました。
番組の対談に参加しておられたNPOの方がこんなことをおっしゃっていました。
「私は目にしたのですが、どんなに孤立した方も毎日、郵便受けをのぞくんですね。たまにそこに入っているのは電気や水道などの使用料の明細ぐらいです。けどそれでも郵便受けをのぞくんですね。私が目にしたのですが、ある方が郵便受けに高校生から来た手紙を見つけた時、それを本当に大切そうに胸に抱きかかえるようにしてお部屋に入っていかれたんですね。」
一通の手紙がその人の魂の拠り所となっている、というその事に感動を覚えました。
「生きた命の水」。それは飲む人に「生きる力」を得させます。そればかりか、その命の水がその人の内から川となって溢れ流れるようになるのです。
私たちも今日、ご聖霊の生きた命の水に与りつつ、世に遣わされてまいりましょう。
先週はこの新会堂においてバプテスト連盟の青年ミニストリー協議会が二日間に亘って開催されました、2階のホールでの昼食時は満席状態となり、又二日目の集会のピーク時には40名近い方々が会堂に集われ盛況でした。二日間のプログラムを通して、聖書から聴く学びと、青年たちが如何にそれぞれの教会に繋がってそこで何を考え、問い問われつつ歩んでおられるか。私も参加させて戴きながら、その一端を知る機会ともなりました。教会は教会の運営や働きのために青年たちの行動力や働きを期待いたしますが。しかしまず、青年たち一人ひとりが神さまの前にあって生き生きと活かされていくことが大事で、そのために教会は何ができるのか、祈り、サポートしていくことが必要であるということを改めて思わされました。それは同時に青年期を過ぎた者やこれから育つ子どもたちも同様であります。魂が飢え渇いたままでは恵みを汲み出すことはできません。まずは自分自身が神の御前に魂の渇きを潤されて活き活きと生かされていくことが大切であります。
本日はヨハネ7章のところから「主イエスが与える生きた水」と題し、御言葉を聞いていきたいと思います。
①神の時を待つイエス
さて、本日の箇所は、イエスさまがガリラヤでの宣教活動、6章に詳しくございますが、その活動を終えられて、いよいよユダヤの中心地エルサレムに向かわれるそのようないわばイエスさまのご生涯のターニングポイントともなる箇所であります。
1節に「その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとされなかった」とあります。
ここでイエスさまはユダヤ人たちから危害が及ぶことを避け、一時ガリラヤ周辺を巡っておられたということですけれども、それはイエスさまが単に身を守るためにガリラヤに逃れたという事だけではないように思います。エルサレムに上るタイミングを計り、備えて待って、ご自分で決定をくだすのではなく、神さまの時に備えておられたのであります。
イエスさまはどこまでも神さまの御心を祈り求め従われます。
しかしそういう時に、イエスさまの身近な兄弟たちからのいわば試みの声が聞こえてくるのです。3節「イエスの兄弟たちは言った。『ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。公に知られるようにしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきりと示しなさい』。」
この時は丁度「ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた」頃で、エルサレムに人がたくさん集まってくるので、まあ「今でしょう」というように兄弟たちはイエスをせきたてたのです。
けれどもイエスさまはその兄弟たちの言葉に対して、6節「わたしの時はまだ来ていない」と答え、ガリラヤにとどまられました。
私たちは何をするにも、あれをしよう、これをしよう、と様々な計画を立てます。
しかし箴言3章6節にはこう書かれています。「あなたの行く所どこにおいても主を認めよ。そうすれば主はあなたの道をまっすぐにされる。」
何につけ、決断や行動する前に、独りよがりでなすのではなく、主と共に行く道を尋ね求め、どこにおいても、どんな時も主を認めて判断してゆくのなら、たとえそれが困難な道、いばらの道であったとしても、後で振り返った時には、まっすぐな道であったと思える日が来る。主がそのように認めてくださるのです。
イエスさまは、エルサレムに上ることが怖かったから行かなかったのではありません。「わたしの時」、すなわち十字架の御業を成し遂げられる時がまだ来ていない。それがエルサレムに上ることを断った理由でした。
②エルサレムへ上る時
ところがです。10節には「しかし、兄弟たちが祭りに上っていったとき、イエス自身も、人目を避け、隠れるようにして上って行かれた」とあるんですね。イエスさまもぶれることがおありだったのでしょうか。
