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あなたがたが知らずに拝んでいるもの

2015-05-10 15:33:43 | メッセージ
礼拝宣教 使徒17章22節~34節


今日は「母の日」です。お母様方の日頃のお働きに感謝を表したいと願います。又、お母様をすでに天に送られた方がたもおられることでしょう。いずれにしましても、それぞれにお母さまへの感謝の思いを込め、主に礼拝をお捧げしていきたいと願います。

本日は使徒言行録17章使徒パウロのアテネでの伝道の記事から、御言葉を聞いていきたいと思います。当時このアテネはギリシャの首都コリント同様政治、文化が大変栄えていました。特にアテネは哲学をはじめ、科学、天文学、医学、美学などの学者や大家が世界中から集まっていた、いわゆる大学都市、学問が発達した地でした。ところが、その先端の文明、文化が栄えるアテネの丘や街頭、家々にも、偶像が祭られ、祭壇があり、銅をいったり、大理石に刻んだ女神像や男女の裸の像、動物の像などがアテネの市内や市外地のいたるところに立ち並んでいたのでありました。まあこの日本の国も仏像や動物など様々な像が立ち並んでいるような場所がいくつもございますが。都会のど真中のオフィースビルの屋上を見上げると、「赤い鳥居」や「祠(ほこら)」があったりします。通天閣の回りはビリケンさんだらけですけど。近頃野球場の敷地にも神社らしきものが作られ選手やファンが必勝祈願をしているようですが。まあ科学技術がこれだけ進んだこの文明のど真ん中に鳥居やほこらといったものがあるというのはどこか不釣り合いのようにも思えますが。しかし、それがどんなに文明や科学技術が進んでも、人は本来拝むべきお方を求める存在であるかを示しています。今日はそのような文明社会の中で使徒パウロが如何にその人たちと向き合い、生きておられる真の神を伝えようとしていったのかを、心に留めていきたいと思います。又、神は教会という建物に宿られるのではなく、神を信じる交わりの内に生き生きと働いておられるのです。

さて、16節で、「パウロはアテネでシラスとテモテが来るのを待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した」と記されています。
パウロにしてみれば、真の神は人間が作った偶像に留まるような方ではなく、自由に生きて働くお方であるのに、人々がそれら偶像を神のように崇拝の対象としていることに強い憤りをおぼえたのでしょう。
そこでパウロは、アテネのユダヤ会堂に行っては、ユダヤ人や神をあがめる人々と論じ合い、広場では居合わせた人々と毎日議論を交わします。また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者とも討論し、イエスと復活についての福音を告げ知らせます。まあアテネは哲学をはじめ様々な新しい話題に毎日事欠くことなく、いつも町かどの至るところで議論されていたようです。
そんな中、パウロは哲学者たちから「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか」という提案を受けます。これは、彼らが心から神の言葉を聞こうとしていたというより、パウロを試して自分たちの好奇心を満たすためであったのですが、パウロはその機会を用いて、アレオパゴスの評議所でアテネの町の人たちに、イエスと復活についての福音を改めてそのような公の場において告げ知らせた、というのが今日の箇所であります。

パウロはまず最初に、22節「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。」23節「道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇を見つけたからです」と語りかけました。

「彼は初めにアテネの町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した」とあるわけですけど、ここではかなりソフトに聴衆に向けて語りかけていますね。それは彼がアテネの人たちに対して憤慨していたのではなく、彼らが生きておられる神を知らないがゆえに、偶像に囚われているそのことに憤りをおぼえていたのですね。そして彼らも実は真の生ける神を求めているのだけれども、その方向が的外れであるということを知るのです。パウロはまずこのようにアテネの人たちの信心について理解を示した上で、23節「それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう」と、いよいよ本題に入っていきます。
信仰というものは時に信念を持つがゆえに人を裁くということが起きがちです。「それは間違っている」「それはこうあらねばならない」と裁き、押しつけたりすれば、そこに溝ができ福音を分ち合うことはできなくなってしまうでしょう。正しいことは正しいとしながらも、相手の状況や立場に思いを向けることは大切な事です。

さて、パウロは24節から25節において「この世界と、その中にある万物をお造りになられた神は、手で造った神殿などにお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人々にその命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです」と語ります。
旧約聖書の申命記4章を見ますと、偶像礼拝に対して次のような警告がなされております。おそらくこのところがパウロの言葉の中に語られているのでしょう。そこには「自分のためにいかなる形の像も造ってはならない。男や女の形も、地上のいかなる獣も海に住むいかなる魚もとあります。さらに、「目を上げて天を仰ぎ、太陽、月、星といった天の万象を見て、これらに惑わされ、ひれ伏して仕えてはならない」とあり、「それらは、あなたの神、主が天の下にいるすべての民に分け与えられたものである」と記されていますね。
真の神さまは、わたしたちが生きるために必要なものをすべて備えてくださるお方であります。自然の空気や水も太陽の熱や雨も、命の糧も、その源は神の賜物です。そのような恵みの神であるお方がおられるのに、その恵みの神を知らず、手で造った偶像を神として拝むということは、神に罪を犯すことで、如何にむなしいことでしょうか。

