主日礼拝 創世記33・1-20
先週は創世記32章のヤコブと神の使いとの格闘の物語から御言葉を聴きました。
ヤコブは神と格闘(相撲を取る)する中、腿の関節を外されたにも拘わらず、「祝福してくださるまでは離しません」と神を去らせず夜明けまで闘い続けました。神はそのヤコブを祝福され、神の人として生きる新しい名前イスラエル、神闘いたもう、神守りたもう、神治めたもうという名をお授けになります。ヤコブも又、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って神にある救いを賛美し、その場所をペヌエル・神の顔と名付けたと、いうことです。
先程、本日の「ヤコブがエサウと再会する」記事が読まれましたが。ヤコブは神のお言葉に従い帰郷するに及んで、自ら出し抜き、恨みをかってしまった兄エサウとの再会を余儀なくされました。兄の復讐を恐れるヤコブは自分がどれほど罪深く、弱い者であることか、それゆえ神にのみ頼る外ない者であるということを思い知らされ、先の神との「祝福してくださるまでは離しません」との格闘となったのでありましょう。そして、これらすべての出来事はヤコブが神の約束の地で、新しい人として生きていくために導かれ、備えられていたことであったのです。ヤコブは神の祝福を継承する者として整えられていく必要があったということであります。
さて、このペヌエルでの経験を経た後、1節「ヤコブが目を上げると、エサウが四百人の者を引き連れて来るのが見えました。」
始めは家族の一番後ろにいたヤコブでしたが、ここでヤコブは家族たちを守るために家族を3つのグループに分けて群れの後ろに置き、自らは「群れの先頭に進み出て、兄のもとに着くまでに七度地に平伏しました。」
やっぱり現実に兄エサウが四百人もの者を引き連れて来るのを見れば、ヤコブもそのただならぬ気配に非常に大きな恐れを抱いたはずです。何しろ27章にあるように兄を出し抜いたヤコブは、母リベカから「兄エサウがおまえを殺して恨みを晴らそう」としていると聞かされ逃亡したわけでありますから、ヤコブは20年という歳月が経ってもなお兄へのひけ目と恐怖心を決して拭い去ることはできなかったのであります。
ヤコブはその兄の復讐を覚悟しつつも、神の祝福の約束にすべてをかけて自ら群の先頭に進み出て、兄のもとに着くまで七度地に平伏すのであります。七度地に平伏すというのは、自分に一切敵意がないことを表すと共に、兄に最大級の敬意を表したということです。
すると、そこでヤコブにとっては思いもかけぬ驚くべきことが起こります。
何と「エサウの方から走り寄って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけした」というのですね。そして感極まった二人は「共に泣いた」とも聖書は記しています。
ヤコブの流した涙とエサウの流した涙はそれぞれ意味が違ったかも知れませんが。それでも長い年月を経て互いに心を通じ合わせることができたというのは違いなかったでしょう。
ヤコブはこのような兄エサウの姿を果たして想定していたでしょうか。それはきっと思いもよらなかった、まさしく彼にとって神の守りと祝福以外の何ものでもなかったでありましょう。
まあ一つの見方として、ヤコブが下手に出て、贈物を先に送り、地に平伏し謝罪を表したからエサウの心が和らぎ対応が変わったのではないか。あるいはまた、20年という歳月がエサウの恨みや憎しみを解かしていったのではないか、と考えることができるかも知れませんが。ただはっきりしていることは、ヤコブが自分の思いを遥かに上回る和解の出来事の中に、「確かに神さまが生きて働いておられる。」 そのことをヤコブはひしひしと感じたことでありましょう。ヤコブは「和解の祝福」を戴いてまさに兄との再会をするためには、ペヌエルで主なる神との格闘でその心を変えられる経験が必要でした。自分本位に生きて来たヤコブでしたが、もはや神に信頼することこそがヤコブの生きる力となったのです。
今週の聖句として、知恵の書10:12(アポクリファー)から「神を信じることこそ、すべてにまさる力である」との御言葉が与えられました。私たち人間は弱く、罪深い者であり、その中でもがき苦しむこともあります。対人関係においても恐れやひけ目、怒りや恨みなどの感情をそう簡単に拭い去れるものではありません。けれどそういったものが心に引っかかっているうちは、人はほんとうに解放されているとはいえないでしょう。そこに私の自我と真に解放をもたらそうとなさる神との格闘が必要なのです。そして、折り合いのつけられないそんな自分の感情も、自分にはどうすることもできない相手の思いも、そこに活ける神がお働きくださることを祈り、期待し、依り頼んでいく中で私がまず変えられ、すべてにまさる神の力に生かされてゆくのですね。
