「明日のココロだぁ~っ!」
あの声はもう聴くことはできないと思うと寂しい限りです。
オヤジが高校生、そして自宅浪人の頃から、社会人になってからも営業車に乗りながらお世話になりました。
決して目当てで聴くわけではないのですが、この番組は全国を渡り歩くオヤジを追いかけるかのように時間帯こそ違えども放送していて、山本直純のテーマ音楽(番組ではお囃子と言っていましたっけ。)が流れると、ここでも放送されているんだという不思議な安心感がありました。
そうそう、今から20年も前ですが、原宿でご本人とすれ違ったこともありました。
昭和を支えた個性的な俳優がまた一人逝く。ご冥福を祈り、合掌。
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<小沢昭一さんが死去…俳優、演出、ラジオに活躍>
産経新聞 http://sankei.jp.msn.com/ 2012年12月10日
俳優で演出家、語り芸の名手と多彩なジャンルで活躍した小沢昭一(おざわ・しょういち)さんが10日午前1時20分、前立腺がんのため東京都内の自宅で死去した。83歳。通夜は14日午後6時、葬儀・告別式は15日午前11時、東京都新宿区南元町19、千日谷会堂で。喪主は妻、英子(えいこ)さん。
昭和4年、東京都生まれ。早稲田大在学中に俳優座養成所に入所し、26年に初舞台。「幕末太陽伝」「にあんちゃん」「『エロ事師たち』より 人類学入門」など多くの映画に出演した。
57年に劇団「しゃぼん玉座」を創設。一方、若いころから大道芸や門付けといった日本の民俗芸能に興味を持ち、全国を回るなどして収集・発掘にも力を注ぎ、レコード「日本の放浪芸」シリーズを制作した。昭和48年1月に始めたラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は昨年1万回を超す長寿番組となった。
平成13年に勲四等旭日小綬章。博物館明治村(愛知県犬山市)村長も務めた。
所属事務所によると、平成10年に前立腺がんが見つかり、22年に頸椎(けいつい)に転移。今年9月に体調を崩して入院し、10月22日に退院した後は自宅療養していた。
あの声はもう聴くことはできないと思うと寂しい限りです。
オヤジが高校生、そして自宅浪人の頃から、社会人になってからも営業車に乗りながらお世話になりました。
決して目当てで聴くわけではないのですが、この番組は全国を渡り歩くオヤジを追いかけるかのように時間帯こそ違えども放送していて、山本直純のテーマ音楽(番組ではお囃子と言っていましたっけ。)が流れると、ここでも放送されているんだという不思議な安心感がありました。
そうそう、今から20年も前ですが、原宿でご本人とすれ違ったこともありました。
昭和を支えた個性的な俳優がまた一人逝く。ご冥福を祈り、合掌。
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<小沢昭一さんが死去…俳優、演出、ラジオに活躍>
産経新聞 http://sankei.jp.msn.com/ 2012年12月10日
俳優で演出家、語り芸の名手と多彩なジャンルで活躍した小沢昭一(おざわ・しょういち)さんが10日午前1時20分、前立腺がんのため東京都内の自宅で死去した。83歳。通夜は14日午後6時、葬儀・告別式は15日午前11時、東京都新宿区南元町19、千日谷会堂で。喪主は妻、英子(えいこ)さん。
昭和4年、東京都生まれ。早稲田大在学中に俳優座養成所に入所し、26年に初舞台。「幕末太陽伝」「にあんちゃん」「『エロ事師たち』より 人類学入門」など多くの映画に出演した。
57年に劇団「しゃぼん玉座」を創設。一方、若いころから大道芸や門付けといった日本の民俗芸能に興味を持ち、全国を回るなどして収集・発掘にも力を注ぎ、レコード「日本の放浪芸」シリーズを制作した。昭和48年1月に始めたラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は昨年1万回を超す長寿番組となった。
平成13年に勲四等旭日小綬章。博物館明治村(愛知県犬山市)村長も務めた。
所属事務所によると、平成10年に前立腺がんが見つかり、22年に頸椎(けいつい)に転移。今年9月に体調を崩して入院し、10月22日に退院した後は自宅療養していた。