兄弟たちに「エルサレムに上って自分を世に示せ」と言われた時に、まだ時は来ていないとイエスさまは断ったのに、どうしてこの時にイエスさまはエルサレムに上ろうとされたのだろうか? その理由はどこにあったのでしょうか?そのことを黙想しながら何度もこのところを読み返してみました。
すると、一つ思わされたことがあります。それは、イエスさまとこの兄弟たちの思いに大きな違いがあったということです。兄弟たちは4節にあるように、イエスに「自分を世にはっきり示しなさい」と言っています。いわば兄弟たちはイエスを祭り上げようとしたのです。
それに対してイエスさまは、18節で「自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない」おっしゃっています。つまり、この兄弟らと一緒に都に上ることになれば、イエスさまのことが都中に知れ渡り、結局は神の御心を顕わすことができなくなる、とそうお考えになられたのではないでしょうか。だからイエスさまは兄弟たちと一緒にエルサレムに上られなかったのでしょう。
すべて同調すること、周りと合わせることがよいとは限りません。肝心なのは、主が何を大事になさっておられるか、その事に心を用いそれに沿って歩むことが大切なのです。
③仮庵祭と水
さて、イエスさまがエルサレムに上られて、仮庵の祭の時が訪れます。
仮庵祭は秋に行われたユダヤの三大祭りの一つでした。三大祭りにはエルサレムから約32キロ圏内に住むユダヤ人成人男子はその祭りに参加する義務があったそうです。仮庵祭は出エジプトしたユダヤ人たちの祖先であるイスラエルの民が荒野を旅していた時に、仮庵で過ごしてきたことを記念し、エルサレムの都周辺に仮庵を建てて、そこで8日間過ごして神に讃美と感謝をささげる祭でした。ユダヤ人たちは、旧約聖書を基に「メシヤが仮庵祭に来られる」と信じてそれを守るのです。又、仮庵祭は今日でいう収穫祭に似た祭りとして神の恵みと祝福を記念する意味をもって行われます。その仮庵の祭りの中で、水を注いでささげられる特別な儀式が7日間に亘って行われます。それは、荒野で渇ききったイスラエルの民たちに、モーセが杖をとって岩を叩いて岩から水を噴き出させて、その渇きを潤したことを憶えるために、祭司がシロアムの池に金の水瓶をもって行き、水を汲み、エルサレムの神殿まで戻って来て祭壇に水を注ぐのです。
旧約聖書・イザヤ書12章3節の「あなたたちは喜びのうちに 救いの泉から水を汲む」という御言葉にもありますよに、「神の救いの井戸から水を汲む」ということを象徴しているのです。祭りに集う人々は歓喜の歌声共にそれを迎え、主を賛美したというのですね。
私どもまた、大川ビルでの仮庵の期間に湧き出た恵みの泉を、今後も証しとして大切に語り継いでいきたいものですね。
④祭りの終わりに
さて、37節以降にとびますが、「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる』とあります。
イエスさまは、すでに祭り半ばを頃から新殿の境内で教え始められていましたが。いよいよ祭りが終わりに近づいたその時に、大声で、このようにおっしゃったというのですから、それは祭りに集っていた人々に強烈なインパクトを与えたのではないでしょうか。
水の注ぎの儀式と祭りはもう終わろうとしている。その高揚感も、何となくうら寂しいような気分に変わってくるものです。そんな感傷的な雰囲気を打ち破るように、大声でイエスさまは、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい」と呼びかけられるんですね。
そこには、やがて終る祭り、やがては渇く水では到底潤すことのできない人々の魂の渇きを前にしたイエスさまの熱い思いがほとばしり出ているように思えます。
人々はユダヤの伝統や宗教に従って祭りや儀式を行っていました。それは敬虔で尊いことであります。が、その一方で、儀式や行事には限界があるものです。さらに、それを守ることが、きよめの条件になっていったり、生活が厳しく参加できない人たちは、その恵みに与れないばかりか、それが差別や偏見にもつながったのです。
ですから、イエスさまがここで、「だれでも」とおっしゃったことの意義は大変大きかったのです。分け隔てなく、どんな人でも、誰であっても、魂の底から飢え渇きを覚えている人は、直接わたしが与える生きた水(命の水)を飲みなさい、と言って主はお招きになるのであります。
都エルサレムとその周辺には比較的豊かな人たちが多くいました。彼らも現代人の殆どの人たちがそうであるように、豊かさ、健康な生活、能力やよき家庭を追い求め、それによって生きる喜びが得られるように努め、働いたことでしょう。
しかし、それらはやがて失せ、亡くなっていくものであります。
