マンション管理士日記

地域を守る:マンションと地域の融合

マンション修繕委員会

2006年03月20日 | マンション管理士

マンション管理組合の理事会に参加しました。 議題は、修繕委員会を立ち上げるための検討でした。

今回は、修繕委員会の進め方や活動期間、委員の選定方法などを決めました。 次回の総会では、委員会発足が議題として審議・決定されることになります。

建築から二十年近く経過したマンションです。 大規模補修を目的とした委員会になります。 大きな金額が支出されます。 それは管理組合員のお金です。 公正に無駄なく工事が行われるように進めなくてはいけません。 施工会社の選定には、恣意的な要素は排除しなければなりません。 前提となる 「長期修繕計画」 の作成も必須です。

そして、最も大切なことは、管理組合員や居住者が納得し喜ぶ内容なのか、でしょう。 一部の役員や委員会だけの判断で進めるのではなく、何をするのか、どうなるのか、いくら掛かるのか、といったことが広報されるのは必須です。 安全に快適に住み続けることができるよう、皆が積極的に意見が出せるような仕組が大切です。

それには、日頃からの Commuinication が大切です。

幸い、この管理組合は役員さんがとても熱心です。 住民間の Commuinication も大切にしています。 管理規約の今日的な改正も完了しています。 管理や経理面でもしっかりしているので、滞納件数も一件だけに減りました。

修繕委員会が機能できる素地が出来上がっていますので、総会でも承認を得て進んでいくと確信しました。


卒業式に考えたこと

2006年03月19日 | 子育て

小学校の卒業式の祝辞で、司馬遼太郎氏の二十一世紀に生きる君たちへ」を久しぶりに聞きました。

小学校六年生向けに国語教科書用に書かれて、氏が「一編の小説を書くより苦労した」と洩らすほど力を傾注したという文章です。

一部抜粋します。

…さて、君たち白身のことである。

君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。

自分にきびしく、相手にはやさしく。という自己を。 そして、すなおでかしこい自己を。

二十一世紀においては、特にそのことが重要である。 二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。 科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。 川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向に侍っていってほしいのである。

右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。人間は、助け合って生きているのである。

私は人という文字を見るとき、しばしば感動する。 ななめの画がたがいに支え合って、構成されているのである。 そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。 社会とは、支え合う仕組みということである。

原始時代の社会は小さかった。 家族を中心とした社会だった。 それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくり、たがいに助け合いながら生きているのである。

自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。 助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。 他人の痛みを感じることと言ってもいい。やさしさと言いかえてもいい。

「いたわり」「他人の痛みを感じる」「やさしさ」

みな似たような言葉である。 この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。

根といっても、本能ではない。 だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。 その訓練とは、簡単なことである。 例えば、友達がころぶ。 ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。

 

この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。 君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。

 

鎌倉時代の武士たちは、「だのもしさ」ということを、たいせつにしてきた。 人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。 人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。

もう一度くり返そう。 さきに私は自己を確立せよ、と言った。 自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。 いたわりという言葉も使った。 それらを訓練せよ、とも言った。 それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。 そして、“たのもしい君たち”になっていくのである。

以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心がまえというものである

君たち。 君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。 同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。

私は、君たちの心の中の最も美しいものを見つづけながら、以上のことを書いた。

書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。


君が代

2006年03月17日 | PTA

今月に入って3回目の卒業式出席でした。 他の式典も重なり 「君が代」 を斉唱する機会の多い月となりました。

ところで、 「君が代」 の歌詞について理解していない知人が多いことに気付きました。 確かに、学校で習った記憶は、ありませんね。 友人も皆、無いと言います。 でも、意味を知っているのは、どこかで教えられたのでしょう。

大昔、石も成長すると考えられていたようです。 半分、土に埋まっている小石を蹴ろうとすると 「埋まっていると石は大きく成長するから蹴ってはいけない」 と祖母にたしなめられた、という話は、確か司馬遼太郎が何かのエッセイに書いていたような… とっても曖昧な記憶ですが、書架をかき回して確かめるほどでもないし、そういうことで。

一昨年、霧島神宮で、初めて 「細石」 を見ました。 確かに成長し続けているようでした。 その過程であると見受けられました。 神代の時代から、これくらいしか成長していないのかぁ、というのが感想。

歌詞の 「細石(さざれいし)」 が少しづつ大きくなって 「巌(いわお)」 にまで成長するような気の遠くなる時間。 さらにはその大きな巌に苔生してしまうほど長い時間。 前半の 「千代に八千代に」 の長さを具現化した表現方法でしょうか? 君の治世がそれほど長く続くことを願うのか。 もしくは、治世により平和な世が何時までも続くように、という願い?