ヤコブとエサウのことから思いますのは、許せない相手というのは、自分と全く関係がない人ではなく、家族、親戚、友人、同僚など、近しい関係の人であることが多い。
近しいだけになぜ分かってくれないのか。そんな言い方、仕打ちをするのかと、そう簡単に相手を許せないものです。形式的に許せても、ほんとうに心から許すことは私たちには難しいことであります。そこには、ヤコブの腿の関節が外れた、というような痛みが伴うかもしれません。けれども、そこで私たちは、主イエスの十字架という犠牲による神と人との和解の福音を思い起こします。
まず私自身が十字架の主イエスさまの痛みと執り成しの中でゆるされ、神との和解を得ているのです。何よりもそれは計りがたい救いであります。
私たちも生身の人間でありますから、性格や考え方の違いから、あの人はどうも合わないと言うタイプの人もいるのではないでしょうか。むろん時にはほんとうに逃げることが必要な場合もあるでしょうが。それだからと言って、軽々ともう付き合わない、無視するというのはでは、主イエスのお奨めになった「世の光、地の塩として生きる」人生とはなり得ません。人間的な性格や考え方の違いで合わない人もいるものでしょうが、そこで主に執り成しを祈り、相手のためにも祈り、主の御業に期待して、和解に努めることは神さまの御心であります。
さて、12節以降で、エサウはヤコブに「さあ、一緒に出かけよう。わたしが先導するから。」と言うのですが、ヤコブはその誘いを断ります。ヤコブは群れに小さな子どもたちがいること、家畜がいること等で、無理ができないので家畜や子供の歩みに合わせてゆっくり後から参ります、と伝えます。
さらに、ヤコブは「わたしが連れている者を何人か、お前のところに残しておくことにしよう」とのエサウの申し出も断ります。
ここを読みますと、先程まで共に泣いて和解した兄弟であったのに、ヤコブはどうして兄の誘いや申し出を断ったのか、という疑問が起こります。まあヤコブの心のうちにまだ兄に対する猜疑心があったとか、完全に心許せなかったということももしかするとあったのかも知れませんが。けれどもここで何にもましてヤコブの心の内にあったこと、それはあのべテルで、神が仰せになった「わたしは必ずこの土地に連れ帰る」;生まれ故郷カナンの地に連れ帰る、との約束の言葉でありました。兄エサウはその時すでにカナンの地から南東に離れたセイルの町、エドムの地方に住んでいました。情に流され誘われるままに兄について行けば主の約束のカナンの地とは違う道に行くことになるとヤコブは考えたのです。彼は主の約束をにぎりしめていたので、たとえ人間的に許してもらった兄の誘いであっても、セイル地方のエドムに赴くことは避けるべきと考え、丁寧に兄に断りを入れて、妥協することなく主の約束に従う道を選んだのです。
主に救われ、主に聴いて従う私たちは、和解も、歩むべき道をも、主の招きによって選び取ります。そこがとても大事なのです。なぜならそこに主の導かれる本物の祝福があると信じるからです。
さて、そうしてヤコブは遂にカナン地方にあるシケムの町に着き、その町のそばで天幕を張った土地の一部をシケムの住民から買取り、そこに祭壇を建てて、それをエル・エロイ・イスラエル「イスラエルの神の神と呼んだ」と記されています。
かつて石の枕で夢を見たべテルで、ヤコブが「無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら」と誓願を立てて言ったとおりのことが神によって起こされたことを確認し、その誓願どおりにヤコブは行い、「イスラエルの神の神」と主の御名を賛美して礼拝を捧げるのであります。
私たちの信仰の旅路もまた、そのように主に依り頼み、御言葉に聴き従い、主がなしてくださる御業と導きを確認しつつ、主の御名を讃え、祭壇を築く(礼拝の)連続であります。
たとえ困難や悩みの多い日々の中にありましても、ヤコブのように主に信頼し、依り頼んで生きる歩みのうちに、祝福はゆたかに臨み、神の御前にかけがえのない人生とされていくのであります。主の招きに応えつつ、信仰の歩みを続けてまいりましょう。
