ビール飲みオヤジの日々雑感

ビール飲みオヤジが日々感じる雑感を徒然なるままに。

当たり前を疑う

2012年04月14日 | 戯言
首都圏では2日前に掲載され、フェイスブック上でもオヤジの友人の方々を始め「いいね!」をされている方々が少なくありません。

橋下さんの言動については賛否両論あるところですが、ベースは今までの当たり前を疑い、無駄無理を排した改革をしていこうというところにあると理解しています。
そもそも大阪都構想は、大阪府と大阪市が当たり前のように存在し、その中で当たり前になってる二重行政の無駄を排して大阪の政治経済の活性化を目指しているはずです。

今までの当たり前を疑い、そこに既得権益への安住が無いかどうかを確かめることは大事なことであり、歴史や文化を理由に聖域視する必然性は無いとオヤジは思います。

国の将来を担う人材を育成するために行う教育の大事な節目である卒業式(決して卒業生ためだけの式典ではありません。)で、憲法の思想・信条の自由を盾に国に対する敬意を払わないことを当たり前としてきた公務員の当たり前への疑い。
歴史的な文化遺産であるとして、助成金や補助金を受け取ることを当たり前として体制をつくってきた日本の伝統文化(決して、伝統だけに限りません。)に対しての疑い。
この投稿では取り上げられていませんが、橋下さんは大阪のプロオーケストラも多過ぎると言っています。身近なことになると少し信念がぐらつくのは正直なところですが、これもまた現状の当たり前に対しての疑いであり、頭から否定するものではないと思います。

それに関しての橋下さんの言動には確かに不適切なものもあるかもしれませんが、果たして姿勢そのものにあたまから異を唱えるべきものでしょうか。

ベートーヴェンとAKB48は、その音楽を聴く人に感動を与える価値という点では何も変わりありません。
落語と文楽では現実プロモーション努力の差があるのも歴然です。

当たり前を疑う価値観と、疑うどころか現状を変えたくない価値観。そのぶつかり合いこそ、次の時代のために必要であり、大事なことだと思います。

一方的価値観の押し付けはケシカランと言いながら、落語と文楽は違う、ベートーヴェンとAKB48をいっしょくたにするなと公の場で反論するミステリーの大御所の投稿に、オヤジは一流の文化人然としての驕りを感じて素直に肯けませんでした。

コメント
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