それとも、自然の力に対する畏敬の念でしょうか? または、自然の法則に従うことで永久に繁栄したいという祈りでしょうか? 

学問として学んだことが無いから、古語の解釈として正しいかどうかも判りませんが。

古今集の句は、

わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

冒頭の部分を 「君が代は」 に変えたのが国歌です。

学校では、何故か、意味を教えません。 意味も知らずに歌わせるのは、如何なものかと考えます。 海外を旅すれば、どこの国民でも国歌や国旗に対する強い思い入れがあります。 自分の identity に誇りを持つには、そうであるべきだと思います。 世界は一つ、と考えても identity は大切にすべきです。 そのためには、意味をしっかりと教えるべきでしょう。 仮に、今の国歌や国旗に賛成できないのであれば、変更するように提案すれば良いと思います。 しかし、それまでは、国歌であり国旗です。 学校の現場では自信をもって教え歌わせ敬意を払わせるべきです。

PTAの立場からそう願います。 幸いにして、今まで接した全ての校長先生とは、意見が異なるということはありませんでしたが。

続いた卒業式の中で、ふと考えたことでした。


児童虐待

2006年03月16日 | 民生委員

昨年6月の集計で、2004年に全国の児相(児童相談所)が処理した 「児童虐待相談件数」 は、約3万3千件です。 これは、前年度より約6千4百件増えています(増加率124%)。 そして、初めて年間で3万件を超しました。

2004年の子どもの虐待死は49件です。 児童虐待防止法(2000年11月)以降で、虐待死の8割以上のケースでは、児相や保険所などが相談の受付や養育支援などの形で関わっていました。 判断ミスや情報共有の不足が指摘されています。

虐待相談の処理件数は、集計を開始した1990年度の1100件から年々増加しています。 2004年までの14年間で、約30倍に膨らんでしまいました。 児相によっては、急増する虐待相談に対応しきれずパンク状態になっているそうです。

私たち民生委員は、虐待(その恐れも含めて)の周囲に居る人から相談を受ける場合が多いのです。 しかし、虐待と躾(しつけ)の境界は判断が難しいものです。 普段は子煩悩なのに、いざ叱りだすと激昂してしまう親が居ます。 すごく大きな声で怒鳴っているので、びっくりした近所の方から相談され見に行ったら、親子仲良く買い物に出掛ける所だったと言う事もあります。

それでも、アパートや一戸建てでは、周囲が気付く場合が多いのです。 しかし、分譲マンションの場合は、遮音性が高く外部に対して閉鎖的なので、気付かないケースも出てきます。

地域の子どもが健やかに成長していくようにするには、虐待問題は避けて通れないような時代になってきたと感じます。


マンションみらいネット

2006年03月15日 | マンションの管理

7月3日から「マンションみらいネット」が閲覧できます。 いよいよ本格稼動です。 みらいネットhttp://www.mankan.or.jp/mirai-net/index.htm の目的などを抜粋します。

2011年には築30年以上のマンションが100万戸を超えます。 マンションの適切な管理が長期利用や資産の維持保全のためにも重要になっています。 そんな中、社会的にもマンションの管理状況が注目され、評価されつつあります。

マンションみらいネットは個々のマンションの管理状況など(建物等の概要、管理組合の活動状況、過去の修繕履歴、図書の保管状況 etc)を随時閲覧できるようにするものです。 そのためには、情報を登録する必要があります。

財団法人マンション管理センター http://www.mankan.or.jp/ が登録先です。

ただ閲覧できるだけではありません。 管理組合のメリットとして次のような点があげられます。

① 将来の修繕工事が計画的・効率的になります。 過去の修繕記録がデータ化されます。 また、工事書類などを電子化保管することも可能です。

② 組合員の合意形成がしやすくなります。 修繕工事費の支出や修繕積立金の改定に関する履歴に基づき、納得しやすい計画策定ができやすくなります。

③ 過去の組合情報が安全に保管されます。 役員が短期間で交代することが多い管理組合で起こりがちなのが書類の紛失です。 毎年の総会資料など重要書類を電子化保管することもできます。

④ マンションの資産価値の維持が期待できます。 閲覧情報により、マンションの購入希望者はマンション管理の程度を知って決定できるようになります。 「マンションは管理を買え」 と言われますが、その管理の中身を知ることが可能になるのです。 登録しているマンションの管理状態が良ければ、市場で適正に評価されて資産価値が維持されていくことも期待できるというわけです。

私も、自分の住むマンションで、モニター登録をしました。 4月3日から登録申込受付が開始されます。 「マンションみらいネット」は、管理組合で良く話し合うだけの意義があると感じます。

登録に関しては、マンション管理士など専門家に相談されて下さい。