ちょっと気になったので調べました。ヒマ人と思われても仕方ないですが、4/23からずっと休みはないんだよ・・それじゃタダのアホ?
てなわけで(何が?)、ミスターエスパルス・澤登の引退、そして後継の強力キャラ新人・藤本(サッカーの技術は高いが、トークの技術は筑波大卒なのに高校生なみ)によって注目を浴びた“エスパルスの10番”。
1997シーズンからは固定背番号制になったのでその年から2005シーズンまでは澤登だけ。でも、それ以前は試合ごとにベンチ入り選手に背番号1(もちろんGK)から16までを割り振っていた。エスパルスではそれでもほとんどの試合で澤登が10番をつけてはいたが、怪我や出場停止、日本代表に取られていた時などはその“10番”は誰がつけていたのか???それは延べ人数で何人いるのか???
私、調べました・・・ネットで誰かが集計してるんじゃないかと検索ちゃんしましたが、どうやらリーグ戦以外にはいい統計などはなく、まして天皇杯やプレシーズンマッチも含めたらお手上げでした。
どうしようかと思ったのですが、結局あてになったのは「エスパルス・オフィシャル・イヤーブック」。やはりクラブの試合記録はオフィシャル本がいいんですね。結果は私の手集計なので、もし間違いがあれば指摘していただきたいと思います。
細かい「どの試合」とかの記述はもう面倒なのでやめておきます。では・・
1992:長谷川健太 大榎克己 サントス・アデミール
この年はJリーグ開幕前年で、公式戦は最初のナビスコカップだけでした(天皇杯はどうだっけ?もうブックを見直したくないな)。あとは親善試合とかプレシーズンマッチなどです。ここにノボリの名前が無いのは確かまだ東海大の4年だったような・・
1993:澤登正朗 エドゥー 岩下潤
ここでノボリが登場します。ゴール後の帽子パフォーマンスでおなじみのエドゥーがいますね。
1994:永島昭浩 太田貴光 杉本雅央 ジャウミーニャ
フジテレビ・スーパーニュースで安藤さんにイジられっぱなしの永島も10番をつけていました。神戸の震災があって故郷へ帰りましたが、もうちょっとエスパルスでの活躍を見たかった選手でもありました。そしてジャウミーニャ。このとき、確かに上手かったが、その後のスペインのディポルティボ・ラ・コルーニャでの大活躍を誰が想像しただろうか?
1995:ジアス 伊藤優津樹 朝倉徳明 伊東輝悦 田島宏晃 佐藤由紀彦
この年が一番多く、あらたに6人が10番をつけていました。ジアス、この人も上手かった。昨年引退した優津樹も何試合かでつけています。“俺たちの由紀彦@FC東京”もまだ山形へ移籍する前でした。
そして、現在も大活躍、「この人がいないと本当に困る」、「“ニッポンのデシャンだ”@トルシエ」、「“レアル・マドリーもチェルシーも、コイツがいたから強いんだ”と言われるマケレレになぞらえて“テルレレ”」と賞賛される、“清水が生んだサッカーの申し子”、“サッカー通がうなるプレー、テルを知らないヤツはモグリ”、(前置きが長いぞ!)・・と、ファン・評論家が称える“通ごのみ”、伊東テルもこの年に何試合か10番をつけています。
1996:この年はあらたに10番をつけた選手はいなかったようです。澤登出ずっぱりだったような・・
1997:ここで固定背番号制になります。
これで健太からフジモンまで延べ17人が“エスパルスの10番”だったんですね。それにしても、澤登選手はリーグ戦だけで381試合出場、ナビスコや天皇杯、アジア・カップウィナーズカップ、ACLなども含めた公式戦では実に518試合出場です。やはりものすごい選手だったんですね。その偉大さがわかります。誰が、いつから“ミスター”と呼んだかは知りませんが、私の中でそれを決定付けたのは、やはりチャンピオンシップでのFKでしょう。試合中応援しながら涙が出たFKなんてあれが唯一無二ですよ。
てなわけで(何が?)、ミスターエスパルス・澤登の引退、そして後継の強力キャラ新人・藤本(サッカーの技術は高いが、トークの技術は筑波大卒なのに高校生なみ)によって注目を浴びた“エスパルスの10番”。
1997シーズンからは固定背番号制になったのでその年から2005シーズンまでは澤登だけ。でも、それ以前は試合ごとにベンチ入り選手に背番号1(もちろんGK)から16までを割り振っていた。エスパルスではそれでもほとんどの試合で澤登が10番をつけてはいたが、怪我や出場停止、日本代表に取られていた時などはその“10番”は誰がつけていたのか???それは延べ人数で何人いるのか???
