CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

恋と革命の歌人 岸上大作と辻川山展望台からの眺望 on 2018-4-22

2018年05月25日 04時46分15秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月22日、柳田国男の生家などを観るために姫路からJR播但線に乗り
神崎郡福崎町に来ていました。初訪問です。

本日は「歌人岸上大作と辻川山展望台からの眺望
をテーマとして書いていきます。

福崎町散策シリーズこれまでに書いたブログ記事:

辻川山公園内の学問成就の道の石碑

福崎町「もちむぎのやかた」でのランチ on 2018-4-22

福崎町 妖怪ベンチ ウォーキング on 2018-4-22

藤本煙津先生作の漢詩石碑 in 鈴の森神社 on 2018-4-22

福崎町 柳田国男生家、神崎郡歴史民俗資料館、柳田國男・松岡家顕彰会記念館 on 2018-4-22

福崎町 辻川山公園付近の河童、天狗と妖怪たち on 2018-4-22

福崎町 大庄屋 三木家住宅 on 2018-4-22

福崎町 有井堂 on 2018-4-22

これまで、岸上大作について名前すら知らない状態であった。
福崎町への今回の訪問で知った。まずWikipediaより岸上大作の紹介文を引用します。

岸上 大作(きしがみ だいさく、昭和14年(1939)10月21日 - 昭和35年(1960)12月5日)
は、日本の歌人。兵庫県神崎郡田原村井ノ口(現・福崎町西田原)出身。

戦病死で父親(岸上繁一)をなくした後、貧困な母子家庭に育つ(母はまさゑ)。長男。
中学時代に社会主義に興味を持つ。兵庫県立福崎高等学校に入学して、文芸部に入部。
詩、俳句、小説、ドラマなどを書くが、歌誌「まひる野」に入会して短歌のみを志す
こととなる。國學院大學文学部に入学し、安保闘争に身を投じて負傷。1960年の秋、
安保闘争のデモの渦中に身を投じた経験と恋とをうたった「意志表示」で第3回短歌研究
新人賞推薦次席。安保世代の学生歌人として「東の岸上大作、西の清原日出夫」と
謳われた。同年12月、失恋を理由として下宿の窓で首を吊って自殺。死の寸前まで
書かれた絶筆「ぼくのためのノート」がある。著書はすべて死後の刊行であり、
作品集・白玉書房刊「意志表示」(1961年)、日記・大和書房刊、
「もうひとつの意志表示」(1973年)など。
現在、兵庫県の姫路文学館に展示ブースが設置されており、「意志表示」などの
直筆作品を見ることが出来る。


岸上大作(1939-1960)の生まれ故郷福崎町を一望できる辻川山(標高126・8m)の
山頂に展望スペース「望郷の丘」が完成したのは2015年3月。平成26年度(2014)の
ふるさとづくり推進事業により短歌を刻んだ石碑や岸上大作所縁の地を説明したパネル
などが設置されています。


上の写真は恋と革命の歌人 岸上大作の生涯や代表作を紹介したパネル


上の写真は故郷「福崎町」関連の歌の石碑
初恋の 君と初めて 語らいし かの家なくて 夏草繁りぬ

兵庫県立福崎高校の校内にも歌碑があるようです。


上の写真は辻川山の展望台


上の写真は辻川山頂上付近からの眺望で歌人 岸上大作の所縁の地を説明したパネル




上の2枚の写真は上記パネルと同じ方向の眺望




上の2枚の写真は辻川山頂上からの眺望でJR播但線福崎駅方面の遠景






上の3枚の写真は辻川山頂上からの眺望 福崎町役場方面3の遠景


上の写真は岸上大作の福崎町時代から自殺するまでの関連の歌を写真と共に
紹介したパネル

戦死した父親を詠んだ歌
「白き骨 五つ六つを父と言われ われは小さき手をあわせたり」

「ほろ甘き びわのつぶら実食ぶれば 父にまつわる幼き記憶」

「五つのわれ 文字覚えしをほめてあり 戦地の父の最後のたより」

「戦死公報・父の名に誤字ひとつ 母にはじめてその無名の死」

「白き位牌持てと言われて泣きわめきし父葬る日の吾は一年生」

「父逝きて苦しみ多き十年なりき写真の額もいたく煤けぬ」



母親への想いを詠んだ歌
「ひっそりと暗きほかげで夜なべする 母の日も母は常のごとくに」

「わが歌の 活字となりし嬉しさよ 二度三度と声あげて読まん」

「吾が歌の入選せしを残業に 顔こわばらせている母に告ぐ」

「想うこと半分も言えぬ吾が性を 悲しと思い歌に託せる」

「かがまりてこんろに青き火をおこす 母と二人の夢作るため」

「この村の生計知らしむる芥つきず 夜も流るる重き河の音」

「「罪と罰」読破せし胸ふくらませ 冬休み明けし校門くぐる」

「ポケットに青きりんごをしのばせて 母待つと早春の駅に佇ちいつ」

「鋭角なすビルこえて燕とびゆけり 母への手紙今宵は書かん」

「告白はなべてかなしと吸われつつ 冬のドブ河ひととき澄める」

「口つけて水道の水飲みおりぬ母への手紙長かりし夜は」

「分けあって一つのリンゴ母と食う 今朝は涼しきわが眼ならん」


学生運動時代に詠んだ歌
「プラカード雨に破れて街を行き 民衆はつねに試される側」

「意志表示せまり声なきこえを背に ただ掌の中にマッチ擦るのみ」

「地下鉄の切符に挟いれられ また確かめているその決意」

「血と雨にワイシャツ濡れている無援 ひとりへの愛うつくしくする」

「生きている不潔とむすぶたびに切れ ついに何本の手はなくすとも」

「ヘルメットついにとらざりし列のまえ 屈辱ならぬ黙祷の位置」

「戦いて父の逝きたる日の祈り ジグザグにあるを激しくさせる」 


上の写真は福崎高校卒業時の岸上大作の写真 昭和33年(1958)2月


上の写真は國學院大學時代の夏ふるさと福崎町に帰省していた時の岸上大作
昭和35年(1960)夏 自宅の庭で
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