関東自動車の丸山車庫の近くに
写真の整地碑があります。
中野区教育委員会の立て札より簡略引用
この整地碑は区画整理組合が河川改修、道路整備
土地、耕地の交換などの事業を行った時の記念に
建てられたものです。
碑文に見られるように区画整理が行われたのは、
膨張する東京への対策として「大東京市」を実現
する都市計画のためでした。
日本資本主義が確立したといわれる日清・日露戦争
を機に東京の人口の密集化と郊外の市街化に拍車を
かけ、特に関東大震災以後は東京市と隣接する近郊
との連携のとれた都市計画が必要となり、その区域
が定められました。
この整地碑は、こうした東京の広がりに対して郊外
の側から土地・道路・河川の整備を進めて対応した
農村の区画整理事業の実態をよく説明している。