私、調べました・・・ネットで誰かが集計してるんじゃないかと検索ちゃんしましたが、どうやらリーグ戦以外にはいい統計などはなく、まして天皇杯やプレシーズンマッチも含めたらお手上げでした。
どうしようかと思ったのですが、結局あてになったのは「エスパルス・オフィシャル・イヤーブック」。やはりクラブの試合記録はオフィシャル本がいいんですね。結果は私の手集計なので、もし間違いがあれば指摘していただきたいと思います。
細かい「どの試合」とかの記述はもう面倒なのでやめておきます。では・・
1992:長谷川健太 大榎克己 サントス・アデミール
この年はJリーグ開幕前年で、公式戦は最初のナビスコカップだけでした(天皇杯はどうだっけ?もうブックを見直したくないな)。あとは親善試合とかプレシーズンマッチなどです。ここにノボリの名前が無いのは確かまだ東海大の4年だったような・・
1993:澤登正朗 エドゥー 岩下潤
ここでノボリが登場します。ゴール後の帽子パフォーマンスでおなじみのエドゥーがいますね。
1994:永島昭浩 太田貴光 杉本雅央 ジャウミーニャ
フジテレビ・スーパーニュースで安藤さんにイジられっぱなしの永島も10番をつけていました。神戸の震災があって故郷へ帰りましたが、もうちょっとエスパルスでの活躍を見たかった選手でもありました。そしてジャウミーニャ。このとき、確かに上手かったが、その後のスペインのディポルティボ・ラ・コルーニャでの大活躍を誰が想像しただろうか?
1995:ジアス 伊藤優津樹 朝倉徳明 伊東輝悦 田島宏晃 佐藤由紀彦
この年が一番多く、あらたに6人が10番をつけていました。ジアス、この人も上手かった。昨年引退した優津樹も何試合かでつけています。“俺たちの由紀彦@FC東京”もまだ山形へ移籍する前でした。
そして、現在も大活躍、「この人がいないと本当に困る」、「“ニッポンのデシャンだ”@トルシエ」、「“レアル・マドリーもチェルシーも、コイツがいたから強いんだ”と言われるマケレレになぞらえて“テルレレ”」と賞賛される、“清水が生んだサッカーの申し子”、“サッカー通がうなるプレー、テルを知らないヤツはモグリ”、(前置きが長いぞ!)・・と、ファン・評論家が称える“通ごのみ”、伊東テルもこの年に何試合か10番をつけています。
1996:この年はあらたに10番をつけた選手はいなかったようです。澤登出ずっぱりだったような・・
1997:ここで固定背番号制になります。
これで健太からフジモンまで延べ17人が“エスパルスの10番”だったんですね。それにしても、澤登選手はリーグ戦だけで381試合出場、ナビスコや天皇杯、アジア・カップウィナーズカップ、ACLなども含めた公式戦では実に518試合出場です。やはりものすごい選手だったんですね。その偉大さがわかります。誰が、いつから“ミスター”と呼んだかは知りませんが、私の中でそれを決定付けたのは、やはりチャンピオンシップでのFKでしょう。試合中応援しながら涙が出たFKなんてあれが唯一無二ですよ。