礼拝宣教 ルカ19章41-48節
今年もはや2月になりました。今週の11日は世間の暦の上では「建国記念の日」とされていますが。かつて思想信条や信教分離が国によって侵される中、キリスト教界もまた戦争への道を辿った反省から、この11日を「信教の自由を守る日」として特に覚え、連合社会委員会主催のオンライン集会が11日に行われます。
昨今の国々の様相は、どこも兵器で身を固め、至る所で武力による力の行使が懸念されています。外交なき偽りの平和が暴走を招きはしないかと空恐ろしさを感じます。現に今、戦争のために多くの人たちが国を出ざるを得ない難民生活を余儀なくされています。又、この戦争のために小麦粉などの主要な食物の流通が途絶え、食糧が不足しています。多くの人が飢餓や病気に苦しんでおられます。
もし、世界が過去の教訓に学び続け、「平和への道をわきまえていたなら・・・。」 主なる神さまは今の世界をどのようなまなざしで見つめておられるでしょうか。
本日は、ルカによる福音書19章41ー49節から、御言葉に聴いてまいりましょう。
この当時のエルサレムは、ローマ帝国の支配下にあり、その軍事力による統治、ユダヤにも行政機関はあったものの、ユダヤの民は一部の特権階級のローマにおもねるその傀儡政権によって抑圧された日常を余儀なくされていたのです。比較的平穏に見える都エルサレムでも、政治家と宗教家などの指導者たちが結託して財をなし、律法の精神である、「神への愛と隣人愛」がないがしろにされるような社会となっていたのです。
ご存じのようにエルサレムには神殿があり、いつも多くの巡礼者が都に上って来たわけですが。境内では捧げものとして牛や羊、山羊や鳩などが売られていました。まあ遠方から来る巡礼者は遠くから引いてくるわけにはいかない事情があったのです。ところが、一生に一度は、という思いでやって来た貧しい巡礼者たちや神殿に来る貧しい人たちや外国から来る巡礼者に、法外な値でそれら鳩などの動物を売ったり、外国通貨を両替するという搾取が行われていたのです。
本来そうした不正にはユダヤの指導者たちが正すべきことでしょうが。彼らはそれがエルサレムとその神殿が栄えることになると容認していたのです。また、神殿の入り口には律法による救いを得られず、物乞いをするしかない人たちや寡婦、孤児、寄留者、又、搾取される人びとが捨ておかれ、放置されたままでした。
イエスさまはそのエルサレムが近づいて来て、見えた時、その都のために涙されます。
同じルカ13章31節以下の、特に34節には、「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。」と記されています。
すなわち、神がお与えくださった律法は、民がそれを守り行うなら平和と喜びをもたらすものであります。預言者はいつの時代もその祝福の神に立ち帰るようにと、神から遣わされるのでありますが。指導者と惑わされる民らはそれを拒み、その口を封じようとするのです。
そこでイエスさまは、「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら・・・。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」と仰せになります。
当時の都エルサレムは先ほども申しましたが、ローマ帝国の支配のもとにありつつも、そこに寄りかかり、そのユダヤの指導者たちに「虎の威を借りる狐」のようにずる賢く立ち回っていたのです。彼らの口にする「平和」は、ローマ帝国による力の支配によるもので、神とその戒めから生じるものではありません。その行き着く先は滅びでしかないのです。イエスさまはそのような偽りの平和に寄りかかり、やがてはみかぎられ滅びに至るエルサレムのために嘆き、泣かれたのです。
それから、イエスさまは神殿の境内に入られますが。その神殿の有様を目の当たりにして、商売をしている人々を追い出し始め、彼らに言われます。
「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたがたはそれを強盗の巣にした。」このように激しく怒られるのです。
これはイエスさまの宮清めと言われていますが。
今も世界中の大きな寺院などでは、露天が参道までのところと境内の奥まで続き、売り買いされていますが。問題は神への悔い改めと感謝、正義と憐みの心がないがしろにされ、不正や搾取が放置されているその状態であり、指導者が骨抜きにされている、そのようにとうてい平和とは言い難い社会であったわけです。福音書の中で、イエスさまがここまで激しく公然とお怒りになられたというのはここだけであります。
神は、「わたしの家は、祈りの家でなければならない。」と言われるのでありますが。これは預言者イザヤに示された、「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。」イザヤ書56章7節の御言葉であります。そしてそれは、すばらしいことにユダヤ人だけでなく、すべての民、すべての人々の祈りの家なのです。
そのイザヤ書56章6節から読みしますと、「主のもとに集まって来た異邦人が主に仕え、主を愛し、その僕となり・・・わたしの契約を固く守るなら、わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き、わたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。」と記されてあります。
イエスさまはこのお言葉を文字通りもたらすお方として民衆に訴えかけられるのです。
そのエルサレムの神殿境内には、このイザヤ書のお言葉に導かれ、旅費を工面して苦労をしながら、谷や山を越え何とか遠方からエルサレムの神殿に辿り着いた巡礼者たちがそこにいたのではないかと、想像いたします。
法外な値で両替して捧げものを売りつける酷い商人と、それを容認して場所代を巻き上げ甘い汁を吸う人たち。そんな巡礼者の信心を食い物にするような力が渦巻いているエルサレムの神殿、その宮は、「すべての国の人の祈りの家」からはほど遠いものであったのです。
深刻なのは、そのような状況をユダヤの力ある政治的、宗教的な指導者たちが律法などの識者らが作っていたということであります。彼らは律法を守り教えているようであっても、その実は神から離れ、名声や地位、富を得ることに貪欲になっていったのでしょう。当初は神に捧げる思いで始めたことが、いつのまにか自我の思いを満たすことにすり替わっていったということであります。
昨今、カルトの問題が紛糾していますが。信仰心も人の思惑優先となり本来あるべき神の愛と救い、悔い改めに相応しい神と人、人と人との関係性が損なわれ、閉鎖的で排他的な集団となっていきますと、平和など造り出せるものではありません。私どもも道を誤まることがないように、いつもイエス・キリストが歩まれた道、その言動に目を向け、悔い改めと感謝をもって祈りつつ、平和を造り出す者でありたいと切に願うものです。
聖書に戻りますが。
さて、イエスさまは、そのようなエルレムのユダヤ社会を憂いつつも、そこにありますように、「毎日、境内で教えておられた」のです。
命を狙われるような圧力と緊迫感の中で、なお、変らずに神の御言葉を語り続けたそのイエスさまの話に、「民衆は皆、夢中になって聞き入っていた」のであります。そこに大きな希望がありました。エルサレムの民衆にはイエスさまの話が届いていたのです。それは、イエスさまが決してあきらめることなく、エルサレムの人たちの救いと平和を切に願い、語り続けたからです。彼ら民衆も又、抑圧からの解放と神の審きによって平和がもたらされることを、切に待ち望んでいたのです。
最後になりますが。
今日のこの箇所は、イエスさまの涙と怒りが描写された聖書の中でも印象深い場面であります。
この涙と怒りは、主なる神さまのユダヤの民に対するイザヤ書に記されるところの、熱情の神の愛の顕われでありましょう。イエスさまは、本来神の民であるはずの彼らが、神の前に立ち帰り、同様に救いを得た異邦人と共に神を賛美する神の平和、シャロームの実現をどれほど願っておられたことでしょう。
「彼らが平和への道をわきまえていたなら・・・。」彼らのために嘆き、泣き、怒りつつも、愛してやまなかったイエスさまのお姿であります。
私たちも又、日々神の愛に目覚め、立ち帰り、神の義と愛に生きる者とされてまいりましょう。