2015年10月25日14時から、京都府向日市鶏冠井町大極殿55-2他で進められている
長岡宮跡第508次調査の発掘現場で現地説明会がある為出かけ下記のブログを書きました。
長岡宮跡第508次調査の発掘現場で現地説明会がある為出かけ下記のブログを書きました。
今回、歴史ウォークマップ「むこうまち」を歩こう!というパンフレットに
長岡京跡の全体図を解説した図があったので記憶として添付しておきます。
現在、断捨離で室内の資料類を処分する作業に取り組んでいるのでブログに
資料として蓄積する作業の一貫です。
長岡京は784年から794年の10年間山城国乙訓郡に存在した日本の首都である。
延暦3年(784)11月11日、桓武天皇(737-806 天皇在位は781-806)の命により
奈良の平城京より遷都された。
長岡京は、政治や儀式を行う大極殿や朝堂院などの官庁街と天皇の住まいである
内裏からなる宮域と、貴族や都市住民の居住域である京域に分けられます。
中心部の宮域はすべて現在の向日市域にあり、東西約1.0Km、南北約1.6Kmの大きさで
周囲は築地大垣で囲まれていました。
京域は東西4.3Km、南北5.3Kmで碁盤の目状の整然と区画されていました。
長岡京には位を有する役人が750人、下級役人や日雇いで役所の雑役に従事する人々は
約7,000人もいたといわれます。
役人の他に寺院の僧尼、専門的技術者、諸国から駆り出された農民などあわせて
5万人以上の人々が住んでいたといわれます。
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