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松平定信は江戸中期陸奥白河(福島県)藩主であり
天明7年(1787)老中となりました。
松平定信の行った改革は寛政の改革と言われ
天明の打ちこわし後の江戸の秩序回復に努めました。
とくに七分積金の制度は町方入用を節約させ不時の
備蓄にあてたものです。
明治には東京府の公共事業に役立ちました。
また松平定信は白河候とも呼ばれていました。
霊厳寺の周辺の地名白河は白河候に因むものと
言われています。
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霊厳寺の住所:江東区白河1-3-32
霊厳寺は霊厳により寛永元年(1624年)創立。
万治元年(1658年)現在地に移転。
境内には、上記の松平定信の墓の他に
深川に住んでいた地蔵坊正元が六体造立した
という金銅丈六座像、正元の江戸六地蔵
の1つが現存。