先週は創世記32章のヤコブと神の使いとの格闘の物語から御言葉を聴きました。
ヤコブは神と格闘(相撲を取る)する中、腿の関節を外されたにも拘わらず、「祝福してくださるまでは離しません」と神を去らせず夜明けまで闘い続けました。神はそのヤコブを祝福され、神の人として生きる新しい名前イスラエル、神闘いたもう、神守りたもう、神治めたもうという名をお授けになります。ヤコブも又、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って神にある救いを賛美し、その場所をペヌエル・神の顔と名付けたと、いうことです。
先程、本日の「ヤコブがエサウと再会する」記事が読まれましたが。ヤコブは神のお言葉に従い帰郷するに及んで、自ら出し抜き、恨みをかってしまった兄エサウとの再会を余儀なくされました。兄の復讐を恐れるヤコブは自分がどれほど罪深く、弱い者であることか、それゆえ神にのみ頼る外ない者であるということを思い知らされ、先の神との「祝福してくださるまでは離しません」との格闘となったのでありましょう。そして、これらすべての出来事はヤコブが神の約束の地で、新しい人として生きていくために導かれ、備えられていたことであったのです。ヤコブは神の祝福を継承する者として整えられていく必要があったということであります。
さて、このペヌエルでの経験を経た後、1節「ヤコブが目を上げると、エサウが四百人の者を引き連れて来るのが見えました。」
始めは家族の一番後ろにいたヤコブでしたが、ここでヤコブは家族たちを守るために家族を3つのグループに分けて群れの後ろに置き、自らは「群れの先頭に進み出て、兄のもとに着くまでに七度地に平伏しました。」
やっぱり現実に兄エサウが四百人もの者を引き連れて来るのを見れば、ヤコブもそのただならぬ気配に非常に大きな恐れを抱いたはずです。何しろ27章にあるように兄を出し抜いたヤコブは、母リベカから「兄エサウがおまえを殺して恨みを晴らそう」としていると聞かされ逃亡したわけでありますから、ヤコブは20年という歳月が経ってもなお兄へのひけ目と恐怖心を決して拭い去ることはできなかったのであります。
ヤコブはその兄の復讐を覚悟しつつも、神の祝福の約束にすべてをかけて自ら群の先頭に進み出て、兄のもとに着くまで七度地に平伏すのであります。七度地に平伏すというのは、自分に一切敵意がないことを表すと共に、兄に最大級の敬意を表したということです。
すると、そこでヤコブにとっては思いもかけぬ驚くべきことが起こります。
何と「エサウの方から走り寄って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけした」というのですね。そして感極まった二人は「共に泣いた」とも聖書は記しています。
ヤコブの流した涙とエサウの流した涙はそれぞれ意味が違ったかも知れませんが。それでも長い年月を経て互いに心を通じ合わせることができたというのは違いなかったでしょう。
ヤコブはこのような兄エサウの姿を果たして想定していたでしょうか。それはきっと思いもよらなかった、まさしく彼にとって神の守りと祝福以外の何ものでもなかったでありましょう。
まあ一つの見方として、ヤコブが下手に出て、贈物を先に送り、地に平伏し謝罪を表したからエサウの心が和らぎ対応が変わったのではないか。あるいはまた、20年という歳月がエサウの恨みや憎しみを解かしていったのではないか、と考えることができるかも知れませんが。ただはっきりしていることは、ヤコブが自分の思いを遥かに上回る和解の出来事の中に、「確かに神さまが生きて働いておられる。」 そのことをヤコブはひしひしと感じたことでありましょう。ヤコブは「和解の祝福」を戴いてまさに兄との再会をするためには、ペヌエルで主なる神との格闘でその心を変えられる経験が必要でした。自分本位に生きて来たヤコブでしたが、もはや神に信頼することこそがヤコブの生きる力となったのです。
今週の聖句として、知恵の書10:12(アポクリファー)から「神を信じることこそ、すべてにまさる力である」との御言葉が与えられました。私たち人間は弱く、罪深い者であり、その中でもがき苦しむこともあります。対人関係においても恐れやひけ目、怒りや恨みなどの感情をそう簡単に拭い去れるものではありません。けれどそういったものが心に引っかかっているうちは、人はほんとうに解放されているとはいえないでしょう。そこに私の自我と真に解放をもたらそうとなさる神との格闘が必要なのです。そして、折り合いのつけられないそんな自分の感情も、自分にはどうすることもできない相手の思いも、そこに活ける神がお働きくださることを祈り、期待し、依り頼んでいく中で私がまず変えられ、すべてにまさる神の力に生かされてゆくのですね。