どんな楽しみも、願いも、叶ったとたん色あせていくものです。喉が渇けば水を飲む。でもしばらくするとまた喉が渇くのと同じです。どんなものをもってしても、人の根源から生じる魂の渇きを満たし、潤すことはできないのであります。
⑤命の泉と聖霊
38節でイエスさまは言われます。「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
ここで「聖書にあるとおり」とおっしゃったのは、先程読みました旧約聖書イザヤ書12章3節の「あなたたちは喜びのうちに 救いの泉から水を汲む」というお言葉も含んでいると理解できます。イザヤの預言した「救い」は、「イエス・キリスト」の受肉にはじまり、人類を贖う十字架の苦難と死、さらに復活を通してもたらされた出来事であります。その救い主イエスを信じる者のうちに、決して尽きることのない「生きた命の水が川となって流れ出るようになる」というのであります。
以前に一度お話しましたが。私が大阪の神学校の時代に新約学を教えて下さったある先生からのお話ですが。その先生が、アメリカの西海岸のロッキー山脈を横切る旅をされているときに、ある奇妙な光景に目を奪われたというのですね。姿を見せては過ぎ去っていく湖に水がなく、赤茶けた地肌をさらけ出して干上がる寸前の湖がいくつもあったそうです。その一方で、水を満々とたたえている湖に出会うこともあったというのです。なぜこのように涸れた湖と水をたたえる湖があるのか、その違いについて解ったのは、湖底に泉があるかなかの違いだということであります。
この湖のように、魂の底に、尽きることのないイエスさまの命の泉を戴いているということは、尽きることのない魂を潤す命に与り続けるという大きな祝福であるのです。
39節を読みますと「イエスは、御自身を信じる人々が受けようとしている霊について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、霊がまだ降っていなかったからである」とあります。
この「霊」は、原典(ギリシャ語)に定冠詞がついておりますので、単なるものではなく、神さまご自身であられる聖霊をさしています。ご聖霊は聖霊降臨のペンテコステの時に、主イエスを信じ、あるいは求め集った人々が祈り求める中に降られました。言い方を変えれば、主を信じる者たちのうちに臨み、住んでくださった、その一人ひとりの群れが教会なのであります。
今もご聖霊は、主の御業の継承を信じる者のうちに豊かに働き神の愛と救いを信じる力を与え、主の御業の継承のため私たちを通してお働きになられます。この聖霊の働きを祈り求め、聖書の御言葉に聴き従い、そこから湧き出る汲めども尽きない生きた命の水に日々与ってまいりましょう。
最後にもう一つだけお話して宣教を閉じたいと思います。
先日、あの未曾有の阪神淡路大震災から19年目の1月17日、大震災で亡くなられた方々を偲ぶ式典が様々な形でもたれ、全国的にも報道されました。その中のある番組で、被災者対象の集合住宅が取りあげられていたのですが。そこに入居できるのは当時60歳以上と障がい者に限定されていたため今は殆どが80歳以上の方々となり、運営管理について様々な問題が生じているということでした。
その一つとして、孤立化というのが非常に深刻な状況にあるということです。ある方は、大震災で子どもが亡くなったのは自分のせいだと自責の念に責め苛まれ、人生の楽しみをも持つ資格はないのだと、すべての友人との関係を断ち、美食も避け、来る日も来る日もお墓の前に行って詫びる生活を19年間続けてきた、とおっしゃっていました。又、ある方は、唯一人の家族を看取り、まったく人とのつながりを持てない中で孤独に押しつぶされそうなるその心情を吐露しておられました。そんな中、ある高校生たちがそのような状況におかれた方々に「手紙を送る」という取り組みをこの数年続けているようです。その高校生と文通をしている89歳の男性は「生きる力です」と、まるで宝物でも扱うように手紙を手にとっておられました。「忘れられていないんだと感じる」という声もありました。
番組の対談に参加しておられたNPOの方がこんなことをおっしゃっていました。
「私は目にしたのですが、どんなに孤立した方も毎日、郵便受けをのぞくんですね。たまにそこに入っているのは電気や水道などの使用料の明細ぐらいです。けどそれでも郵便受けをのぞくんですね。私が目にしたのですが、ある方が郵便受けに高校生から来た手紙を見つけた時、それを本当に大切そうに胸に抱きかかえるようにしてお部屋に入っていかれたんですね。」
一通の手紙がその人の魂の拠り所となっている、というその事に感動を覚えました。
「生きた命の水」。それは飲む人に「生きる力」を得させます。そればかりか、その命の水がその人の内から川となって溢れ流れるようになるのです。
私たちも今日、ご聖霊の生きた命の水に与りつつ、世に遣わされてまいりましょう。