日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

この町にわたしの民が大勢いる

2015-05-17 19:41:31 | メッセージ
礼拝宣教 使徒18章1節~11節

2015年4月にこの大阪教会の牧師として着任して丁度10年が経ちました。その牧師就任式のとき、牧師受諾と決意の言葉を述べさせていただいたのですが。その中に記させて戴いたのが本日の使徒言行録18章9節「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いる」との御言葉でありました。
この10年間に召天者や転出者もございましたが。バプテスマ者と転入会者を合わせますと27名の方々を神さまは大阪教会に加えてくださいました。
それは一重に主なる神さまの御業でありますが。同時に、それは牧師と共にここまで教会につらなり、祈りとお働き、ささげものをもって共に歩んでくださった方々、兄弟姉妹がおられたからです。実に教会と主の証しは共に立てられ、なされてきたのですね。これからも主日礼拝と祈祷会がどんな状況下でも継続され、主の福音がより多くの方と分ち合われてゆくために祈りを合わせて前進していきたいと願っております。

さて、先週はパウロのアテネ伝道の記事より聞いていきましたが、本日はアテネからコリントへ舞台を移しての記事より御言葉を聞いていきます。

パウロがアテネを去ってコリントに行った当時、彼は大変疲れをおぼえていました。
Ⅰコリント2章3節につぎのようにその胸中が記されています。「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。」アテネでの伝道はパウロにとって相当厳しく、しんどいものであったことが読み取れます。知恵と力を尽くしたにも拘わらず、そこでは目に見えるかたちで大々的に回心者が起こされることがありませんでした。ある意味うまくいかなかったと落胆していたのではないでしょうか。けれども後々そのアテネも主イエスの福音が広く受け入れられてゆく事になるとは、この時のパウロは知るよしもなかったのです。何よりもパウロを悩ませ衰弱させた要因は同胞のユダヤ人たちからの反抗や迫害もあり、パウロの身心は弱り果て、恐れに取りつかれ、ひどく不安であったというのですね。

そういう中、本日の箇所には、そういうパウロの支え手となった福音の同労者が幾人も登場しているのです。
まず最初に登場するのが、アキラとプリスキラ夫妻です。彼らはローマに住んでいたのですがローマ皇帝による「ローマに住む全ユダヤ人はローマから退去せよ」との命令によって、イタリアからコリントに逃げざるを得なかった、いわば政治的難民でした。パウロは彼らがユダヤ人クリスチャンでしかもパウロと同じテント造りの仕事をしていたのを知って、彼らを訪ね、彼らの家に居候となって、一緒にテント造りの仕事をします。そうやって生計を立てながら、週に一度安息日にはユダヤ会堂で論じ、ユダヤ人やギリシャ人の説得に努めた、というのです。福音を伝えたと記されず、「説得に努めた」と記されたのは、想像しますに如何に福音を伝えることに困難と厳しさが伴っていたかを物語っているように思えます。
律法や戒律や昔からの言い伝え。又、哲学等の学問で凝り固まったその心に、主イエスの十字架と復活の救いの福音はなかなか届かず、それどころか、命の危機、身の危険を感じていたのです。
そういう中、このアキラとプリスキラ夫妻についてパウロはローマの信徒への手紙の中で、「命がけでわたしの命を守ってくれた協力者」(ローマ16章3-4節)と感謝をもって紹介しています。ほんとうに彼らはパウロにとって大きな支え手でした。

又、パウロにはシラスとテモテという支え手が与えられました。
彼らによって、パウロはユダヤ人に対して御言葉を語ることに専念できるようになった、と記されていますよね。おそらくマケドニア州での働きを経て来たシラスとテモテとの再会は、パウロの伝道スピリットを再燃させ、その使命への確信を得る機会となり、5節にあるように再び「メシア(キリスト)はイエスであると力強く証し」できる力となったのでありましょう。又、パウロが御言葉を語ることに専念できたというのは、シラスとテモテらによって家の諸集会から経済的支援が届けられたということも考えられます。いずれにしましても、パウロにとって福音の使者である同志の支えはいかに大きな力になったことでしょうか。
そこで、主にパウロはコリントのユダヤ人たちに福音を伝えることに専念して御言葉を語りましたが、ユダヤ人たちから反抗され、口汚くののしられます。すると、パウロは服の塵を振り払って、「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く」と言ってそこを立ち去るのです。
パウロは自分の出来ることをすべてなし、ユダヤ人に福音を語ったのです。あとは、
これはもう受け取る側の問題です。