さらに26節から29節において、「神はひとりの人から、あらゆる民族をつくり出して、地の全面に住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました」とあります。
言葉や肌の色、文化の違いはそれぞれ創造主の賜物であり、すべての人は神の家族であるのです。パウロはそれをギリシャの詩人の「我らは神の中に生き、動き、存在する」「我らもその子孫である」との言葉を引用して、アテネの人々に語りかけます。

この文脈の27節で「神が世界中にその子孫をそのお定めになったところに住まわせたのは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見出すことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人ひとりから遠く離れてはおられません」と、そのようにパウロは語っているのですが。それは実に、このアテネの人々もまた「知られざる神に」と刻んだ祭壇まで築いて、神を探し求めている人々であり、神の子孫であって、探し求めさえすれば、生ける真の神を見出すことができる。神はあなた方から遠く離れておられない、というのですね。
パウロはここで、アテネの人たちを前に、自分の持てる限りの信仰とその知識と、又彼らに馴染み深いギリシャの詩人言葉を引用して、アテネの人たちが理解できるように彼らの土俵にあがって、神の存在について説き明かしているのですね。彼は後に訪問し開拓していったコリントの信徒たちに送った手紙でこう書き記しています。第一コリント9章の中の一部ですが。「わたしはユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」彼は主イエスの福音を何とかして伝えるため、相対する人とその背景にまで思いを至らせ、思いやりをもって大胆に福音を伝えていったのです。
足もとにも及びませんが、この福音伝道のスピリットに私たちも倣う者でありたいと思います。先日、「ふうけもん」という元祖便利屋さんの実話に基づいた映画のアンコール上映を観賞いたしました。もう何度も泣ける場面がありました。どうしようもなくさまよっていた主人公の男が路傍伝道でイエス・キリストを信じて救われ、便利屋となるのです。それは「人のために人となる」をモットーに新しく生まれ変っていくという物語で、その人を変えていく福音の力に魅せられました。

さて、いよいよ30節から31節で、パウロの最後の訴えがなされます。
30節「神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。」
「今」というのは、イエス・キリストによって万人のための救いが成し遂げられた「今」という意味であります。
31節の「先にお選びになった一人の方」とは、まさしくイエスさまでありますが。
パウロは、この主イエスによってアテネの人々が偶像礼拝から解放されて、「まことに拝むべき神に立ち返って生きるように」と、力を込めて訴えているのです。

アテネの人たちが「知らずに拝んでいるもの」とは、まさに主イエス・キリストなる神であったのであります。
24節で、パウロが言っているように、「彼らは神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えて」、偶像崇拝を繰り返し、その神さまに対して罪を犯し続けていたのです。その行く末は滅びでしかありませんでした。それにも拘わらず、その当然受けなければならない偶像崇拝の裁きを、神の御独り子イエスさまが負われ、その死によって清算してくださったのであります。しかるに、パウロは「神はこの方(御独り子イエスさま)を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになった」と、最後に締めくくっています。生ける神の力と業の証明は、まさにこの真の神さまが生きて働いておられる、ということにあります。

このアテネの町でのパウロの福音伝道の成果について32節から33節にこう記しています。「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った。しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシモ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。」
初めに「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか」と言った人たちは、自分たちの期待した学問的話や真新しい話が聞けなかったことに不満を持ち、ある者はあざ笑い、ある者は「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言ったとあります。パウロもその場を立ち去ったとあります。
一見すると、このパウロの福音伝道は失敗したかのようにも見えるわけですが。決してそうではありませんで、町の人から信頼を得ていたアレオパゴスの議員と、一婦人と、他にも何人かが、パウロの説き明かしを通して、主の恵みによって、悔改め、福音を信じるに至ったことは、どれほどパウロの心に、慰めを与えたか知れません。このアテネでの伝道、さらにこの後のコリントでの伝道はパウロにとって厳しく、苦しい体験をすることになりますけれども、しかし着実に主の福音の種があまたの地に蒔かれ、主の恵みによって救われる人たちが起こされていくのであります。そしてついに小アジア一帯、そしてアテネを含むローマ全土へ、そしてヨーロッパ、さらに全世界に福音が拡がっていく道備えとなっていくのですね。
 もちろんすべては主なる神さまの導き、聖霊のお働きによるものであることに違いありません。また、12使徒や名も知れぬ弟子たち、さらに迫害のため各地に散らされた名もなきクリスチャンたちの証しと働きがあったことは言うまでもありません。
今日はパウロのアテネ伝道におけるメッセージより聞いてきました。そこには主が福音伝道のために選ばれたパウロの、「福音のためにはわたしはどんなことでもする」というスピリットがあふれていました。それはきっとパウロ自身がただ主の恵みによって救われ、生かされているという体験をしていたからこそ、彼はどんな立場の人にも、どんな生活をしている人にも誠実に向き合い主の福音を伝え続けることができたんですよね。私たちも、今日のこの箇所からたくさんの励ましや希望を戴きます。それぞれに、福音を分かち合う者とされるよう、主に用いていただきましょう。
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