Fit in fits

たまに富士山を撮影しています。「富士山と乗り物のコラボ」を撮ることが多いです。他のネタはほんの少し。

またまたイルミネーション

2006-12-31 22:27:12 | 雑記帳
エスパルス・ドリームプラザ裏のヨットハーバーです。

各ヨットのオーナーさんがそれぞれのヨットをイルミネーションで飾ってます。

ヨット持ってるなんていいなぁ~
コメント (3)
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「痛くない注射針」の話

2006-12-31 17:38:40 | 雑記帳

 家で待機中の大晦日、多少時間ができたのでブックマークしていたサイトなどを巡回していて、年の最後にいいモノをみつけました。おなじみのTOKYO FMの番組「サントリー Saturday waiting bar AVANTI」の12月16日放送分の中でみつけたものです。本来、全文の引用はあまりよくないのですが、全部読まないと感動が(わかる人には・・ですが)伝わらないので引用させてもらいます。文中の太字・文字フォント拡大などは私がイジりました。

岡野雅行さん(岡野工業)の

『痛くない注射針』の話

 痛くない注射針『ナノパス33』は、テルモ株式会社の大谷内という研究員が設計した。元が太くて、先が細くなっていて、本来なら構造的に液が出にくくなってしまうところを、流体力学に基づいて設計してのだとか。
 大谷内は設計図を持って、日本全国の金型屋、プレス屋、パイプ屋を100軒くらい回ったらしい。ところがどこでも「これは無理」「作れない」と断られ、「計画倒れか……」と諦めかけた。そしてある時、トヨタ自動車に勤めている同級生にその話をしたら、その同級生が「こういうのは岡野工業へ持っていけばできるから」と言ったらしい。
 それで2人が連れだって、ウチへやってきた。図面を見せられて「こういう注射針を作りたいんですが……」と言われて、すぐに「あ、あのノウハウを使えば出来るな」とピンと来た。だから「出来るよ」と即答したら、「本当ですか?!」と本人たちが目を白黒させていた。
 そのノウハウというのは、針を丸めて作る技術。そんな風に針を作る人なんて世界中どこにもいないし、元が太くて先が細いなんて針も世界中どこにもない。だからこの針は世界特許も文句なしで取れた。
 この針を作る技術のベースは、45年前に作った「鈴」にある。どこでも売っている鈴のように見えるけど、実はコレ、1枚の板から作っている。どこも付けたり貼ったりしていない。ヒモを通す穴さえそう。この鈴を作った経験があったから「痛くない注射針」が作れた。他の優秀な会社も、こういう雑貨をやった経験がなかったから作れなかったのだろう。
 ちなみにその鈴、45年前に発売元の会社の社長さんが特許を取って、それから20年で特許が切れた。ところが20年経ってもどこも真似が出来ず、結局作れなかった。これこそが本当の特許だと思う。東南アジアにはコピーを作るような会社がいっぱいあるけど、コピーさえもさせなかった。
 極端なことを言えば、痛くない注射針よりも鈴の方が難しかった。針はプレス機でどんどん加工していくモノだけど、鈴は1個1個加工しなければいけないから。だから自分がその鈴の金型を作って他に売れば儲かるのかもしれない。だけどその社長に義理があるから作らないと決めている。
 そのオヤジが死んだら考えてもいいけど、生きてる間は絶対に作らない。男にはそういう約束があるもの。


  こういう約束を守れる男で、そして、こういう約束をする仲間がたくさんいる男でありたいです。私は。来年ための1つの教訓を年の最後にいただきました。
 いくら東大卒の元官僚のエリートでお金をいっぱい稼いでも、「一緒にフジテレビの株をやろう」と持ちかけたくせにフジテレビの株が高くなったところでライブドアに「ゴメン」と言っただけで売り抜けてしまうような、しかもお互い違法なのを承知の上で、仲間をあっさりと裏切るような人間にはなりたくない。ま、ならないけど・・


 今年最後のカキコはおそらくカウントダウンのころ、いつものバーからになるでしょうが、一応このいい話のところで・・

 それではみなさんよい落としを!・・・じゃぁオチがついちゃうので・・・

 それではみなさんよいお年を!