ヤコブとエサウのことから思いますのは、許せない相手というのは、自分と全く関係がない人ではなく、家族、親戚、友人、同僚など、近しい関係の人であることが多い。
近しいだけになぜ分かってくれないのか。そんな言い方、仕打ちをするのかと、そう簡単に相手を許せないものです。形式的に許せても、ほんとうに心から許すことは私たちには難しいことであります。そこには、ヤコブの腿の関節が外れた、というような痛みが伴うかもしれません。けれども、そこで私たちは、主イエスの十字架という犠牲による神と人との和解の福音を思い起こします。
まず私自身が十字架の主イエスさまの痛みと執り成しの中でゆるされ、神との和解を得ているのです。何よりもそれは計りがたい救いであります。
私たちも生身の人間でありますから、性格や考え方の違いから、あの人はどうも合わないと言うタイプの人もいるのではないでしょうか。むろん時にはほんとうに逃げることが必要な場合もあるでしょうが。それだからと言って、軽々ともう付き合わない、無視するというのはでは、主イエスのお奨めになった「世の光、地の塩として生きる」人生とはなり得ません。人間的な性格や考え方の違いで合わない人もいるものでしょうが、そこで主に執り成しを祈り、相手のためにも祈り、主の御業に期待して、和解に努めることは神さまの御心であります。
さて、12節以降で、エサウはヤコブに「さあ、一緒に出かけよう。わたしが先導するから。」と言うのですが、ヤコブはその誘いを断ります。ヤコブは群れに小さな子どもたちがいること、家畜がいること等で、無理ができないので家畜や子供の歩みに合わせてゆっくり後から参ります、と伝えます。
さらに、ヤコブは「わたしが連れている者を何人か、お前のところに残しておくことにしよう」とのエサウの申し出も断ります。
ここを読みますと、先程まで共に泣いて和解した兄弟であったのに、ヤコブはどうして兄の誘いや申し出を断ったのか、という疑問が起こります。まあヤコブの心のうちにまだ兄に対する猜疑心があったとか、完全に心許せなかったということももしかするとあったのかも知れませんが。けれどもここで何にもましてヤコブの心の内にあったこと、それはあのべテルで、神が仰せになった「わたしは必ずこの土地に連れ帰る」;生まれ故郷カナンの地に連れ帰る、との約束の言葉でありました。兄エサウはその時すでにカナンの地から南東に離れたセイルの町、エドムの地方に住んでいました。情に流され誘われるままに兄について行けば主の約束のカナンの地とは違う道に行くことになるとヤコブは考えたのです。彼は主の約束をにぎりしめていたので、たとえ人間的に許してもらった兄の誘いであっても、セイル地方のエドムに赴くことは避けるべきと考え、丁寧に兄に断りを入れて、妥協することなく主の約束に従う道を選んだのです。
主に救われ、主に聴いて従う私たちは、和解も、歩むべき道をも、主の招きによって選び取ります。そこがとても大事なのです。なぜならそこに主の導かれる本物の祝福があると信じるからです。
さて、そうしてヤコブは遂にカナン地方にあるシケムの町に着き、その町のそばで天幕を張った土地の一部をシケムの住民から買取り、そこに祭壇を建てて、それをエル・エロイ・イスラエル「イスラエルの神の神と呼んだ」と記されています。
かつて石の枕で夢を見たべテルで、ヤコブが「無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら」と誓願を立てて言ったとおりのことが神によって起こされたことを確認し、その誓願どおりにヤコブは行い、「イスラエルの神の神」と主の御名を賛美して礼拝を捧げるのであります。
私たちの信仰の旅路もまた、そのように主に依り頼み、御言葉に聴き従い、主がなしてくださる御業と導きを確認しつつ、主の御名を讃え、祭壇を築く(礼拝の)連続であります。
たとえ困難や悩みの多い日々の中にありましても、ヤコブのように主に信頼し、依り頼んで生きる歩みのうちに、祝福はゆたかに臨み、神の御前にかけがえのない人生とされていくのであります。主の招きに応えつつ、信仰の歩みを続けてまいりましょう。