CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

クルーズ船シーボーン・ソジャーン Seabourn Sojournが神戸港に入港 on 2018-5-15

2018年05月16日 05時38分45秒 | 神戸情報
2018年5月15日(火)、バハマ船籍でソジャーン クルーズが運営するクルーズ船
シーボーン・ソジャーン Seabourn Sojournが神戸港のポートターミナルに入港して
いました。第4突堤(ポートターミナル)に停泊中の華麗な姿を写真紹介します。
5月15日0時に入港、同日の23時に出航だったので入・出港風景の写真はありません。

2016年3月21日に神戸港に初入港、2017-4-4に2度目の入港、今回は3度目の入港です。

シーボーン・ソジャーン Seabourn Sojournの基本情報

船籍:バハマ  建造年:2010年  総トン数:32,346 トン  
全長/幅:198.0 m/25.0 m  速度:19.0 kn  乗客定員:450 - 540 名
乗務員数:330 名  建造会社:T. Mariotti (Genoa, Italy)


紹介サイト:http://www.cruisemapper.com/ships/Seabourn-Sojourn-637 




上の2枚の写真は神戸港に停泊中のシーボーン・ソジャーン Seabourn Sojourn


上の写真は入出港時間、船の基本情報、前港(高松)と次港(青森)の情報
インフォメーションデスクに掲示されていました。


上の写真は乗船客のための神戸でのイベント情報
  日本茶とスイーツの接待
  折り紙の体験
  インフォメーションブースの設置


上の写真はアンケート用紙

現在の位置を下記サイトで確認できます。
 http://www.cruisemapper.com/?imo=9417098


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E.H.ハンターと妻の平野愛子が晩年を過ごした和の異人館(現神戸北野ハンター迎賓館 結婚式場) on 2018-3-6

2018年05月16日 04時22分12秒 | 神戸情報
2018年3月6日、神戸・北野を散策中にE.H.ハンターと妻の平野愛子が晩年を過ごした
和の異人館(現神戸北野ハンター迎賓館 結婚式場)の写真を撮りましたの紹介します。

神戸北野ハンター迎賓館 結婚式場の基本情報

住所:神戸市 中央区北野町2丁目13−1 TEL:078-241-5015

公式サイト:http://kitano-hunter.co.jp/?utm_source=weddingpark.net&utm_medium=referral


上の写真がE.H.ハンターと妻の平野愛子が晩年を過ごした和の異人館
中に入れなかったので現地説明版の写真を利用しました。


上の写真は現地説明板。読みづらいのでそのまま引用します。

ハンター迎賓館はエドワード・ハズレット・ハンター氏と妻の愛子さんが、その余生を
静かに過ごされた場所である。
Hunter Geihinkan is a place where late Edward Hazlett Hunter lived
in quietly for the rest of his life with his wife, Aiko.

季節ごとの異なる美しい表情を見せる桜を眺めながら晩年は穏やかに過ごされました。
その桜は現在では『愛子桜』と呼ばれ夫婦桜としてたくさんの幸せを見守っています。
そして日本を愛し、神戸を愛し、家族を心から愛した彼の人柄や彼の生涯が随所に
偲ばれるこの邸宅は、変わりゆく時代の中で、ここだけはいつまでも変わらない
懐かしい佇まいのままで多くのゲストを迎えています。 120年の歴史をもつ貴重な
和の異人館として、当館は現在、伝統的建造物に指定され、 大切に守り続けられて
います。夫婦の絆を長きに渡って見守ってきた邸宅、 ハンター夫妻が築いてきた
幸せな時間を、ぜひ肌で感じてみてください。平成15年10月吉日