パウロは、ティティオ・ユトスという人の家で福音を伝え始めました。彼は異邦人で、パウロから福音を聞いて主を信じた人であったようですが。パウロに家を提供して、集会をもつことに協力を惜しまなかったのですね。ユトスも又、パウロが福音を伝えるその働きに大きく貢献した助け手となったのです。
彼の家はユダヤ会堂と隣り合っていたようですが、それは単なる偶然ではないでしょう。パウロがそこを福音伝道の拠点にしたのは、ユダヤ人たちに対する挑戦であったようにもとれますが、ユダヤ人にも福音が開かれるチャンスを伺ってのことだったのでありましょう。
すると、何と隣の会堂司であったクリポとその一家が、福音を聞いて主を信じるようになった、というのですね。彼はパウロに反抗し、ののしったユダヤ人たちに近い立場のものであったわけですが。しかし主なる神さまのなさることは本当に人の思いを遥かに超えているのです。又、コリントの多くの人々(異邦人)も、パウロの言葉を聞いて信じ、バプテスマを受けた、というのです。素晴らしい救いの出来事が大きく起こされていったのです。
ところがそのことは、ユダヤ人たちにはパウロに対する激しい妬みと憎悪を燃え上がらせることとなります。パウロ自身も、そのことを感じ取り、恐れと不安に苛まれるようになっていったようであります。彼は一時このコリントから離れようかとまで思い詰めていたのか知れません。

そんなある夜、主は幻の中でパウロに語られます。
「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」

パウロは大きな励ましとなる神の言葉を受けるのです。
「わたしがあなたと共にいる。」実はパウロはコリントにおいてすでにそのことを経験していたのですね。彼が極度に衰弱しきっていた折、異邦人のアクラとプリスキラ夫妻との出会いがあり、さらに行き詰まりの中で、同労者だったシラスとテモテとの再会があり、さらに異邦人のユトスとの出会い、ユダヤ人の会堂司クリスポ一家の救いの出来事と、それらすべては、実に、主なる神さまがパウロと共にいて働いてくださる証であったのです。それらの出来事の中に先立ちの主が共におられたのです。
さらに、アテネ同様伝道が難しいと予想されたこのコリントにおいて、実に多くの人たちが、福音を聞いて主を信じました。それはまさにこのコリントの町に主の民が大勢いるといわれたことの証明でありました。だから「恐れるな。語り続けよ。黙っているな」と、主はパウロに叱咤激励なさるのです。
パウロはこの主の御言葉によって、その後1年6カ月コリントの町にとどまって、人々に神の言葉を教えた、というのですね。このとどまってとう言葉は、「腰を据えて」という意味です。コリントにパウロはそこまでいると想定していなかったかも知れませんね。しかし、彼はその地で腰を据えて神の言葉を伝えたというのです。
 私ども大阪教会もこの地において伝道開始されて64年の歳月を経てきたわけです。本日は午後から伊丹バプテスト教会の伝道開始50周年記念礼拝が予定されておりますが。伊丹教会の前身の伊丹伝道所は、今から50年前、この大阪教会から12名の信徒が株分けされて1965年5月23日のペンテコステに伊丹伝道所の最初の礼拝が捧げられたということです。この1965年当時、大阪教会には10の伝道所があったそうですが、ほんとうに生み出す教会であったのですね。
 しかし、同時にこの天王寺においてこれまで64年間変ることなく福音が語られ続けてきました。それは歴代の牧師が一人でなしてきたものでは決してありません。牧師の福音宣教は教会の祈りによって導かれ、その御言葉は私どもを取り巻く様々な出来事とつながっているのです。共に賛美し、共に祈り、共に聖書に聴く。そのような主の交わりの中で、福音は伝えられ続けてきましたし、これからも変わることのない私どもの福音宣教の業であります。
福音がどう人に聞かれ、受けとられるかどうかは、人の領域ではなく神さまの領域です。大切なのは、時がよくてもわるくても御言葉を伝え続け、福音を証しし続けることです。ローマ書10章14節に「信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう」とパウロは記しておりますが。救いの恵みと喜びに与って生きるクリスチャンは、その福音をさらに他者、隣人と分かち合う祝福に招かれています。
御言葉を伝え、福音を証しするといいましても、自分の能力や頑張りでするとかえって難しいですよね。それは自分ではなく、神さまがなしてくださった一つひとつの恵みの出来事を語り伝えればよいのです。そのことに目をとめる時、そこに福音と呼べる主の証しが日々のあゆみの中に沢山起こされていることに気づくでしょう。そのような神さまがなしてくださる出来事に目をとめ、その恵みを共に分ち合うことが大事なのですね。恵みというと、何か人の目に良いことばかりを思うかも知れません。しかし、むしろ困難の中で生まれる祈りと賛美の中に福音の証しは立てられていきます。パウロは同胞であるはずの人たちからの反抗と攻撃に衰弱する最中にも、十字架と復活の主イエスが共にいて働き続けておられることをまさに知らされ、励まされて、その地に腰を据え、福音を語り続けました。
大阪教会は新会堂に建ってからというもの、イエスさまが「新しいぶどう酒は、新しい革袋に」とおっしゃったような新たな出会いと出来事が次々に起こされております。さらにここ最近何か神さまの恵みの風に吹かれているような、これまでとは違う格別な主のご計画が新たに進み出したような思いがしてなりません。また、私たちはそれぞれに何がしかの課題を抱えおりますが。主はそんな私たちに助け手、支え手を送ってくださっておられるのです。福音を信じてあゆむ恵み、幸いを、日々かみしめていきたいものですね。
「恐れるな。わたしがあなたと共にいる。この町には、わたしの民が大勢いる。語り続けよ。」この御言葉の励ましと促しに応え、主の御業を見させていただきましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする