錦帯橋は吉川広嘉(きっかわひろよし)の時代
(1621-1679)の延宝元年(1673)5連のアーチの
橋が吉川3代当主広嘉によりまた大工児玉九郎右衛門
らの手で6月28日着工10月1日完成したこの時の
橋は翌年(1674)に流出してしまうがただちに復旧され
昭和25年(1950)9月14日のキジヤ台風で流される
まで約280年近く補修を加えながらも維持された。
昭和25年の再建では1億2千万円の巨費で2年を要し
完成した。
もともとこの錦帯橋の構想は中国僧独立が持ち帰った
「西湖遊覧志」で蘇堤の絵を広嘉が見て台座で橋を
結ぶアイデアを得たと言われている。
写真は2004-11-28撮影の広嘉公の銅像
(1621-1679)の延宝元年(1673)5連のアーチの
橋が吉川3代当主広嘉によりまた大工児玉九郎右衛門
らの手で6月28日着工10月1日完成したこの時の
橋は翌年(1674)に流出してしまうがただちに復旧され
昭和25年(1950)9月14日のキジヤ台風で流される
まで約280年近く補修を加えながらも維持された。
昭和25年の再建では1億2千万円の巨費で2年を要し
完成した。
もともとこの錦帯橋の構想は中国僧独立が持ち帰った
「西湖遊覧志」で蘇堤の絵を広嘉が見て台座で橋を
結ぶアイデアを得たと言われている。
写真は2004-11-28撮影の広嘉公の銅像