エドワード・ハズレット・ハンターEdward Hazlett Hunter
1843年2月3日生まれ - 1917年6月2日没について Wikipediaより引用
イギリス人実業家で範多財閥・日立造船の創業者。造船業を中心に産業育成を
通じて日本の近代化に尽力した。
慶応3年(1867) - 横浜に来日。
明治6年(1873) - 神戸にハンター商会 (E.H. Hunter & Co.) を設立。
明治14年(1881) - 大阪安治川岸に大阪鐵工所 (Osaka Iron Works) を創立。
              後に日立造船、現在はユニバーサル造船に発展
20歳の頃、アジアを目指して帆船に便乗して、オーストラリア、香港、上海を経て
慶応3年(1867年)横浜で貿易事業に携わった。
大阪に移住した頃から、外国人居留地に出入りしていた、大阪川口居留地の近くに
住む薬種問屋・平野常助の娘平野愛子と結婚し、長男は生後間もなく死亡したため、
明治4年に誕生した男児リチャードを嫡男として、戸籍では母親の姓をとり
平野龍太郎(後に範多龍太郎と改名)と名づけた。続いて長女ふじ子が誕生。
明治17年2月29日にハンスこと範三郎(範多範三郎と改名)、その下に
エドワードこと英徳が生まれたが、いずれも当初は日本国籍。
ハンス範三郎は後に実業家として地歩を固めた。
国産第一号のトロール船を明治41年に完成させ、後に日本の大半のトロール船を
製造するまでになる。
このトロール漁法の実用化のために、長崎五島列島沖で奮闘したのが、グラバーの
息子・倉場富三郎である。、鉄工と造船業の他にも、煉瓦や肥料、煙草、精米、
損害保険など様々な事業を起こし範多財閥を形成した。また造船場で働く工員の
ために日本で初めて障害保険を導入した。


明治15年に、範多商会を開業。この会社の輸出する精米は年間一万トンにのぼり、
ロンドンの穀物市場の標準米になったともいわれる。
E・Hハンターは数多くの基幹産業を経営すると同時に、神戸市発展のため
公共事業にも貢献。幕末に結ばれた不平等条約の改正も英国本国に働きかけるなど、
力を尽くした。日本の近代化に長年尽くした功績により、
明治42年(1909年)勲五等双光旭日章を贈られている。
当時の外国人としては破格の栄誉だった。


ハンターは文化面でも貢献している再度山の大龍寺の上の方に善助茶屋があり
早朝登山を楽しんだ旧居留地の外国人などが休憩所として利用していた。
また、善助茶屋の親父が気をきかしてサインブックを置き登山のたびにサイン
して帰る習慣が生まれた。神戸における毎日登山のおこりである。




上の2枚の写真は神戸北野ハンター迎賓館 結婚式場の玄関門扉です。
右手にハンター邸のシンボル「H」を形どった図案が組み込まれています。


上の写真はハンター氏の夫人、平野愛子さんです。

ハンター氏や大阪鉄工所(現日立造船)の歴史について下記サイトにリンク
 Hitz 日立造船 創立130周年トップ

旧ハンター邸(洋館)

(創建)明治22年(1889)頃ドイツ人のA.グレッピー氏が英国人の技師に依頼して建造
    場所は神戸市中央区北野町 元トーア・ホテル跡

(移築・改造)明治40年(1907)に神戸市中央区北野町3丁目130番地に移築
  棟札に「上棟式範多氏」「40年5月吉日 棟梁芝嶋吉 建」と墨書きされているそうです

  常徳山のふもとのこの土地は藤田清左衛門から譲り受けたもので敷地は3千坪あった。






上の3枚の写真は現在(2018-3-6)の旧ハンター邸の光景です。
現樹所表示では神戸市中央区北野町3丁目16番


旧ハンター邸の門とレンガ塀が伝統的建造物No.42に指定されていることを示す標識

 (移築)昭和38年(1163)に王子動物園へ移築
       平成23年(2011)3月に外壁の塗装修理が実施されたそうです。




上の2枚の写真は王子動物園内のハンター邸 撮影:2016-6-27
  関連ブログ:国指定重要文化財 旧ハンター邸 on 2011-10-3
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