=補足の追記=
 ちなみに、「ナノパス33」は2005年の「グッドデザイン大賞」を受賞しています。世界一細いインスリン用注射針で「蚊が人を刺すとき程度」の痛みしかないのだそうで・・、

『注射は誰もが嫌なこと。それを一日に数回もならなおさらである。現在糖尿病でインスリン自己注射を行なっている患者さんは国内で60万人。インスリン注射を止めることはできなくても、その痛みを少しでも和らげてあげたいとの思いで世界一細い針に挑戦し製品化に成功した。』

・・のが受賞理由とのこと。なるほどね。素晴らしい。

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大晦日の清水

2006-12-31 14:12:51 | @清水区
 写真、わかるかなぁ~?

 静鉄桜橋駅上からの風景。こんな松の木がまだここにあったんだなぁ~と再認識。

 でもこの写真、富士山がなければ全国どこにでもある風景なんだけど、小さくても富士山が写っているだけでぜんぜん違う印象になるし、アクセントになる。だいたいどの辺りから撮った写真なのかもわかる。たいしたもんだ、富士山は。

 元旦はやや曇りそうで富士山が見えるかどうか微妙~。今日のうちに何度も見て印象に残して明日の晩、初夢に出てきてほしいものです。“一富士、二鷹、3なすび”・・縁起物ですからね!

 “1時に三鷹、三番線”・・ってのはたぶん違います (^_^;)   全然関係ないじゃん!待ち合わせじゃないって! 
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大掃除しながら歴史のお勉強

2006-12-31 10:27:15 | @清水区
 大晦日の朝は例年どおり町内にある神社の大掃除です。隣りの川にかかるJR鉄橋上にはここ数日で寒くなったからかこれまた例年どおり冬に渡ってくるカモメたちが50羽ほどいて掃除を見守っています。長旅ごくろうさんです。カモメって好きなんだよね~

 この大掃除中、神社の建物の中に町名の由来がかかれた看板が置かれていました。もっと目のつくところへ掲示すればいいのに・・と思いましたがまぁそれはいいとして・・、

 このあたり、町名は「銀座」ですが、住居表示前の旧町名は「七軒町」。その由来が書かれていました。ウチの町内は東海道の江尻宿のあたりになります。なりますが、東海道は町内の角のところで90度曲がっていて町内のメイン道路は東海道ではありません。街道から分かれた道が巴川に突き当たっていて、そこが渡船場だったとのこと。これは明治時代の「御巡幸道筋絵図」にも書かれています。このころはまだ家が7軒ほどしかなかったので「七軒町」とついたようです。

 近くの旧地名で「甲斐屋敷」というものがあったそうで、ここ七軒町は清水の港から巴川の水運で上がり、甲州へと回送される米の一時貯蔵所の倉庫が多かったとのこと。興津からの「甲州みち」は甲斐の国にとって塩と米の重要ルートだったことがわかり、それによって武田信玄がこの地を欲しがったことがわかります。やはり海へ繋がるルートは船という大量物流が可能でそれによる貿易で国を繁栄させたいという意図が見えてきます。名将は戦いだけでなく国を治めることにも腐心していたんでしょう。そういえば現在の江尻小学校のところにあった江尻城は信玄の命でつくられていましたね。


 そこから船で巴川を渡り、対岸から上町・港橋方面へと繋がる道があったようです。実は浜田ポンプ場内にはJRの線路から静鉄を渡る旧道があります。ポンプ場ができる以前の周りがたんぼだった頃にはよく歩いて通りましたが、現在では通れなくなっています。
 大正6年にその名の通り「大正橋」がかけられてとても便利になり、ここの町内も住む人が増えたんだそうです。現在町名を示すものは静鉄タクシーの営業所が「七軒町営業所」となっているぐらいでしょうか。

 大掃除をしながら町内の歴史の勉強ができました!

 旧七軒町、現在は「銀座」の一部ですがJR清水駅まで徒歩7分ほど、静鉄新清水駅まで徒歩3分ほど、港及び港湾道路まで車なら1分、さつき通りは町内に接し、国道1号線までも車なら2分、東名清水ICまで車で10分かからない場所にあります。たいへん便利!ほかにもいい場所はあるんでしょうが、この地を離れたくないですねぇ。




 本日は22:00からいつものビア・バーでのカウントダウン営業で盛り上がる予定です。あと2本ぐらい記事を携帯からアップする予定ですので、「よいお年を」はもうちょっとあとです。いろいろあった2006年もあと少しだぁ!
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もうちょっと

2006-12-31 09:14:47 | @清水区
 クリスマスは終りましたがイルミネーションは続けられています。

 駅前のイルミネーションは“HAPPY NEW YEAR”のものに替えられていたので七草あたりまでは続いているのかも。
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