姫路 船場城西・城南地区の散策シリーズの第11回として2022年10月3日に
訪問した車門跡の写真を紹介します。
訪問した車門跡の写真を紹介します。
第3回 船場川船繋ぎ岩
第4回 炭屋橋(船入川之跡)
第5回 材木町 歳徳寺
第6回 千姫像と船場八景③梅雨松夜雨
第7回 高瀬舟碑
第9回 西国街道碑
第10回 高田神社
まず、車門の位置を理解するために姫路城の門の一覧を示します。
出典:姫路市立城郭研究室 「姫路城絵図集」(2014) Page69
上の写真は残存している石垣の現況です。
上の写真は現地説明板による「車門」の解説と「石垣の築造時期」の記述
上の写真はかっての車門の絵図で内門、中門、外門と船場川へ降りる車道門の
4つの門が描かれています。
内門は櫓門、中門と外門は高麗門、外門は埋門として描かれています。
外門には出番所が設けられていました。
西から木橋で川を渡り、高麗門をくぐって最初の枡形へ。左折し北側に向きをかえ次の高麗門をくぐると第二の枡形に入り、北向きに櫓門をくぐると城内へ入っていけます。岡山方面への西国街道に直結する重要な門であることから
厳重な二重枡形構造となっていました。
上の写真は「大工幾蔵姫路城図」姫路市立図書館蔵 で描かれた車門
2023-12-13追記
発掘調査と石垣修理
上の2枚の写真は石垣修理と発掘調査に関する現地説明板の記述
石垣の修理は平成7年(1995)、平成24年(2012)、令和元年(2019)、令和2年(2020)に実施。
令和元年(2019)の石垣修理について下記サイトで纏められています・
姫路城の石垣の造成は次の5期に分類されます。
Ⅰ期 16世紀末 羽柴秀吉が築いた石垣
Ⅱ期 慶長6年(1601)頃から池田輝政により築かれた石垣
Ⅲ期 元和4年(1618)頃 西の丸を中心に本多忠政により築かれた石垣
Ⅳ期 Ⅲ期以降江戸時代に修理された石垣
Ⅴ期 明治時代以降の修理による石垣
車門は凝灰岩の割石を主体とした打ち込みハギでⅡ期以降に築かれました。
上の写真は平成7年度(1995)に行われた発掘調査の内容
内門櫓の痕跡が確認されました。
最後に船場川に架かる車橋の写真を添付して筆を置きます。
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